本八幡~下総中山
総武線本八幡駅から隣の下総中山駅まで、京成本線の北側(山側)をブラリ散歩。 1万1千歩、8km。
①本八幡駅・・・・・・・・・・・・・昭和10年(1935)に総武本線の駅として開業した。 現在は1面2線の高架駅で、連絡通路により都営新宿線の本八幡駅と結ばれている。 京成八幡駅とは300m以上離れている。、、、、、朝は千葉方面から来て、当駅で総武線から新宿線に乗り換える通勤客が多くみられる。


・・・・・・・・・・・・・北口を出て、駅前の「八幡一番街」を歩いてみたが、“何が一番だ?”

②不知八幡森・・・・・・・・・・・本八幡駅の北側に千葉街道(国道14号)が走っている。 その国道沿い、市川市役所と八幡神社(葛飾八幡宮)参道入口の斜め前に、孟宗竹が茂る「不知八幡森(しらずやわたのもり)」がある。 ここは、「足を踏み入れると二度と出てこられなくなる」と言われてる禁足地である。 この禁足地の一角に「不知森神社」が祀られ、ここだけは足を入れてもOKだ。境内には、茨城県江戸崎の商人:伊勢屋宇兵衛が建立した、「八幡不知森」と記された安政4年(1857の石碑がある。、、、、小さな森だが、地元では現在も立ち入る事はタブーとされているようだ。



③葛飾八幡宮・・・・・・・・・・・京成八幡駅の東側に、葛飾八幡宮がある。 祭神に誉田別命(応神天皇)、息長帯姫命(神功皇后)、玉依比売命を祀る。 寛平年間(889~898)に宇多天皇の勅命により石清水八幡宮を勧請して建立したそうだ。 武神であることから平将門、源頼朝、太田道灌、徳川家康など関東武士の信仰を集めた。、、、、弊殿と本殿は、八幡宮であるが、平(ひら)入りの切妻の建物が前後に2つ並ぶ八幡造りではなく、拝殿・弊殿・本殿を妻入りの棟が一本に貫く権現造りである。

・・・・・・・・・・・・・・本殿の横に、推定樹齢1200年といわれる巨木の御神木「千本公孫樹」(せんぼんいちょう)がある。 多くの幹が寄り添って支え合う姿をしていることから、縁結びの御利益があると伝えられている。 また乳の出ない婦人が乳房の形をしたイチョウの瘤を削り、煎じて飲むと、乳の出が良くなるという言い伝えから、育児守護の信仰があります。

④黒松の町・・・・・・・・・“市川市の木”はクロマツです。 “なぜ?” 市川市の国府台がある台地と、真間川を境としたこの辺は、かつて海であり、クロマツの自然林があった。 江戸時代以降も「市川砂州」として一帯に沿ってクロマツが植えられたり、大正時代には、その松林を生かした住宅地となり、市川市八幡に住んでいた永井荷風も、この地を好んだようだ! (私も好きだ!)、、、、、そんな、こんなで、京成本線の市川真間から鬼越近辺には、住宅の中に、道端に、公園に数多くクロマツが見られる。、、、、、アカマツなら、秋に松茸が収穫できたかも?



⑤市川市北方の町・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・市川市八幡から、境川を越えると、市川市北方となる。

・・・・・・・・・・・・・・昭和30年代頃から、北方の宅地化は進み住宅地と変わっていった。、、、その当時の商店か? 店は全て廃業し、2階の住宅も空き家となったのか?


・・・・・・・・・・・・・・北方の町には、民間のアパートが建ち並んでいる。


⑥神明社・・・・・・・・・・鬼越駅近くの鎮守様。 “古老の口碑によれば約700年前より鬼越村に鎮座したと”と案内板に記されている。、、、、ご神木のクロマツの陰に古びた拝殿がある。


・・・・・・・・・・・・・・・鳥居の前を京成電車が通過する光景は、なぜかホッとするね!

⑦下総中山駅・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・京成本線の中山駅を過ぎると総武線下総中山駅はスグソコ!

・・・・・・・・・・・・・・下総中山駅前から京成中山駅を通り、法華経寺 に至る参道。

・・・・・・・・・・・・・下総中山駅はチョイと寂れたイメージを抱かせる薄暗い駅だ。、、、、高架下に、飲食店、ファミレスを入居させ、もう少し明るい駅にして欲しいね!


