高輪の三寺
都営浅草線泉岳寺駅で下車し、泉岳寺、高野山東京別院、東禅寺を巡り品川駅まで、1万歩、7kmの散歩です。
①泉岳寺 ・・・・・・・・・・赤穂浪士の墓でおなじみの萬松山泉岳寺。 泉岳寺は慶長17年(1612)に門庵宗関和尚を招き、徳川家康が外桜田に創立した寺である。 しかし、寺は寛永18年(1641)の大火によって焼失し、現在地の高輪に移転した。、、、、、今朝も暇そうなご婦人が数人で、四十七士の墓参りに来ていた。 私は代表者の浅野内匠頭、大石内蔵助に手を合わせ、東宝映画 「四十七人の刺客」で古手川祐子が演じた瑤泉院の墓には念ごろに手を合わせてきた。



②泉岳寺から東京別院への裏道・・・・・・・・・泉岳寺中門前から、一方通行の裏道を抜け高野山東京別院の方へ向かう。
・・・・・・・・・・・・天保7年(1836)に再建された中門前を左に曲がる。

・・・・・・・・・・・・泉岳寺の境内に沿って時計回りに歩く気持ちで散歩する。 振り子時計のように戻らないで!、、、、、下町の裏道とは格が違うようだ、“裏道”と言えど高級マンション、住宅が建ち並ぶ高輪2丁目。





・・・・・・・・・・・・勾配22%の年寄りにはキツイ坂。

・・・・・・・・・・・・坂を上がると、高輪台小学校がある。 昭和10年(1935)に竣工した、鉄筋コンクリート造3階建て校舎は、インターナショナル様式(昭和初期頃から流行した、無駄な装飾を排し、シンメトリーよりもバランスを、建物の量感よりも空間感覚を重んじる様式)で、明るいイメージの校舎である。


・・・・・・・・・・・・高輪台小学校の前の細い道をチョイと下って、窪地から階段を上ると高野山東京別院の前に出る。

③高野山東京別院・・・・・・・・・・・高輪3丁目にある、高野山真言宗の総本山金剛峯寺の東京別院。 東京別院は、江戸に徳川幕府が開かれた際に高野山の宝門・寿門の学侶方の在番所として慶長年間に開創し、延宝元年(1673年)に現在の芝二本榎の地に「高野山江戸在番所高野寺」として建立された。、、、、昭和63年(1988)には、現在の本堂が竣工した。 別院の地下には、東京電力高輪変電所が設けられている。 変電所は平成元年(1989)に完成した、地下7階建て、床面積は延べ19,800㎡である。 地下に潜って見てみたいね!



④東芝山口記念会館・・・・・・・・・・・・東京別院前の坂を第一京浜の方(東方)に200m程下ると木立の奥に洋館が見える、旧朝吹常吉邸(現:東芝山口記念会館)である。、、、、三井傘下で活躍した実業家・朝吹常吉の邸宅で大正14年(1925)に竣工した。 高台に立つスパニッシュ・スタイルの白い洋館、設計はスコットホール、東洋英和女学院などを手掛けたウィリアム・メレル・ヴォーリズ。、、、、、現在は東芝グループの迎賓館として使用されている。、、、、、、今日も中には入れず、遠くからパチリ! 2枚目の写真は平成23年(2011)撮影。


⑤SI邸・・・・・・・・東芝山口記念会館の東隣に、今は亡き、ある著名人の邸宅がある。

⑥東芝山口記念会館から東禅寺への裏道・・・・・・・・・・東芝山口記念会館の入口脇に細い道がある。 この道を、道なりに進むと東禅寺の山門前に出る。
・・・・・・・・・・・・道の奥に「洞坂(ほらさか)」と標した案内がある。

・・・・・・・・・・・・・・東芝山口記念会館の裏側で洞坂を下る。 記念会館の建物もチラリと見える。




・・・・・・・・・・・・坂を下り終えると、TO邸がある。 イギリス風の綺麗な白亜の洋館は、落ち着いた雰囲気の建物。 私の推定では、戦前に建てられたものであろう。


⑦東禅寺・・・・・・・・慶長14年(1609)に赤坂にて創建し、寛永13年(1636)に現在地の高輪3丁目に移転した。 当時は寺の眼前に東京湾が広がり海上禅林とも呼ばれた。 また幕末以降、寺は西洋人用の宿舎に割り当てられ、安政6年(1859)には日本初のイギリス公使館が東禅寺に置かれた。、、、、寺は臨済宗妙心寺派の別格本山となっている。、、、、、都心に在るとは感じられない、静けさ、緑の多さ、境内の広さ、いいね!
・・・・・・・・・・・・山門からは奥の深い参道が伸び堂宇は見えない。


・・・・・・・・・・・・参道奥に進むと、木立の陰に本堂、三重塔がチラリと見える。

・・・・・・・・・・・・「海上禅林」と掲げた本堂


・・・・・・・・・・・・本堂の脇には三重塔が控えている。

●・・・・・・・・・・大きな寺を三か所巡り、今日の散歩はここまで。 品川駅より帰宅。