木下街道 (船橋法典~馬込沢)
一昨日の続きで、木下街道を船橋法典駅(JR武蔵野線)から馬込沢駅(東武野田線)まで歩いてきた。 1万1千歩、8km。
①船橋法典駅・・・・・・・・・・起点:府中本町から、終点:西船橋まで、公営ギャンブル場を数珠つなぎする武蔵野線、船橋法典駅は中山競馬場最寄り駅。 ちなみに、府中本町駅は東京競馬と多摩川競艇の最寄り駅。 戸田ボート、川口オートは武蔵浦和、南浦和乗り換えでスグ。 浦和競馬は南浦和下車。 船橋競馬、船橋オートは西船橋の隣駅:南船橋駅が最寄り駅。 『オヤ?この中に競輪場がないね』、心配無用、新秋津駅で無料バスに乗り換えれば、20分で西武園競輪場。、、、、、いずれ、武蔵野線にギャンブル・ツアーに便利な『開運 ギャンブル号』が運行されるかも。


・・・・・・・・・・・・駅前の木下街道にでる。、、、、チョイと曇り空が気にかかる

②七面堂・・・・・・・・・船橋法典駅から400m程歩くと、木下街道に面して、階段の上に小さな七面堂(船橋市藤原2)がある。 江戸初期の天和(1681~1684)頃に創建されたものが再建されたそうだ。、、、、、七面さまは、身延山の守護神:七面天女(七面大明神)のことで、本地は竜女、弁才天、または吉祥天であるから美女である。 堂は閉じられ美女の御尊顔を拝することはできなかった。、、、、賽銭を入れたら、『チョットだけよ!』と言って、チラット姿を見せてくれると、ありがたいのだがね。

・・・・・・・・・・・(上の写真)階段下の墓石の形をした石の左側に小さな標柱がある。 ここに「海軍」と刻まれている。 この地は海軍が管理していたのか?

③藤原観音堂・・・・・・・・七面堂から街道を500m程歩くと、次は観音堂がある。 またもや美女系の仏を祀る堂、こんどこそ顔を見てみたいと思ったが施錠されていた。 賽銭を入れる穴からカメラを入れてパチリ。 撮ってガッカリ、艶っぽい観音様はどこにもいない。、、、、、あとで知ったことだが、観音堂に祀られる観音様は身代わり観音と呼ばれ、大切にされ、33年に一度御開帳される秘仏だそうだ。 次は2027年になるらしい、私が仏になっているかも?

・・・・・・・・・・・・これも、あとで知った話だが、、、、、観音堂がある、この場所には、かつて修行中の宮本武蔵が住んでいたそうだ。(嘘か真か、武蔵のみぞ知る) 松尾芭蕉や十返舎一九も鹿島神宮詣で、木下街道を通ったので、観音堂に立ち寄ったかも、この観音堂は歴史ヒストリアの舞台かも?

④藤原神社・・・・・・・・観音堂から更に200m程進むと、街道の左側には藤原神社(船橋市藤原3)がある。 神社のある藤原新田は開墾して延宝3年(1675)に村となった。 開墾発頭人:鈴木甚右衛門家が本姓”藤原氏”であったことに因んでいる。

・・・・・・・・・・・・この付近では、街道を歩くにも歩道幅が狭く、横を大型のダンプが飛ばしていくと、風で飛ばされそう。 歩行者には危険な道である。

⑤上山神明宮・・・・・・・木下街道を挟んで、藤原神社の向かいに、上山神明宮の参道入口の鳥居が見える。、、、、、チョイと街道から外れ参道を奥へ進む。

・・・・・・・・・・・・上山神明宮(船橋市上山町2)は、旧上山新田村鎮守さま。 延宝2年(1674)の創建。 広い境内には、神明造の本殿のほかに、牛頭天王宮、三峰神社、古峯神社、稲荷大明神、道祖神等の境内社もある。、、、、木立に囲まれ、『おらが村の鎮守さま』の風情が残る。


⑥船橋市藤原5丁目付近の木下街道・・・・・・・・・狭い街道 そんなに急いで どこへ行くのか わからない



⑦上山町3丁目の住宅・・・・・・・・藤原5丁目付近の木下街道の南側は上山町3丁目で、一帯は新興住宅地のようだ。 チョイと街道をはずれ奥へ歩いてみた。 新しい、おしゃれな分譲住宅が並んでいる。


⑧熱田神社・・・・・・・上山町の道に、方向感覚を狂わされ、階段、坂をアップ・ダウンし、熱田神社の前に出た。、、、、木下街道の南側をグニャグニャ歩いたようだ。



・・・・・・・・・・・・熱田神社(船橋市旭町2)は、旧後貝塚村鎮守。 樹木の茂る境内は思ったより奥行きがあり広く感じた。 社殿は、木々が邪魔し、撮影できず。


・・・・・・・・・・・・熱田神社に手を合わせ、木下街道に戻った

⑨馬込沢駅・・・・・・・・・・大正12年(1923)、法典駅として開業し、翌年に馬込沢駅と改称した。 地名の「馬込沢」は、駅ホームの北側がかかる鎌ヶ谷市の地名である。 駅の南側は、船橋市藤原7丁目である。、、、、、、相対式ホーム2面2線を有する地上駅だが、盛土上にホームがある。 改札口はホーム下に、半地下の状態で造られている。




