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2016年3月25日 (金)

矢切~松戸

北総線矢切駅から常磐線松戸駅まで、1万1千歩、8kmの散歩です。

 



矢切駅
・・・・・・・・・松戸市下矢切の台地にある、北総鉄道北総線の矢切駅。、、、、、矢切の地名は、天文7年(1564)の国府台合戦にて、上杉謙信方の里見氏が武田信玄方の北条氏に、矢がつき切れ負けたことから「やきれ」→「やきり」→「やぎり」となったらしい。 地名の読みは“やきり”と濁らずに読む、駅名と曲名は“やぎり”と濁るそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・駅前ロータリー(上の写真のバスの陰)に、作家:水上勉氏旧居跡の碑が建っている。、、、、、直木賞受賞前、約2年間このロータリーの地に住んでいたそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・駅前には松戸街道(=千葉県道1号市川松戸線)が走っている。

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・・・・・・・・・・・・・・街道裏の駅周辺は国府台の台地上の住宅地という雰囲気だ。、、、、、古い住宅、新しい住宅、いろいろ建っているけど、超高級住宅は見当たらないね! 

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②野菊の墓文学碑・・・・・・・・・矢切駅の北東500m程のところに、夏目漱石が、「自然で、淡泊で、可哀想で、美しくて、野趣があって、(中略)、あんな小説ならば何百編よんでもよろしい」と、絶賛した、伊藤左千夫の小説『野菊の墓』(明治39年(1906)発表)の文学碑がある。 小説は、15歳の少年・斎藤政夫と2歳年上の従姉・民子との淡い恋を描いている。 (筋書きは、新潮文庫で300円程なので、自分で買って読むこと!)

・・・・・・・・・・・・・・駅から住宅地の中を抜けてくる左側の道と、「矢切の渡し」で対岸の柴又から国府台台地に上がってくる右側の坂道が、ぶっかった地点に真言宗の西蓮寺がある。 ここの境内に文学碑はある。
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・・・・・・・・・・・・・・碑は土屋文明の筆で、小説「野菊の墓」の一節が刻まれている。
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・・・・・・・・・・・・・・碑の建つ台地から江戸川・柴又・金町の方角を望む。
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③矢喰村庚申塚・・・・・・・・・・・矢切神社の近くに、地蔵尊・青面金剛・馬頭観音などが10以上建ち並ぶ、強力なパワースポット、矢喰村(やぐいむら)庚申塚がある。、、、、、中央に控える青面金剛は寛文8年(1668)に建てられたもので、強力なパワーを得られるかも?
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④矢切神社・・・・・・・・・・矢切駅の北方500m程に位置する矢切神社。 宝永元年(1704)の長雨により、江戸川が大洪水を起こし、水高が地面より8尺余り(約2m50cm)となった。当時の矢切の民家は江戸川沿岸にあったため、多数の死者を出し、甚大な被害を受けた。 その後、災害から逃れるため村民は台地上に移住し、鎮守として京都から稲荷を勧請して祀ったのが矢切神社である。、、、、、、拝殿の屋根には漆喰で描いたと思われる龍がいた。
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⑤外郭環状道路・・・・・・・・・・中矢切付近では外環道の一部が暫定開通している。 この部分は、国道6号(水戸街道)との接続部である。、、、、、外環道の本線は半地下で見えないが、中央の開口部が写真中央に見える。
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⑥小山樋門橋・・・・・・・・・・・・・・・・通称「めがね橋」と呼ばれ、明治31年(1898)に当時の金額7,100円で造られた。 千葉県内では最も古い煉瓦造りの構造物。、、、、、保存状態の良い煉瓦橋で、美しい!、、、、、、写真では、樋門橋の手前にある、人道橋がチョイと邪魔だ!
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・・・・・・・・・・・・・・下を流れる坂川に沿って桜が植えられているが、どうやら花は散り、葉桜となった木もある。
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⑦松戸神社・・・・・・・・・・・・寛永3年(1626)の創建とされ、松戸市の総鎮守とされている。神紋は左三つ巴。、、、、、、ご利益ありそうだ、今日、抽選発表のグリーンジャンボの1等当選をお願いして賽銭を奮発して、“よろしく”、、、、、賽銭を損した、コンチクショウ!

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●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・松戸駅から帰宅。

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