東十条~大師前
昨日は赤羽駅、今日は手前の東十条駅から歩いてみた。 駅から東に向かい、西新井大師の最寄り駅:大師前駅まで、1万4千歩、10kmの散歩です。
①東十条駅北口・・・・・・・・京浜東北線の前身である京浜線が、赤羽まで延伸された昭和6年(1931)8月1日、途中駅として「下十条駅」 が開業した。 下十条駅が「東十条駅」に改称したのは、昭和32年(1957)である。、、、、2つの島式ホームで中線1本を挟む2面3線の地上駅。 改札口はホーム両端の跨線橋上にある。 北口は改札を出ると橋上で東西に分かれ、西側は台地の崖上に出る、東側は東十条商店街に出る。


・・・・・・・・・・・・駅前から「東十条商店街」が東に向かい約800m伸びている。 地下鉄南北線が地下を走る「北本通り」まで続く、長~い商店街だ。 朝は店も開いておらず、ひたすら駅に向かうサラリーマンを避けて歩くことになる。


・・・・・・・・・・・・東十条商店街の端は、北区神谷1丁目の北本通りの交差点である。


②道なりに進む・・・・・・・東十条商店街から、北本通りを横切り、さらに道なりに先へ進む。
・・・・・・・・・・・・神谷1丁目あたりは、マンション、URの住宅などが建ち並ぶ、、、、

・・・・・・・・・・・・「東京成徳大学 中学校・高等学校」の校舎(北区豊島8)が、、、、、大正15年(1926)の創立。 青江三奈の母校。

・・・・・・・・・・・・道は、北区豊島7丁目で、真言宗豊山派の清光寺にぶつかる。 清光寺は、豊島清光が開基となり創建、鎌倉期は大寺でしたが、太田道灌との戦いに敗れた豊島泰経とともに衰退、戦国時代末期の豊島明重が再興した。


③新田橋・・・・・・・・・・・隅田川に架かり、北岸の足立区新田地区と、南岸の北区豊島地区を結ぶ新田橋(しんでんはし)。 5径間単純鋼桁橋で、橋長は114.0m、幅員は9.0m、昭和36年(1961)の竣工である。、、、、かつての木橋時代の橋脚を模して、A字型の橋脚として、古き橋を偲ぶデザインとなっている。、、、、、この橋は都が架けたものではなく、北区が架けた橋である。 予算がないのか?、高欄の塗装などが剥げ落ちている、早く修理して!




④荒川堤防・・・・・・・・・新田橋を渡ると足立区新田地区である。 新田は隅田川と荒川に囲まれた三角州のような地区である。、、、、、新田の荒川岸は高い堤防で守られているが、下から見ると、谷底から見上げるようだ。 上から見ると、5階ぐらいから見下ろすようだ。 チョイと高すぎるね!


⑤鹿浜橋・・・・・・・・・・・・荒川に架かる環状七号線の橋。南岸の足立区新田と北岸の足立区鹿浜をつなぐ橋として、昭和40年(1965)に開通した。 橋長は451.3m。




⑥鹿浜虫切り・・・・・・・・・鹿浜橋を渡り、鹿浜1丁目に入り脇道に「鹿浜虫切り」の看板を見つけた。 地元では有名な鍼灸院らしい。(私の住む、浅草橋では聞いたことがないね。)、、、、“虫切り”とは、奈良時代から伝わる、夜泣き、ひきつけ、食が細いなどの、赤ちゃんの“かんの虫”を抑える療法。 かんの強い赤ちゃんの神経をほぐし、穏やかな心を促進するといわれています。、、、、屋敷のような門構えの、“ありがたい”鍼灸院のようだ。、、、、できれば、妻の癪の虫と、我が腹の虫も退治してほしいね。

⑦環七通りをひたすら歩く・・・・・・・・・鹿浜虫切りをあとにして、鹿浜交差点から環七通りを歩くことにした。 幹線道路は大きな建物、新しい建物、ファミレス、中古車販売などが並び、散歩では、私好みの見るべきものが少なく、スタコラサッサ、ホイサッサと歩けるのだ。、、、、、鹿浜交差点から、大師線大師前駅までは、約3kmのほぼ直線道路。

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