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2016年4月21日 (木)

清洲橋通り

我が家のある浅草橋から、行く先のあてもなく歩き始め、東日本橋で清洲橋通りに入り、清洲橋を渡り、北砂・南砂を抜けて旧葛西橋まで、1万4千歩、10kmの散歩です。

・・・・・・・・・・・・・清洲橋通り、、、、、、台東区入谷の交差点から始まり、美倉橋で神田川を越え、東日本橋交差点、清洲橋、扇橋2丁目交差点を抜けて、旧葛西橋の架かっていた江東区の東砂6丁目交差点の先で終わる、全長約10kmの道路の通称である。



●am8:00
・・・・・・・・・・昼まで戻らぬ覚悟で、妻と涙の別れを笑ってかわし、浅草橋を発つ。

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●am8:05
・・・・・・・・・・幼き頃、遊んだ神田川の情景を、瞼に焼き付け、『さらば浅草橋』。

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・・・・・・・・・・・・・・橋の上から先を見れば、道は二つ。 右は日本橋へ向かう江戸通り、左は清洲橋へ向かう道。 右か、左か、サイコロで決めたいが、あいにく持ってない、『前を行く女性について行こう!』

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●am8:10
・・・・・・・・・・長い道中、食あたりの薬の持ち合わせが無いことに気づき、浅草橋交差点に店を構える「玉置薬局」で買っていくか。 昭和4年(1929)の建物は、まだシャッターが閉まっていた。 『残念、コンビニで、おしゃぶり昆布でも買うか。』、、、、、一袋、全部食べても28kcalの健康食品?

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●am8:15
・・・・・・・・・・東日本橋駅前を通過。 これより先、道は「清洲橋通り」となる。 わが身の行方定まっておらず、ここで決めた! 『今日の散歩は、清洲橋通りを歩いてみよう!』、、、、、決断する男はステキだ!、ケツ出す男はクレしんだ!

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●am8:25
・・・・・・・・・・開演まで時間もだいぶある、浜町明治座前を通過。 

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・・・・・・・・・・・・・・明治座前に仮社殿を建て営業中であった水天宮は、4月8日から新社殿に移り営業を開始した。 取り壊しを待つ仮社殿。、、、、、仮住まいでも、我が家より綺麗で、広い、もったいないね!

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●am8:30
・・・・・・・・・・浜町中ノ橋交差点(清洲橋通りと新大橋通りが交差する)を通過。

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●am8:35
・・・・・・・・・・清州橋の西詰(日本橋中洲)にある金刀比羅宮を通過。 玉垣には「葭町 芸子芸妓屋組合」と彫られている。 葭町(よしちょう)とは、今の人形町で、江戸初期の遊郭だった。 明暦の大火で遊郭は吉原に移ったが、その後も、花街として残った。、、、、、浅草吉原に移るとき、葭町の“葭”を“吉”に変えて“吉原”としたとか?、、、、、昔は良かったね、できれば江戸時代に生まれ、一度でいいから葭町で遊んでみたかった!

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●am8:35
・・・・・・・・・・清州橋 を渡る。

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●am9:00
・・・・・・・・・・白河1丁目の清洲寮 の前を通る。、、、、、先を急ぐしがない男の散歩、『今日は、道路の向かいからパチリで我慢!』 

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●am9:20
・・・・・・・・・・大横川に架かる扇橋を渡る。 昭和4年(1929)に震災復興事業として清洲橋通りを通すために架けられた橋が老朽化し、平成14年(2002)に現在の橋に架け替えられた。

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●am9:30
・・・・・・・・・・錦糸町駅と東陽町駅を結ぶ四ッ目通りと交差する扇橋二丁目交差点を通過。、、、、、、スタコラ・スタコラ歩く我が身であるが、チョイと疲れと暑さで、息遣いが荒くなってきた。 『ハアハア、死にそうだ!』

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●am9:32
・・・・・・・・・・西からほぼ東に向かって歩いてきた清洲橋通りが、扇橋3丁目で南東方向に折れ南砂へ向かう。 その扇橋3丁目の分岐点を通過する。、、、、、右側の道が清洲橋通り。

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●am9:37
・・・・・・・・・・扇橋3丁目で、横十間川親水公園の上に架かる岩井橋を渡る。 この橋は、最初、享保3年(1718)頃に架けられた。 現在の橋は、関東大震災復興橋として昭和5年(1930)に架けられたものである。、、、、、橋の名は、鶴屋南北の東海道四谷怪談の"お岩さん"に由来しているらしい。 砂村隠亡堀の場は、この近辺だそうだ。、、、、、橋の親柱が灯篭をイメージしたデザインに見えるのは私だけか? 『ウラメシ~ヤ~!』

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●am9:48
・・・・・・・・・・南砂1丁目で、JR貨物南砂線の境川架道橋の下を歩く。 境川架道橋は越中島貨物線 を通すガードである。、、、、昭和49年(1974)、奥村組の施工で架けられた。、、、、、、今日はガード下から見上げて通る。 

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・・・・・・・・・・・・・・ガードを抜けた位置に、志演尊空神社がある。 神社は、志演神社と、尊空神社が、昭和22年(1947)に合併してできたそうだ。、、、、、、ガードをくぐる低い位置からパチリ!

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●am9:52
・・・・・・・・・・明治通りと交差する境川交差点を通過。

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●am10:01
・・・・・・・・・・丸八通りとの交差点を通過。、、、、、暖かな春なのか、シャツの下には汗がジワリジワリと出てきた。 『暑い、氷あずきが食べたい!』

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●am10:10
・・・・・・・・・・かつて都電の終点であった葛西橋停留場のあった旧葛西橋交差点に到着。、、、、、ここから先の荒川土手までは、半月前に来た道である。

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●am10:10
・・・・・・・・・・清洲橋通りの端、東砂六丁目交差点に着きました。 道路名の表示板も一方向に向けて示され、端まで来た実感がわいてきた。

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●am10:17
・・・・・・・・・・清洲橋通りが突き当る荒川土手に上り、荒川を見て、振り返り清洲橋通りの端まで来たことを実感した。 『浅草橋から葛西橋まで、清洲橋通りの制覇、おめでとう! 帰りは亀戸のくず餅買って、お祝いだ!』

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