駒込~西巣鴨
JR駒込駅から、桜の染井地区を抜けて都営三田線新板橋まで、染井吉野の発祥地を巡る、1万1千歩、8kmの散歩です。・・・・・・・途中、染井霊園で、私のカメラのシャッターが故障し撮影できず。 その後は、ただただ、ひたすら歩くだけの散歩となった。 (カメラは、メーカのサービスセンターに入院させた。)
①駒込駅 ・・・・・・・・・・・・明治43年(1910)に開業した山手線の駅。 土地が傾斜しているため、池袋寄りの改札口はホームから上って橋上駅舎にある、田端寄りの改札口はホームから階段を下り線路下にある。



②駒込橋・・・・・・・・・・駒込橋は関東大震災以降に架けられた山手線の跨線橋である。 現在の橋は地下鉄南北線の工事に伴い、平成3年(1991)に架け替えられたもので、欄干には染井吉野の桜と富士山がデザインされている。


・・・・・・・・・・・・・・橋の北詰、「染井吉野桜記念公園」に旧橋の欄干が保存されているが、「染井よしの桜まつり」の旗挿し台として活躍中だった。、、、、、文化財をたいせつに!

・・・・・・・・・・・・・・公園内の桜

③妙義神社・・・・・・・・・・・・駒込3丁目の当神社は、日本武尊が東征時に陣を構えたところで、白雉2年(651)に社が建てられ、当初は「白鳥社」と称した。 社殿は鉄筋コンクリート造だが、創建は豊島区最古の神社らしい。、、、、、文明3年(1471)から文明11年(1479)までに大田道灌が三度の出陣に際して戦勝祈願し、いずれも勝利したところから勝負の神として信仰を集めている。 夏のサマージャンボの時は、ここで一等当選を祈願するかな?

④中央聖書神学校・・・・・・・・・・・妙義神社に隣接して、日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の聖職者育成の為の学校がある。 学校の母体は昭和4年(1929)に開設された聖霊神学院だそうだ。 戦時中は閉鎖され、戦後、昭和25年(1950)に開校した。 現在はチャペル、寮、図書館などが備わり、3年制・96単位のカリキュラムによる教育が行われているそうだ。、、、、、、1700坪のキャンパスに建物が美しく配されていた。


⑤旧丹羽家腕木門・住宅蔵・・・・・・・・・・中央聖書神学校の西方200m程の処に、染井の植木職人として活躍した丹羽家の土地が公園となっている。、、、、、、そこには、腕木で屋根を支える腕木門と呼ばれる形式の、簡素であるが格式のある門が残されている。 津藩藤堂家下屋敷の裏門を移築したらしいが、年代は不明である。、、、、、、そして、園内にもう一つ、正面4.5m×奥行5.5m、鉄筋コンクリート造、地上2階/地下1階、切妻造妻入桟瓦葺の蔵がある。 こちらは国登録有形文化財。 この蔵は、昭和11年(1936)、旧丹羽家の八代目茂右衛門が建てた蔵。、、、、、、門・蔵ともに、状態もよく保存されていた。


⑥西福寺・・・・・・・・・・・駒込小学校正門前に真言宗豊山派の西福寺がある。 創建年代不詳であるが、江戸時代初期には既に創建されていたとおもわれる。
・・・・・・・・・・・・・右手に西福寺の塀がある、小学校前の通り。 正面奥には、染井吉野の発祥地と言われている「染井よしの桜の里公園」があり、西福寺の隣奥に「染井稲荷神社」がある。、、、、、すでに、地元は花見で浮かれた状態のようだ!

・・・・・・・・・・・・・西福寺も本堂まで提灯が連なり、法事でもあったらどうなるのか?、、、、提灯に明かりを灯し、夜桜で宴を開き仏を送ると、仏も酔ってあの世に行かず、現世に戻るかも?

・・・・・・・・・・・・・・西福寺の墓地では、桜の大木が開花していた。

・・・・・・・・・・・・・・墓地の一角に、徳川将軍家の御用植木師として名高かった伊藤伊兵衛政武(宝暦7年(1757)没)の墓がある。

⑦染井稲荷神社・・・・・・・・・・・1600年代の創建といわれている染井稲荷神社。 ご神体は十地面観音石像とのこと。 社殿は震災・戦災に遭わず、300年以上経ているそうだ。

・・・・・・・・・・・・・拝殿に奉納されている「カンシンの股くぐり」の額は貴重なものらしい。

⑧染井よしの桜の里公園・・・・・・・・・・・染井稲荷神社の向かい側に、豊島区が「ソメイヨシノ」の発祥の地とする公園がある。 染井の一帯は植木屋が集まって住んでいた地域で、今や全国的に植樹されている「ソメイヨシノ」は、ここ染井の地から広まった。 そのことを後に伝え残す場所として、区は銀行の跡地を取得し、近隣住民と検討を重ね計画した公園。、、、、、正確の発祥地と言うより、染井と言う地で「ソメイヨシノ」が生まれたことを記念する公園のようだ。、、、、、、公園では、祭りの準備が行われていたが、園内の桜は一分咲き!

« 矢切~松戸 | トップページ | お花見 散歩は休み »