日暮里~浅草
日暮里駅から浅草まで、1万1千歩、8kmの散歩です。
①JR日暮里駅南口 ・・・・・・・・・・・駅のメインは北口で、南口は裏口である。 南口は、橋上駅舎となっている。 とんがり帽子の駅舎を出ると橋上となり、東側は京成線の高架下を抜け駅前ロータリー方向へ、左は谷中霊園に直結している。 今日は“彼岸”だからか、年寄りが多く、皆さん近いうちに自分が入るであろう墓地に向かって行く。

②羽二重団子・・・・・・・・・・・南口から京成本線の高架下を抜け、線路沿いに鶯谷方向に歩くと、きめがこまかく羽二重のようだと絶賛され、そのまま名前となった「羽二重団子」の店がある。 文政2年(1819)、初代澤野庄五郎が、現在地(芋坂)に「藤の木茶屋」を開いたのが始まり。、、、、、団子は、生醤油を塗った焼き団子と、さらし餡を巻きつけた餡団子の二種類の串団子で、粒の形が扁平な円盤状になっている。 気になる人は、ぜひ、賞味あれ!、、、、羽二重団子を好んで食べた正岡子規の句、「芋阪の 團子屋寝たり けふの月」、、、、雅万歩も一句、「芋坂の 團子屋を買うて けふの土産(みや)」

③善性寺・・・・・・・・・・・「羽二重団子」の向かい側に、日蓮宗の善性寺がある。 長亨元年(1487)に創建、寛文4年(1664)六代将軍徳川家宣の生母長昌院が葬られて以来、将軍家ゆかりの寺となった。 宝永年間(1704~1711)には、家宣の弟の松平清武がここに隠棲し、将軍家宣のお成りがしばしばあったことから、門前の音無川(暗渠化された)にかけられた橋に将軍橋の名がつけられた。

④御隠殿坂橋・・・・・・・・・・・日暮里駅の南側で、谷中霊園と根岸7丁目を結び、JRの線路上に架かる人道跨線橋。 橋長:約90mの橋は昭和3年頃の竣工と思われる。、、、、、橋名の「御隠殿」とは、寛永寺の住職:輪王寺宮法新王の別邸で、御隠殿坂は寛永寺から別邸へ行くための道として、江戸時代に作られた。、、、、、いつ来ても、撮り鉄の一人、二人はいる、マニア撮影スポット。

・・・・・・・・・・・・・・御隠殿坂橋の南側には、昭和8年(1933)竣工の京成本線の跨線橋がある。

⑤御隠殿址・・・・・・・・・・・御隠殿坂橋の東詰(根岸2)の近くに根岸薬師寺という小さな寺がある。 ここは輪王寺宮の別邸「御隠殿」があった所と標されている。 御隠殿(ごいんでん)の創建年代は明らかでないが、宝暦3年(1753)に、百姓地を買上げ御隠殿前芝地としたといわれている。 この年までには3千坪以上の敷地に、優雅な庭園と建物は建造されていたようである。、、、、、慶応4年(1868)、御隠殿は彰義隊の戦いによって焼失し、現在は御隠殿の址を偲ぶものは残っていない。

・・・・・・・・・・・・・チョイと懐かしい木造家屋

・・・・・・・・・・・・・・ビルの隙間に煉瓦造りの蔵が見える

・・・・・・・・・・・・・・御行の松不動尊の前に出た!

・・・・・・・・・・・・・・不動尊の裏手には料亭の名残りらしき建物もある。



⑦正覚寺・・・・・・・・・・曹洞宗の正覚寺は、元和2年(1616)徳川秀忠の指示により、僧養山厳朗が創建したと伝えられます。、、、、、数年前、門前の整備では建築景観賞(台東区)を受賞した。

⑧お多福・・・・・・・・・・・・大正4年(1915)浪速千日前(法善寺境内)より、台東区千束1丁目進出し、浅草おでん大多福(おたふく)として生業した。 以後、関東大震災、大戦災と世は変わったが、変わらぬおでんの味で今日に至っている。

⑨浅草寺・・・・・・・・・・・今日は浅草寺本堂で「本尊示現会」の法要が執り行われ、境内では縁起にちなみ「金龍の舞」が賑やかに奉演されていた。、、、、知ってか知らずか、まるっきり知らなかったが、たまたま寄ったら、龍が舞っていた。 私は運のいい男かな?





⑩根岸の春・・・・・・・・・・咲いてます!

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