西新橋
新橋駅の西側のチョイと古い建物を見ながらブラブラ歩いてきた。 1万2千歩、9km。
①新橋駅・・・・・・・・明治5年(1872)10月14日、“汽笛一声 新橋を”蒸気機関車がでていった。 この時の新橋駅(初代)は、元の汐留の地に復元されている。 現在の新橋駅は、明治42年(1909)、烏森駅(からすもりえき)として開業した。 大正3年(1914)には煉瓦造りの本屋が竣工し、同年12月20日の東京駅開業とともに、2代目の新橋駅と改称した。(初代新橋駅は汐留駅と称した)
・・・・・・・・・・・・東口、、、、、東口は「ゆりかもめ」に乗り換え、頻繁に東京ビックサイトに行ったこと思い出すね。


・・・・・・・・・・・・烏森口、、、、、、忘年会・歓送迎会、何かと理由をつけて開く飲み会、思い出多い夜の出入口


・・・・・・・・・・・・日比谷口、、、、、SL広場前の出入口。 朝は顧客訪問前の待ち合わせ、昼は出張前の格安チケットの購入、夜は飲み会前の待ち合わせ、何かとサラリーマンが頻繁に利用する出入口


②新橋駅前のビル・・・・・・・駅の東西、二つの駅前ビル
・・・・・・・・・・・・東口前の「新橋駅前ビル1号館・2号館」、、、、、、1号館と2号館の2棟からなる新橋駅前ビル。 戦後の闇市が並ぶ駅前を、東京都が主体となり建てたビルで、駅前再開発の走りである。 昭和41年(1966)竣工、設計:佐藤武夫設計事務所、施工:戸田建設。、、、、、地上9階建てのビルは、地下は呑み屋がズラリ、1階・2階は飲食・雑貨・診療所などが並ぶ、私がサラリーマンの頃は屋上がビアガーデンでどこぞの国のダンサーが踊っていた。 フラダンス? ベリーダンス? どうでもイイダンス。


・・・・・・・・・・・・西側には「ニユー新橋ビル」、、、、、、こちらのビルは、戦後最大規模の闇市があったエリアの再開発事業として建設された。 低層階の商業フロアには食堂、居酒屋や雀荘、パチンコ、マッサージ店まで非常に多くのテナントが入居して、サラリーマンにはネクタイ、Yシャツも買える、格安チケットもある、レンタルビデオもある、便利なビルであった(過去形)。、、、、、昭和46年(1971)竣工、11階建て、延床面積:58,675.34㎡、松田平田坂本設計事務所の設計、竹中工務店の施工。、、、、、SL広場、ニュー新橋ビル、隣の桜田公園などを含む約3万㎡の再開発が計画されており、只今準備中のようだ。、、、なお、SL広場の「C11 292」蒸気機関車は残す方向で計画されているようです。ご安心を!


③烏森神社・・・・・・・・・・主祭神として倉稲魂命:天鈿女命:瓊々杵尊を祀る烏森神社は、天慶3年(940年)に創建された。、、、、現社殿は昭和46年(1971)に建立したが、築40年以上経過したいまでも、斬新な姿で都心の中にある。 このデザインが、不思議と夜景に合っているのだ。

④堀商店・・・・・・・・明治23年(1890年)に創業し今年(2016年)で126年目という、老舗の錠前屋さん。、、、、、鉄筋コンクリート造4階建ての建物は昭和7年(1932)に建てられた。 設計は公保敏夫、施工は安藤組(現:安藤ハザマ)。 スクラッチタイル張りの重厚なビルは、国登録の有形文化財。


⑤内幸町橋高架橋・・・・・・・新橋1丁目の第一ホテル東京前から千代田区内幸町
1丁目の新幸橋交差点まで続く、明治43年(1910)に完成した煉瓦造の高架橋。 高架橋は、竣工時に電車線と東海道本線の4線分であったが、現在は山手線・京浜東北線の4線で使用している。、、、、大きなアーチが特徴的である。 このアーチの基礎が深いため、店舗の床レベルは半地下として下がっている。

・・・・・・・・・・・・高架橋の南端には幸橋架道橋が架かる。、、、、高架橋部分と同じく4線分ある、明治43年(1910)に竣工した。 しかし、両外側の2線分は、昭和31年(1956)に架け替えられたため、橋脚を見ると、チョイとデザインが異なっている。


⑥崩壊寸前の丸万六号館・・・・・・・・・西新橋1丁目、裏通りに丸万六号館という3階建てのビルがある。 2階から上にはネットが張られ、外壁は大きな亀裂が入り、どう見ても危険な状態である。 1階玄関部分を見ると、ドアも施錠されておらず使用されているようだ。 何事も無いことを祈る!


⑦西新橋2森ビル・・・・・・・六本木ヒルズ、表参道ヒルズを手掛ける、大手デベロッパーの「森ビル」。 虎ノ門・新橋界隈には森ビルがいっぱい。 『そう、その森ビルの第2森ビルです』、、、、、、森ビル発祥の森家は、芝の田村町(現:港区西新橋)で米穀店を営み、副業として借家の経営も行っていた。 森家は昭和30年(1955)に森不動産(現:森ビルの前身)を設立し、翌年(1956)4月に「西新橋2森ビル」を竣工した。 「西新橋1森ビル」(現存せず)は、翌年の昭和32年(1957)11月に完成した。 これ以降、不動産オーナーとして、ビルの竣工順にナンバリングしたそうだ。、、、、つまりは、西新橋2森ビルこそ、デベロッパー「森ビル」が建てた最古の貸ビルである。 現在は空き家となっているが、ここに森ビルの記念館でも整備したらどうだろう。

⑧大坂屋砂場・・・・・・・虎ノ門1丁目に、堂々たる風格で店を構える蕎麦屋:大坂屋砂場。 “砂場”の由来は、大坂城築城に際しての資材置き場のひとつ「砂場」にて店を開いたことに始まる。 大阪が発祥のはずだが江戸に進出して江戸で発展していった。 砂場のうち、巴町砂場と南千住砂場が現存している。 ここ大坂屋砂場は明治5年(1872)に現在地で店を構えた。 昔の家屋を残した砂場としてはここが一番古い。


⑨日本基督教団芝教会・・・・・・・都会のビルに埋もれた教会、昭和11年(1936)に竣工した当時は、周囲に高いビルはなく虎ノ門駅の辺りからも見えたそうだ。 正面のステンドグラスが特徴的なシンプルな感じの教会。、、、、教会の左右と後ろには、西松建設の本社があったが、どうやらこの地域の再開発が始まったようだ。 20年前までは、西松建設に度々訪問したことがあるが、当時の私は仕事に夢中で、仕事以外のものを見る余裕もなく、教会をじっくり眺めたことはなかった。

⑩金刀比羅宮・・・・・・・・虎ノ門の文科省近くに、金刀比羅宮はある。 讃岐丸亀藩主の京極高和が自領である讃岐の金刀比羅大神を、万治3年(1660)に三田の江戸藩邸に勧請、その後延宝7年(1679)に現在地の虎ノ門へ遷座した。、、、、、、社殿は権現造りで、第二次世界大戦により焼失したが、拝殿、幣殿の部分は昭和26年(1951)に再建された。ともに総尾州檜造り、銅板葺きである。日本最初の建築史家伊東忠太の設計校閲による建物で、我が国古来の建築技法が随所に用いられている。 なお、幣殿奥の本殿は、昭和58年(1983)に鉄筋コンクリート造にて復興された。


・・・・・・・・・・・・銅の鳥居は、京極家江戸屋敷にあったもので、文政4年(1821)に造られた。
