北千束~学芸大学
東急大井町線北千束駅から、住宅地をクネクネ歩き、東急東横線学芸大学駅まで、1万1千歩、8kmの散歩です。
①北千束駅 ・・・・・・・・・・昭和3年(1928)に開業した北千束駅は、傾斜地に立地しているため、駅出入口はホーム下の小さな口を開けている改札口1ヵ所のみである。 一日の乗降人員は7000人弱で、大井町線では最も乗降客が少ない駅である。、、、、、今日は久しぶりに下車してみた。
・・・・・・・・・・・・・・・乗降客の少ない駅は、のんびりした雰囲気だ。

・・・・・・・・・・・・・・・木造のホーム上屋が時間を止めている。 昭和が残る駅。


・・・・・・・・・・・・・・・ホーム下に出てくる、たった一か所の出入口。 自動改札機も3機だけ!


・・・・・・・・・・・・・・隣の大岡山駅へ向かう電車。

・・・・・・・・・・・・・アップ、ダウンの多い町だ!

・・・・・・・・・・・・・・よそ者が先へ進むのを阻む看板だ! 私も、坂を上がって行き止まりでは、チョイと辛いので他の道を歩くことにした。、、、、、“後で気がつく てんかん病み”だった、看板は車向けであった。

・・・・・・・・・・・・・・北千束1丁目と2丁目の境、広い道路に出たと思ったら、目黒線を地下化した線路跡である。、、、、、跡地は公園にするのか?

・・・・・・・・・・・・・・またまた広い道路に出た、環七通りである。 道路を横断し、大田区から目黒区へ入った。

③洗足・南の住宅・・・・・・・・・・・・目黒区洗足・南の住宅地を歩いた。
・・・・・・・・・・・・・私の住む浅草橋では、見られない住宅地。 当たり前田のクラッカー!

・・・・・・・・・・・・・・住宅の庭には桜が咲き、歩きながら上を見上げてしまう。

・・・・・・・・・・・・・・おや、こちらは山小屋風。 いいね!

・・・・・・・・・・・・・・こちらは目黒区の区営南1丁目アパート。 いいところに在るね!

・・・・・・・・・・・・・・・立派な門構えに桜の木、お大尽さまのお屋敷か?

・・・・・・・・・・・・・・何だか建材メーカのCMに出てきそうな住宅もある。

④碑文谷八幡宮・・・・・・・・・・・・碑文谷八幡宮の創建年代は不詳であるが、鎌倉時代に、源頼朝の家臣である畠山重忠のまたの家臣:宮野左近が、重忠の守本尊を当地(目黒区碑文谷3丁目)に勧請して創建した。、、、、、現:社殿は延宝2年(1674)に造替したものを明治5年(1872)に再建し、明治20年(1887)に改築したものである。
・・・・・・・・・・・・・・参道の一の鳥居から二の鳥居までの間は、桜の花が鮮やかに出迎えてくれた。


・・・・・・・・・・・・・・旧碑文谷村の鎮守で、祭神は誉田別尊(応神天皇)


⑤カトリック碑文谷教会・・・・・・・・・・・・カトリックの男子修道会であるサレジオ会によって、昭和29年(1954)に目黒区碑文谷1丁目に建立されたロマネスク様式の教会。 別名:サレジオ教会と呼ばれている。、、、、奥行き47m、幅16m、高さ36mの荘厳な教会。 内部は壁・天井一面にフレスコ画が描かれている。この絵はイタリア人:フェラーリ修道士が7年にわたり心血を注いだ労作だ!、、、、、安土桃山時代の華麗な障壁画を見ているようだ!






⑥学芸大学駅 ・・・・・・・・・・大学の無い「学芸大学」駅。 そろそろ駅名を変更するかと思いきや、隣の都立大学駅とともに駅名を変更する話はなさそうだ。、、、、、駅前は整備された広い通りがなく、ゴチャゴチャ感のある下町の駅と似ている。
