千葉寺
京成電鉄千原線の千葉寺駅から千葉大医学部まで、8千歩、6㎞の散歩です。
①千葉寺駅・・・・・・・・千葉寺駅(ちばでらえき)は、千葉市中央区千葉寺町にある京成電鉄千原線の駅。、、、、、平成4年(1992)に、千葉急行電鉄の千葉中央~大森台間の開通に伴い開業した。 平成10年(1998)に、千葉急行電鉄は京成電鉄へ譲渡され、駅は京成千原線の駅となる。、、、、、千原線は全線複線化可能な状態で、用地取得や、駅・路線の建設などが行われたが、開通時より全線単線で営業されている。 そのため、千葉寺駅は相対式ホーム2面2線の駅として造られたが、現在は1面1線の高架駅として使用している。、、、、、駅名は「ちばでら」で近くのお寺は「せんようじ(千葉寺)」。 「あさくさ(浅草)」にある「せんそうじ(浅草寺)」、「くまがや(熊谷)」の「ゆうこくじ(熊谷寺)」と同類だ。



②千葉寺・・・・・・・・千葉寺駅から北へ600m程歩いた処にある千葉寺(せんようじ)。 真言宗豊山派の寺は海上山と号し、本尊は十一面観音である。
・・・・・・・・・・・・いまだ来たことのなかった寺なので、駅から適当に歩いたら、病院裏の急な坂を上がることになった。、、、、千葉寺は高台の上にある。

・・・・・・・・・・・・坂の上には、大網街道がとおり、文政11年(1828)の建築である仁王門は街道に面して建っている。、、、、、、仁王門は千社札をベタベタ貼られ、年寄りの膏薬のようだ!


・・・・・・・・・・・・鐘楼も文政11年(1828)に建てられた。

・・・・・・・・・・・・奈良時代の和銅2年(709)この地を訪れた行基が十一面観音を安置したのに始まり、聖武天皇の命により千葉寺と称したと言われている。1160年(永暦元年)に堂宇を焼失している。 千葉氏の居城である千葉城(亥鼻城)に近いことから千葉氏の祈願所となった。、、、、、、本堂(観音堂)は先の大戦で焼失し、昭和51年(1976)に鉄筋コンクリート造で再建された。


・・・・・・・・・・・・境内の大イチョウ、、、、、、、和銅2年(709)に行基がもたらしたといわれている。 観音様だけでなく、イチョウも持ってきた行基は、よく気の付く僧だね。、、、、樹高30m、目通り8mもある大イチョウとなった。 イチョウの乳房も大きくなり、婆さんの垂れ乳のよう。

③カトリック千葉寺教会・・・・・・・・・・・千葉寺前の大網街道を北へ歩くと、小高い丘の上に十字架を掲げた教会があった。 教会好きの私は、即、お立ち寄り。、、、、昭和30年(1955)、聖コロンバン会によって約300坪の用地が取得され、翌年に鉄筋コンクリート造2階建ての司祭館と、半地下の旧聖堂(現在のホール)が完成した。 昭和42年(1967)には現在の聖堂が旧聖堂の上部に完成した。 シンプルな聖堂である。



④妙導寺・・・・・・・・・・カトリック教会のある丘の上の裏道を行くと、本門佛立宗の妙導寺があった。、、、、、「本門佛立宗」の寺は、浄土宗、日蓮宗などと比べると少ない。 我が祖父母は東京の乗泉寺(渋谷)の信者で、小学校入学までの我が身は、毎週、寺に付いて行ったことを覚えてる。 御経も、いまだ忘れずに記憶しているほどだ! 我が義父は妙要寺(小岩)の信者。 我が祖父母は西千葉の唱題寺に眠っており、我が身の合格祈願は清雄寺(本所)と、いずれの寺も本門佛立宗である。、、、、「本門佛立宗」の文字を見たら、手を合わせたくなった。 チョイと立ち寄り合掌!

・・・・・・・・・・・・妙導寺から、千葉市中央区葛城の裏道を歩いていると、向こうの丘の上に、見覚えのある千葉大医学部の建物が見えた。

・・・・・・・・・・・・以前来たのは2年前、『行かずばなるまい、男の義理だ!』と、勝手に思い、坂を下り、また上り、足が向かうは千葉大医学部!

・・・・・・・・・・・・着いた処は千葉大医学部本館。、、、、、、昭和11年(1936)に、柴垣鼎太郎(文部省)の設計、大林組の施工で建てられた、鉄筋コンクリート造4階建ての巨大な病院建築。 外壁はスクラッチタイル貼り、落ち着いた雰囲気の建物である。、、、、、チョイと内部も拝見。








●・・・・・・・・・・・本館を見たところで、雲行きが怪しくなってきた。 千葉駅から帰宅することに、、、、、