阿佐ヶ谷~鷺ノ宮
JR中央線の阿佐ヶ谷駅から西武新宿線の鷺ノ宮駅まで、1万歩、7kmの散歩です。
①阿佐ヶ谷駅・・・・・・・・・国鉄の駅として、大正11年(1922)に開業。 2面4線の高架駅。、、、、、今日は北口から出て、北の方角に歩くことにした。



②世尊院・・・・・・・・阿佐ヶ谷駅の北250m程にある世尊院は、永享元年(1429)頃の創建と言われている。 それまで阿佐ヶ谷の地にあった宝仙寺が中野に移転し、宝仙寺の子寺であった世尊院が宝仙寺の跡地に残されたそうだ。 本尊は立派な不動明王立像らしい。、、、、現本堂は昭和10年(1935)に再建された。


・・・・・・・・・・・・道路を挟み山門前に世尊院観音堂がある。 こちらには、室町時代の作と言われる木造聖観音菩薩立像が祀られている。

③阿佐ヶ谷神明宮・・・・・・・・世尊院の隣に鎮座するは、建久元年(1190)頃の創建と伝える、天照大神を主祭神に祀る神明宮。、、、、、、広い境内の奥、小鳥の声が聞こえる森の中に、立派な拝殿・本殿が平成21年(2009)に造られた。


④KU邸・・・・・・・・・・・・阿佐谷北の住宅。 洋風の下見板張りの外壁、上げ下げ窓など、昭和初期の建物と独断で推定した。


⑤阿佐谷北6丁目・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・杉並区阿佐谷北5丁目から北側に走る早稲田通りを越える。

・・・・・・・・・・・・阿佐谷北6丁目に入る、裏道は静かな住宅街だ。 私の住む浅草橋では得ることのできない住環境が、うらやましいね!



・・・・・・・・・・・・正面に白鷺一丁目第3アパートが見えてきた、、これより先は中野区白鷺の町になる。 このあたりが、杉並区と中野区の区界。

⑥白鷺一丁目第3アパート・・・・・・・・・・・妙正寺川の右岸に位置する、昭和34年(1959)から建設された都営アパートが建て替えられた。 ここには、低層の都営住宅が19棟並んで立っていたが、妙正寺川の氾濫を防止するため、都営住宅の敷地を半分ほど利用し、地下に貯水量約35,000立方メートルの貯水池、上は多目的のグランドを整備した。 残る半分に高層(12階建て、5棟)の住宅を建て、戸数約800戸(建て替え前は418戸)の規模の団地となった。 工事は平成19年(2007)から平成22年(2010)まで行われた。




⑦第2鷺の宮アパート・・・・・・・・・白鷺一丁目第3アパートの北側に、こちらも都営住宅「第2鷺の宮アパート」が建っている。 昭和39年(1964)に建設された5階建て、5棟の団地。 こちらは、4号棟、5号棟の2棟が取り壊されていた。



・・・・・・・・・・・・50年近く、このアパートで生活した人も居たであろう、思いで多い建物が壊されていく寂しさ、見てると泣けてくるね。、、、、、住んでいた人、建設した人を想うと、ほんとに、目が潤んで、ウルウル。



⑧鷺の宮住宅・・・・・・・・・・第2鷺の宮アパートの西隣には、『へ』の字型の屋根が特徴的な鷺の宮住宅のテラスハウス(境界壁を共有する複数の戸建て住宅が連続している形式の低層集合住宅)が7棟(20戸)並んでいる。 このテラスハウスは、東京文化会館などを手掛けた建築家:前川國男(1905~1986)の設計である。、、、、、、昭和33年(1958)に建てられた貴重な建築である。 建設時は公団の住宅であったが、現在は企業・民間に譲渡され、寮・住宅となっている。 そのためか、北側(玄関側)は建築時の姿を残してはいるが、南側(庭側)には部屋を増築した棟が多く、南面は雑然とした景観となっている。 チョイト残念だ!、、、、、【文科省へ】早く、文化財に指定しないと、高層マンションに変わってしまうかも?






⑨鷺宮八幡神社・・・・・・・・鷺ノ宮駅の南側の高台に、康平7年(1064=鎌倉時代)、源頼が東国征伐の後、鎌倉街道に面した当地に源氏の隆昌を祈願して創建したと伝えられている。、、、、、、この地には鷺が多く生息していたことから、鷺宮八幡、鷺宮大明神と称された。、、、、、現在の本殿・幣殿・拝殿は昭和35年(1960)に改築された。


⑩鷺ノ宮駅・・・・・・・・・昭和2年(1927)に開業した西武新宿線の駅。 単式ホーム1面1線(上り)と島式ホーム1面2線(下り)を併せ持つ地上駅。 駅舎は橋上である。

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