足立・梅田・関原
東武伊勢崎線五反野駅から西の方角に、足立区足立・梅田・関原の各町を抜け尾竹橋通りまで、1万1千歩、8kmの散歩です。
①五反野駅・・・・・・・・・・大正13年(1924)10月1日に、両隣の小菅・梅島の両駅とともに開業。 島式ホーム1面2線の高架駅。、、、、、、21年前の平成7年(1995)、オームの地下鉄サリン事件がおきた、私の会社の同僚が被害を被り実家のある五反野駅近くの病院に入院し、見舞ったことを思い出す。 同僚は幸い軽かったので、現在はピンピンして活躍中。、、、、、五反野駅は、私に事件を忘れさせない駅である。


・・・・・・・・・・・・・・・“商店街”といえるか、どうか? 駅前の通り。

②足立氷川神社・・・・・・・・・・・足立4丁目に、素盞嗚尊を祭神として祀る氷川神社がある。 この付近は足立区千住4丁目の飛び地が多く、氷川神社(千住)を鎮守とする千住4丁目と縁が深かったことから、氷川神社が建立されたそうだ。、、、、荒川を挟み千住の飛び地が足立にあったとは、知らなかった!

③曙湯・・・・・・・・・・・足立区には、現在40軒程の銭湯が残っている。 そのうちの一軒、昭和32年(1957)に建てられた曙湯。 まだ、営業前でシャッターは下りた状態だが、クラシックな唐破風の外観、内部には滝のある庭もあるそうだ。 これぞ、“江戸の銭湯”と言えるらしいが、私は利用したことがないので断定できず、残念、無念!

④足立4丁目の裏道・・・・・・・・・・曙湯の前の路地を入り、先の見通せぬ路を、右に折れ、左に折れ、日光街道に出た!、、、、、





⑤梅田の3寺・・・・・・・・・荒川の北岸、足立区梅田の町に在る3寺に立ち寄った、、、、、どの寺も立派な本堂を構え、“坊主丸儲け”? 失礼しました。
・・・・・・・・・・・・・・真言宗豊山派の鷲谷山常楽院真福寺。 創建年代は不詳。


・・・・・・・・・・・・・・日蓮宗の善立寺は応仁2年(1468)の草創で、三河安城から岡崎へ移転、さらに天正19年(1591)江戸内幸町へ移転し、その後、下谷へ移転。 江戸期には身延山久遠寺末の触頭として塔頭10ヶ寺を擁していた。 昭和25年、現在地(梅田)へ移転。、、、、、現本堂の設計はアイエムエー都市建築研究所。、、、、、私の個人的な感想として、“好きになれないデザイン”。

・・・・・・・・・・・・・・真言宗豊山派の明王院は、万徳山梅林寺と号す。 明王院は、治承2年(1178)源為義の三男義広が建立した。 後に、明王院のかたわらに天満宮を勧請して、万徳山梅林寺と号し、姓を梅田と改めたことから、周辺の地名も梅田と呼ばれることになった。、、、、境内は広く、鐘楼、庭園などもある。







⑦関原八幡神社・・・・・・・・・・八幡神社は、関原通り商店街に面して鎮座している。 大聖寺の守護神として創建され、明治3年(1870)現在地へ移転した。、、、、、商店街のイベントスペースとして、ちょうどいいね。

⑧大聖寺・・・・・・・・・・・関原通りに面する真言宗豊山派の大聖寺は、関原山不動院と号し、関原不動尊として信仰を集めている。 関原不動尊大聖寺は、宝徳元年(1449)開山とも文明7年(1475)開山ともいわれ、どっちなんだ!、、、、、不動尊は秘仏で、見せないよ!

⑨旧愛恵学園幼稚園舎・・・・・・・・・・昭和5年(1930)、「愛恵学園」の園舎として建てられたもので、現在は関原地区のコミニティー施設「敬愛まちづくり記念館 」として利用している。、、、、、いまでも、建物の中から園児が飛び出してくるようだ。

« 石原・本所 | トップページ | 阿佐ヶ谷~鷺ノ宮 »