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2016年6月 8日 (水)

木下街道 (馬込沢~鎌ヶ谷大仏)

市川市鬼越を起点とする木下街道(きおろしかいどう)の続きを歩いてきた。 今日は、東武野田線馬込沢駅から新京成線鎌ヶ谷大仏駅までです。 1万1千歩、8km。

 



①馬込沢駅
・・・・・・・・船橋駅まではここから3駅目で、都心までは約1時間。 通勤には問題ないベッドタウンである。 船橋へ向かう電車は混んでいる。

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②馬込天満宮・・・・・・木下街道と野田線が交差する踏切の脇に鎮座する天神さま。 天満宮は、江戸時代に、この辺りを開墾した一族の氏神様として祀られたのが始まりといわれている。 社殿は大正9年に改築された。、、、、、境内には、この付近にあったと思われる庚申塔が集められ、並んでいる。
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③馬込町付近・・・・・・・・船橋市と鎌ヶ谷市の市境の近くをとおる木下街道。 馬込沢駅の東側を街道が抜ける町が「船橋市馬込町」。、、、、この付近は、船橋市であるが、総武線沿線の都会的雰囲気はなく、ダンプが飛ばして通る田舎町である。 私は、「狭い歩道を よたよた親爺 怖いダンプが すり抜ける」
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・・・・・・・・・・・・街道の脇には、墓石を集めてコンクリートで積み上げた塔もある。 事故防止のおまじない?
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④道標地蔵・・・・・・・・・木下街道が鎌ヶ谷市に入ったところに「清長庵」という寺院がある。 清長庵は特定の宗派には所属していないようだ。 明治5年(1872)、明治政府は、国民皆学を目指して学制を発布し、その2年後の明治7年(1874)、この清長庵を仮校舎として鎌ヶ谷小学校が創立されたらしい。、、、、、清長庵の境内に市内最古(正徳5年(1715))の道標である「道標地蔵」がある。 その名のごとく、道標を兼ねたお地蔵さまで、正面の両脇に「ゐんざい見ち」(印西道)、「加志ま道奈里」(鹿島道なり)と標されている。 右側面には、「志゛ん本うみち」(神保道)、左側面には、「可ま加゛い道」(釜ケ谷道)と彫られている。
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・・・・・・・・・・・・境内には、この他に、庚申塔や戦没者の古い墓石などが、ズラリ並んでいる。
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⑤ナニ?コレ!・・・・・・・南鎌ヶ谷1丁目にあった看板?
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・・・・・・・・・・・・店の名前は「カワカミ理容室」。 「十九八」は“とこや”と読むのだろう。、、、、、物好きな私は、横道に入り、店を見てきた。 『なんだ、ただの床屋か!』
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⑥延命寺・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・鎌ヶ谷大仏駅周辺は鎌ヶ谷宿と呼ばれたそうだ。 今は、“知らずば素通りする”宿場の面影が薄れた街道。
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・・・・・・・・・・・・延命寺は木下街道沿いに、寛永年間(1624~1644:江戸時代)に市川中山法華経寺の末寺として建てられた日蓮宗の寺。 鎌ヶ谷大仏駅前の飛地墓地に鎌ヶ谷大仏が安置されています。
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⑦旧旅籠「丸屋」・・・・・・・・鎌ヶ谷宿には、明治初年には旅籠屋が4軒あった、その内、唯一現存するのが丸屋である。、、、、明治20年代に新築された丸屋であるが、火事で焼失したそうだ。 その後、明治30年頃、新たに建てられたのが、現存する建物である。、、、、当時は、表に上げ戸の入り口があり、客は正面から入った。 1階は賄場、風呂、自宅部分などがあり、2階には床の間付きの客室あったらしい。 しかし、鉄道開通すると旅人の通行がなくなり、宿はアパートに改装された。 戦時中は軍人の宿泊に使われたが、昭和32年にアパートに改装した。 平成に入り、アパートも閉じた。 文化財として、ぜひ、旅籠を復元して欲しいね!
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⑧鎌ヶ谷八幡神社・・・・・・・鎌ヶ谷駅の隣りに鎌ヶ谷八幡神社がある。、、、、誉田別尊(応神天皇)を祭神とし、寛永6年(1629)に創建された。 鳥居の奥には立派な本殿と拝殿があり、境内はよく掃除が行届き、駅の隣にあるとは思えない神社である。
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・・・・・・・・・・・・参道に沿って、天保年間(1840頃)の庚申塔が、ズラリ100基並んでいる。 壮観だ!
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・・・・・・・・・・・・社殿は、小粒であるが、安定感がある。
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・・・・・・・・・・・境内には、庚申道標がある。 正面に「青面金剛王」と書かれ、台座部分に、「東さくら道」、「西こがね道」と書かれ、庚申塔と道標を兼ねたものである。
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⑨鎌ヶ谷大仏・・・・・・・・鎌ヶ谷八幡神社の前に延命寺の墓地があり、そこに大仏は座り続けている。 安永5年(1776)に鋳造された、青銅製で高さ1.80m、台座含めて2.30mの大仏。 大仏は墓地の入り口近くにあり、檀家の個人が先祖の霊の冥福を祈るために作らせ、墓地の近くに祀ったらしい。 現在も、個人の所有・管理で祀られている。、、、、「大仏」と言う、中くらいの仏さま。
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鎌ケ谷大仏駅・・・・・・・・・昭和24年(1949)1月8日に開業した、新京成電鉄の駅。 島式ホーム1面2線の地上駅で、橋上駅舎を有する。
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