浜町川
東京は33℃の真夏日。 熱中症を避け、15時過ぎから、昨日歩いた竜閑川が流れ込んでいた浜町川の跡を歩いてきた。 浅草橋の我が家から箱崎まで、1万2千歩、9kmの散歩です。
①竜閑児童公園・・・・・・・・中央区日本橋小伝馬町の公園。 日本橋川から分岐した竜閑川が浜町川に合流する地点で、ここからは浜町川の跡が人形町を抜けて箱崎まで続く。 そして、浜町川は隅田川に合流していた。、、、、、浜町川は、元禄4年(1691)に竜閑川とつながり、さらに明治16年(1883)には神田川まで延長された。 戦後は、戦災の瓦礫・残土により、昭和25年(1950)に小川橋以北の神田川寄りが埋め立てられ、昭和49年(1974)には小川橋から隅田川までの残りの部分も埋め立てられ消滅した。
・・・・・・・・・・・・竜閑児童公園の裏に、浜町川の跡が千代田区岩本町3丁目(神田川)と中央区日本橋箱崎町(隅田川)を直線で結ぶように伸びている。

・・・・・・・・・・・・神田川から分岐した浜町川は、公園の裏を抜け人形町方面に伸びていく。


・・・・・・・・・・・・埋め立てるにあたり、中央に下水管を埋設したのか(?)、随所に下水道局の注意書きが設置されている。

②鞍掛橋交差点・・・・・・・・・・浜町川跡と江戸通りが交差する鞍掛橋交差点。 ここにはその名のごとく、鞍掛橋(くらかけばし)が架かっていた。

・・・・・・・・・・・・写真をよく見ると、中央の道路面が微妙に膨れている。 川を埋め立てた上に建てられた中央の2棟のビルは、1階部分が道路面より下にある。

・・・・・・・・・・・・上の写真の中央2棟のビルの間には細い道がある。 右側は中央区小伝馬町、左のビルは中央区馬喰町、細い道は町の界となっている。


③旧古河銀行元浜町支店・・・・・・・・浜町川跡に近い日本橋富沢町に残る、大正15年(1926)に竣工した旧古河銀行元浜町支店。 現在は結婚式場として使用されている。 設計は中村與資平。、、、、、、結婚式には縁のない歳となり、内部には入って写真は撮りにくいね!

④東日本橋と富沢町の町界・・・・・・・この辺りは浜町堀と呼ばれたところで、木造3階建ての家も残っている昭和の街並み。



・・・・・・・・・・・・川筋と並行する道路側を見ると、、、、、

⑤久松警察署前・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・浜町川の跡は、久松(ひさまつ)小学校の脇を行く。

・・・・・・・・・・・・久松警察署の脇に出る。、、、、、ここには小川橋が架かっていた。 この辺りは川幅も広かったようだ。 これより先、箱崎方面に向けては、中央に浜町川緑道があり、緑道を挟み両側に車道が配されている。


⑥甘酒横丁と交差する緑道・・・・・・・・久松警察署前から伸びる緑道は、日本橋人形町2丁目で、明治座と人形町のメインストリートを結ぶ甘酒横丁と交差する。
・・・・・・・・・・・・明治座公演が跳ねると賑わう甘酒横丁

・・・・・・・・・・・・交差する地点には、かつて、蠣浜橋(かきはまばし)があった。 緑道には、弁慶像が建てられている。、、、、江戸時代、人形町界隈には、市村座、中村座などの芝居小屋があり、人気を集めていた。近くにはまた、人形の製作・修理をする人形師たちも住んでいた。 弁慶像は、“弁慶”に意味があるのではなく、芝居小屋と人形に関係する歌舞伎を象徴したものである。、、、、なんだか、無理やりこじつけた像だ!

⑦Carpet Musse・・・・・・・・日本橋浜町2丁目に、ペルシャ絨毯専門店「カーペットミュゼ」はある。 カーペットミュゼとは、絨毯の博物館という意味で、どなたのリクエストにも応えられる品揃え店らしい。、、、、、鉄筋コンクリート造3階建て(4階は後の増築と思われる?)の建物は、私の推定で昭和10年代の建物と思う。

⑧有馬小学校付近の浜町川の跡・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・新大橋通りが浜町川を渡っていた地点は、首都高速の浜町ランプの出路になっている。 この地点には、かって中之橋があった。

・・・・・・・・・・・・ランプの脇に、明治7年(1874)に設立した老舗の小学校:中央区立有馬小学校がある。 浜町川の追跡はここまで、この先は箱崎のエアーターミナルが邪魔してる。、、、、、校舎は昭和62年(1987)に、現校舎に建て替えられた。


⑨隅田川との合流点・・・・・・・浜町川は有馬小学校のあたりで箱崎川に合流し、実際には隅田川まで流れていない。 しかし、箱崎川は隅田川に流れ込んでいた。 よって、千代田区大手町付近で竜閑川として、日本橋川から分岐した水は、竜閑川、浜町川、箱崎川と、流れ、流れて、隅田川に到達していた。、、、、その到達点まで行ってみたが、只今工事中で近寄れず、残念なり。 写真、左側の建物の陰に合流点がある。
