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2016年2月10日 (水)

浅草八寺

今日は、10時半に浅草で人と会う約束があり、我が家(浅草橋)から散歩を兼ねて、のんびり遠回りして歩いて行くことにした。 途中の元浅草2丁目、松が谷1丁目、西浅草1丁目には多くの寺院があり、今日の散歩は寺巡りとなった。 9千歩、7km




①如意輪観音・・・・・・・・・朝9時、北風が吹きつける中、颯爽と歩く一人の中高年の男姿がまぶしい。 家を出て15分ほど経過し、その姿に異変が現れた。 歩く姿はモジモジ・セカセカ、落ち着きがなくなってきた。 しばらくすると、横道に入り「小島公園」(台東区小島2)に向かう。 1分しないうちにスッキリした顔に戻り、落ち着きも取り戻した。 男が歩いた横道には、「如意輪観音」が祀られている。 男は「尿意凛観音」の導きと悟ったようだ。、、、、、チョイと朝から話は脱線してるが、“如意”とは「如意宝珠」(=意のままに願望を成就してくれる宝珠)のことで“チンターマ二”と言うそうだ。 どうしても、下(しも)の話になるね!

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②華蔵院・・・・・・・・・・・・元浅草1丁目にある、“信州信濃の善光寺”の東京支店(正しくは東京別院)。 天台宗の華蔵院の創建年代は不詳だが、慶長16年(1611)に田所町から谷寺町へ移転し、正保元年(1645)現在地に移転したといわれている。、、、、、私の知る、あの有名な長野善光寺の支店としては、狭い短い参道、小さな本堂、滑車のような数珠、チョイとお粗末な感じもするね!
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③長遠寺・・・・・・・・元浅草2丁目に、日蓮宗の安立山長遠寺がある。 文禄3年(1594)に妙栄寺と称し創建された、元和7年(1621)に池上本門寺末となり、長遠寺と改称した。 寺では「自開眼開運日蓮大菩薩」像を奉安し、土富店(どぶだな、現:元浅草2丁目付近の俗称)のお祖師様として広く信仰を集め、江戸の巨刹して繁栄していた。 しかしその後、火災のために焼失し、ようやく再建された伽藍も関東大震災、東京空襲により灰燼に帰した。 なお、自開眼日蓮大菩薩の像は大火の中でも一指も損ずることなく現在に伝わるという。(私は像を拝したことはないので?) 、、、、、、金ぴかの文字で寺名の額が掲げられている、どっしりとした山門を入ると、ゆとりある広さの境内から、本堂をじっくり見ることができる。
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④栄蔵寺・・・・・・・・・長遠寺の北側に、十輪山地蔵院と号す、天台宗栄蔵寺がある。 寺は応永中期(1396)に洛中神楽岡に地蔵堂を開基し、慶長元年(1596)谷寺(京都)に移り20年を経て、浅草新寺町に移転した。 本尊は霊験あらたかで福徳円満と言われている(?)、延命地蔵菩薩である。、、、、、建物は小さな寺で、民家のような山門をくぐるり、一歩足を出すと本堂(住職の自宅か?)と思われるような建物の前に出る。 身体を180度回転すると、納骨堂の前に立っている。 納骨堂の後ろは広い駐車場。、、、、、檀家も少ないのか、“寺”で稼ぐより、駐車場で稼いでいるようだな?
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・・・・・・・・・・・・・・納骨堂、、、、、、インド風のデザインの納骨堂は、昭和初期の建築らしい。
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⑤吉祥院・・・・・・・・・真言宗智山派の吉祥院は、摩尼山隆全寺と号す。 創建年代は不詳。 慶長16年(1611)に中野に寺領を得て、寛永21年(1644)には現在地へ移転した。、、、、、こちらの寺は、いつ前を歩いても、境内は手入れの行き届いた植栽と、きれいに掃き清められ、小さいながらも落ち着いた雰囲気がある。 私好みの寺だ!
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⑥誓教寺・・・・・・・・吉祥院の向かい(元浅草4)に、浄土宗の誓教寺がある。 起立年代は不詳。
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・・・・・・・・・・・・本堂の右手、住職の住む住宅の裏に墓地があり、その墓地の中央に、『生涯に30回以上改名し、93回の引っ越しをした浮世絵師』、葛飾北斎の墓がある。、、、、、葛飾北斎は、本所(江戸東京博物館の近く)で生まれ、嘉永2年(1849)に山谷堀の裏店で、90歳で没した。、、、、、、墓石正面には「画狂老人卍墓」と大書され、右側面に辞世の句「ひと魂でゆく 気散じゃ 夏の原」と刻まれている。 浅草のせせこましい墓地の一画に、特に目立つこともなく寝ている北斎は、『これぞ、北斎!』なり。
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祝言寺 ・・・・・・・・地下鉄銀座線の田原町駅と稲荷町駅のほぼ中間(台東区松が谷1)に、曹洞宗万年山祝言寺(しゅうげんじ)がある。 祝言寺は天文20年(1551、=戦国時代)頃、太田道灌が江戸城大手門付近に草創した。 天正18年(1590)には徳川家康から万年山の山号と松平家と同じ「丸に一つ葵」の紋所を賜り、江戸城から浅草へ移った。、、、、、現在の祝言寺は、平成18年(2006)に内井昭蔵(1933~2002)の設計、大成建設の施工で建て替えられた。 私の好きな寺院建築ある。
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・・・・・・・・・・・・今日は、慰霊塔の中もチョイと拝見! 塔の中は、正面に観音菩薩を祀り周囲には無縁仏の骨壺が並んでいる。
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東本願寺 ・・・・・・・・昭和56年(1981)真宗大谷派から独立し、「浄土真宗東本願寺派 本山東本願寺」となる。 宗門内の対立で4派に分裂し、チョイと世間を賑わした『お東騒動』である。、、、、、本堂は震災後の昭和14年(1939)に、鉄筋コンクリート造で再建された。
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眞福寺 ・・・・・・・・東本願寺の東側に位置する浄土真宗大谷派の眞福寺。 眞福寺は、貞和元年(1345)に近江浅井郡にて創建し、寛永元年(1624)に江戸へ移ってきた。、、、、、手狭な境内は狭そうだ。
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・・・・・・・・・・・・納骨堂(?)、、、、、確かに骨が納められているので“納骨堂”だが、墓石ごと納められているので“墓苑”かも?、、、、、大正末期から昭和初期の建築と思われる。、、、、、堂内には、墓石がギッシリ、すし詰め状態だ! 
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●・・・・・・・・・・・そろそろ10時半、人と会うため急ぎ足で浅草へ向かう・・・・・・・・・

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