新中川 (春江橋~大杉橋)
昨日の続きで、新中川の下流から数えて6番目の春江橋から11番目の大杉橋まで歩いてきた。 1万3千歩、10km。
①春江橋・・・・・・・・・春江橋(はるえばし)は、東岸の江戸川区春江町3丁目と西岸の一之江3丁目を結ぶ、幅員の狭い裏道的な橋である。 昭和35年(1960)、中川放水路(現:新中川)掘削工事に伴い架橋された。 橋長119.0mの単純プレートガーダー桁橋。、、、、、、架橋後50年以上経過し、老朽化も進み架け替えの話もあるようだ。 只今とりあえず、塗装補修工事中である。、、、、、歩道部分は昭和50年(1975)に拡張したものと思われる。






③南椿橋/首都高速7号小松川線/新椿橋・・・・・・・・・7・8・9番目の橋梁は、下流側から南椿橋、首都高速7号小松川線、新椿橋と並んでいる。 首都高を挟む形で、区道の東岸方向(春江3丁目)行きは新椿橋、西岸方向(一之江2丁目)へは南椿橋が架かっている。

・・・・・・・・・・・・南椿橋(みなみつばきばし)、、、、、、、、昭和55年(1980)に、首都高の下流側に架橋された西行き一方通行である。 3径間連続箱桁橋。


・・・・・・・・・・・・首都高速7号小松川線、、、、、、、、7号小松川線は、墨田区の両国JCTから江戸川区に至り京葉道路に接続する路線である。 昭和46年(1971)に開通した。


・・・・・・・・・・・・新椿橋(しんつばきばし)、、、、、、、初代の「椿橋」は、昭和35年(1960)に中川放水路掘削工事に合わせ架橋された。 その後、交通量の増加などにより老朽化し、平成9年(1997)に、現在の「新椿橋」に架け替えられた。 橋名もこの時、“新”が冠せられた。 東行き一方通行である。 3径間連続非合成箱桁橋。



④一之江名主屋敷・・・・・・・・・新椿橋の東詰をチョイと東に行くと、江戸時代に現:春江町の一帯の名主であった田島家の住宅が区によって保存されている。 安永年間(1772~1781)に建てられた主屋と長屋門、明治時代に建てられた蔵が残されているが、本日は茅葺屋根の修理中であり、かつ開門前であったため、中には入らず覗き見をして、『ハイ、さようなら!』。


⑤一之江橋・・・・・・・・・一之江橋(いちのえばし)は、東岸の春江町3丁目と西岸の一之江1丁目を結び、国道14号(京葉道路)を通す、橋長126.0mの5径間カンチレバープレートガーダー桁橋。 昭和34年(1959)竣工。



⑥新堀日枝神社・・・・・・・・新中川の土手から見える、江戸川区新堀1丁目にある日枝神社。 正福寺空鏡法印が寛永2年(1625)当地に山王権現を勧請、当地の名主八武崎隼人、仁助らが社殿を建立したといい、旧新堀村の鎮守社であった。、、、、、、昭和55年(1980)、それまでの老朽化した社殿に変わり、鉄筋コンクリート造の社殿に改築された。 この改築では、8千万円以上の費用を投じ、社殿だけでなく境内の諸施設も整備したそうだ。

⑦大杉橋・・・・・・・・・・東岸の鹿骨1丁目と西岸の大杉4丁目を結ぶ大杉橋(おおすぎばし)。 初代の橋は、昭和36年(1961)に現橋の下流側に架橋された。、、、、、2径間偏心1面吊り斜長橋の現橋は平成6年(1994)に架けられた。 長さは120.0m。、、、、、、昭和の後期から平成の初期は斜張橋が流行した時代だ! 江戸川区も流行に乗ってこの橋を造ったのかな?



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