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2016年4月25日 (月)

大森~蒲田

大森駅から蒲田駅まで、1万1千歩、8kmの散歩です。



①大森駅東口
・・・・・・・・・新橋~横浜間に鉄道が開業した明治5年(1872)から、わずか4年後の明治9年(1876)6月12日に大森駅は開業した。 この時から、大森駅の玄関口として、海側(東側)に改札口が設けられていた。 現在の東口駅ビル(アトレ大森)は昭和59年(1984)に完成した、地下1階/地上8階建ての商業施設+ホテルの複合ビル。、、、、、ちなみに、山側の現:山王口 は大正2年(1913)に開設された。、、、、、、、大森駅東口近くに、昭和40年頃から日立製作所 のコンピュータ事業部があり、日立製の大型コンピュータの営業拠点であった。 ユーザ企業のコンピュータ部門に勤務していた私には、訪れることの多い駅で、日中はコンピュータの操作・プログラミングなどの研修を受け、たまの夜には飲み会など、約20年間利用させてもらった駅である。

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・・・・・・・・・・・・・・大森周辺はマンション、公営住宅が多く、これから出勤のサラリーマンもいる。 また、工場、オフィスも多く、勤務先へ向かう人もいて、朝の駅周辺は、行き交う人も多い。

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②C57-66
・・・・・・・・・・・・大森駅から線路沿いに約500m、徒歩8分程の入新井西公園に、昭和13年(1938)8月20日、川崎車両製造(株)にて製造された蒸気機関車C57-66が保存されている。 この機関車は、昭和48年(1973)6月20日に廃車となるまの35年間に、梅小路機関区→宮原機関区→門司機関区→大分運転所→宮崎機関区で活躍した。 この間、地球を79周する3,124,321.6km走行した。、、、、、現在は公園の片隅に保存されているが、動輪は動くように保存され、毎日、時間を決めて動かしている。

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③学校踏切
・・・・・・・・・・・・西側は山王3丁目、東側は大森北4丁目、線路を4本(京浜東北線2線、東海道線2線)越える長い踏切がある。 児童の通学用に設置されたのか「学校踏切」と名付けられている。 遮断機が下りっぱなしの開かずの踏切のようだ、昨年の10月にはお年寄りが二人、遮断機をくぐり渡ろうとして死傷事故となったそうだ。、、、、、私も自分に言い聞かせている、『踏切は、くれぐれも注意すること!』

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④熊野神社/善慶寺
・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・山王3丁目、池上通りの裏道の坂を行くと、『おや!工事中。』

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・・・・・・・・・・・・・・『工事の邪魔しちゃ可愛そうだ!』と、左の道に入っていった。

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・・・・・・・・・・・・・・階段下で、『こりゃ、なんだ!』 長そうな階段見て、ガックリ。

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・・・・・・・・・・・・・・階段上で振り返り、『高い処へ来たもんだ。』

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・・・・・・・・・・・・・・目の先に、見える鳥居は何じゃらホイ!

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・・・・・・・・・・・・・・・息はハアハア、胸はドキドキ、腹はペコちゃん。 着いた処は、高台の鎮守の森の中、山王熊野神社に脇道から参拝した。、、、、、、、山王熊野神社の創建年代は不詳。 平将門の乱の鎮圧に下向した藤原恒望に従った熊野五郎武通が当社に戦勝を祈願したと伝えられている。 元和年間(1615~1624)にこの地域新井宿村の地頭木原木工允が日光造営の棟梁を務めた際にその余材で当社の社殿を造営したといわれているが、現在は鉄筋コンクリートの社殿になった。

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・・・・・・・・・・・・・・・参拝済んで、急な階段坂の参道を下ることにした。 上から覗くと鳥居が見えるが、これは途中の鳥居。 階段はまだ続く!

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・・・・・・・・・・・・・・下から見上げると、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・そして階段下から、鳥居の先の参道を見ると、左手には善慶寺の本堂、右手は墓地があり、参道は善慶寺の山門に向かう。、、、、、、ナント! 熊野神社は善慶寺の境内の先にあり、善慶寺は熊野神社の別当寺であった。

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・・・・・・・・・・・・・日蓮宗の善慶寺は、天正年間(1573~92)に開創され、正応4年(1291)に当地の増田三郎右衛門が、善慶寺を創建したといわれている。 

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・・・・・・・・・・・・・・善慶寺の墓地に、「義民六人衆の墓」がある。、、、、、新井宿(現:大田区中央7)村の農民は、延宝年間(1673年から1681年)に領主木原氏の厳しい年貢の取立てに耐えかねて、村役人6人が直訴することを計画した。 しかし事前に察知され、延宝5年(1677)6人全員が斬罪に処せられた。 その後、村人が、父母の墓という名目で六人衆の墓を建て、供養した。

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・・・・・・・・・・・・・・山門を抜けると、もと来た池上通りに出た。 一周御苦労様!



⑤春日神社
・・・・・・・・・・・・・環七通りを横切り、大田区中央1丁目に入ると新井宿村の鎮守であった春日神社がある。 鎌倉時代の創建と伝えられており、創建時の氏子は9軒だったそうだ。、、、、、今では、本殿は立派な木造春日造りの堂々たるものである。 昭和13年(1938)の建設。、、、、、、9軒の氏子が900軒の氏子になったようだ!

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⑥木造の商家?
・・・・・・・・・中央4丁目の商店街にある、懐かしいい構えの商家風建物。今では珍しい木造の出窓と、玄関の木製建具、いいね!

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⑦福興観音/観音通り商店街
・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・中央3丁目、池上通りに面し「KANNONDORI」のアーチが見えた。 これはきっと、巣鴨の地蔵通りのように、中央に大きな寺があり、美しい観音様の像が迎えてくれるかと期待を大にして、商店街を歩く、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・約300m歩き、観音様とご対面できた。 商店街が中程で“く”の字に折れる地点があり、そこの一角に小さな観音様が祀られてた。、、、、、、昭和22年(1947)、戦後の復興を祈願し、大田区中央の地元有志が復興観音を建立した。 そして、その観音堂を中心に生まれたのが「観音通り商店街」ということだ。 客寄せパンダならぬ、客寄せ観音様か?

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・・・・・・・・・・・・・・・チョイと残念、ガッカリ気分で、商店街の反対側の端まで歩いた。

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⑧呑川・・・・・・・・・・・・・世田谷区桜新町を水源として、大岡山、池上、蒲田を流れ、羽田空港の手前で東京湾に注ぐ二級河川の呑川(のみかわ)。 臭わないが、色はわるい、まだまだけして綺麗とは言えない川。 この川を越え蒲田に近づいた。

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⑨蒲田の名物学校
・・・・・・・・・・・蒲田と言えば、駅前の「日本テレビ技術専門学校」、「日本電子工学院」と“おじさん”は思っていたが、、、、、ナント、名称は「東京工科大学 蒲田キャンパス」となり、校舎も大きく建て替え、ビックリ仰天!、、、、、、時代はドンドン変わる 

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●・・・・・・・・・・・・・・蒲田駅から帰宅。

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