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2016年5月18日 (水)

赤羽の団地

赤羽駅で下車し、『どっちの方角に歩こうか?』と自問。 『チョイと、久しぶりに来たので、赤羽台団地でも見て行こうか。』と自答。 赤羽台団地に足を踏み入れ、ついでに隣の桐ヶ丘団地にも寄ってみた、広い団地で適当に歩いていたら、タイムアウト!。 結局、赤羽駅に戻り、1万歩、7kmの散歩となった。


赤羽駅・・・・・・・・明治16年(1883)に上野~熊谷間(日本鉄道)が開通したが、この時はまだ赤羽駅はできてなかった。 明治18年(1885)3月1日、大宮方面から品川に向かう路線(現:埼京線、その前は赤羽線。)の分岐駅として赤羽駅が設置された。、、、、一日約9万人が乗車する駅であり、埼京線、京浜東北線、宇都宮線、高崎線、湘南新宿ラインの乗換駅でもある。 朝の通勤時間帯、乗換客でホーム下の通路は、もの凄い人の流れである。

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②大坂・・・・・・・・坂の案内には、『この坂は、赤羽根駅西口から赤羽台団地へ登る坂で、古くから往来の多い坂です。昔は、赤羽から上の台(うえんだい)に登り、旧板橋街道に抜ける坂でした。大坂(おおさか)の名は、その昔「小坂」と呼ばれた清瀧不動(きよたきふどう)の石段に対するものとして付けられました。ここは、狸(たぬき)にまつわる民話が残っているところで、狸坂とも呼ばれます。また、政右衛門坂(まさえもん)坂と呼ぶ人もいます』と、標されている。、、、、どこにでもある、何の変哲もない坂。 なぜか、懐かしさを感じる、私の好きな坂。
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赤羽台団地・・・・・・・・大坂を上ると、そこは赤羽台団地である。、、、、、昭和37年(1962)から、日本住宅公団による、東京23区内では初めての大規模団地として建設された。 全55棟、3373戸。、、、、、赤羽台団地では、建物の老朽化、耐震上の課題などもあり、平成12年(2000)に建替え事業に着手した。 平成18年(2006)から、「ヌーヴェル赤羽台」として、順次、新しい建物に生まれ変わっている。

・・・・・・・・・・・・大坂を上がると、錆の出た古い案内図がある。 よく見ると、団地左側にはヌーヴェル赤羽台A・B・C街区が加筆修正されている。 しかし、これもまた古くなった、現在はD街区も誕生している。
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・・・・・・・・・・・・昭和37年の建物か? 棟番号が一桁の棟が並んでいる。、、、、いずれ建て替えられる運命だ!
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・・・・・・・・・・・・団地内に祀られている猿田彦大神、、、、、、神社というより祠である。、、、、“猿田彦”はコーヒーの神様ではなく、道祖神信仰と結びつき、性にまつわる信仰の部分だけを取り出したようなチョイとスケベな神さまで、男女の縁結び、出産、性病治癒などに霊験ありと言われている。 建築の神様でもある。
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・・・・・・・・・・・・団地内に残るスターハウス、、、、、、昭和30年代に建てられた、星型住宅(平面を見ると、中央に階段があり、3方向に部屋が配されている)が、ここには4棟残されている。、、、、、公団では昭和39年(1964)に名和団地(愛知県)でのスターハウスを最後に建築していない。 貴重な建物である。
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・・・・・・・・・・・・ヌーヴェル赤羽台、、、、、、各街区は中央に駐車場を配して、四角く囲むように高層の棟が建っている。
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④法善寺・・・・・・・・♪♪ 包丁一本 さらしに巻いて 旅へ出るのも 板場の修行 ~~~♪♪は、藤島桓夫が歌う「月の法善寺横丁」。  ♪♪ 赤い夕映え 通天閣も 染めて燃えてる 夕陽ケ丘よ 娘なりゃこそ 意地かけまする  ~~~ 恋の思案の法善寺 ~~~♪♪は、フランク永井が歌う「大阪ぐらし」。、、、、、どちらも大阪の法善寺が舞台の、いい歌だ。、、、、、法善寺の参道を、雪駄をつっかけ、懐には包丁をしまい、雪の中行く我が姿。 横に唐傘を差し向ける我が恋女房。 いいね、映画のワンシーン。、、、、、現実は、暖簾のさがる横丁はなく、恋と意地をかける水掛不動もない、あるのは法善寺幼稚園。 こちらは、赤羽の法善寺だ。、、、、、大正12年(1923)、浅草清島町から現在地(赤羽台)に移ってきた浄土真宗の法善寺。
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桐ヶ丘団地・・・・・・・・・・赤羽台団地の西側に広がる都営アパート。 北区桐ヶ丘の町の大部分が都営住宅で占めている。 桐ヶ丘には、「都営桐ヶ丘アパート」として昭和34年(1959)~昭和50年(1975)にかけて建てられた、約140棟、総戸数約2200戸と、「都営桐ヶ丘一丁目アパート」として平成10年(1998)~平成21年(2009)に建てられた、約40棟、総戸数約2000戸がある。、、、、、今日の散歩は、団地内に緑の多くし、小さな棟を多く配した、北側の地区を重点的に歩いてみた。

・・・・・・・・・・・・北側地区の案内図も色あせ、作り直して欲しいね。

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・・・・・・・・・・・・南側に増築し部屋を広げた棟が多くみられるが、北側は古さが目立つ。
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・・・・・・・・・・・・給水塔は静かに団地を見下ろしている。
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・・・・・・・・・・・・桐ヶ丘団地では、昭和30年代のスターハウスに変わり、昭和40年代の四角いボックス型のポイントハウスが残っている。
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・・・・・・・・・・・・緑の多い明るい団地だが、住んでる人は高齢者が多いようだ。
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・・・・・・・・・・・・東側地区、西側地区は緑も少なく、中・高層の建物が道路に面して並ぶ。
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・・・・・・・・・・・・桐ヶ丘中央商店街、、、、、、団地の中央に位置し、30店舗以上が店を開けているはずだが、空いてる店は5店舗ぐらい。 他の店は、シャッターが下りっぱなしのようだ。、、、、、真昼のゴーストタウン?
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・・・・・・・・・・・・店の前に便器!、、、、、誰がここでやるのだ? 商売の邪魔、早くどかして!
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