東葛西
今日の散歩は、東西線葛西駅からスタートし北の方向(都営新宿線の船堀駅方面)に歩くつもりが、すれ違った美女に惑わされ、北東方向の東葛西1丁目、2丁目をうろつくことになった。 来てビッククリ、見てビックリ、ナント寺社の多いこと、ついでついでに立ち寄っていたら時の過ぎるのも速いこと。、、、、、帰りは今井からバスに乗車。 1万2千歩、9km。
①葛西駅・・・・・・・・昭和44年(1969)3月29日に開業した東西線葛西駅。 高架線の中央に2線は通過線となっており、その外側に各駅停車用の相対式ホームの2線がある。、、、、、現在は“葛西”と称する町はなく、町名は東葛西、西葛西、南葛西、北葛西、中葛西として、“東西南北中”を冠している。 “白”と“発”を冠したら、麻雀なら“四喜和”から“大三元”、最後は“字一色”で役満である。
①葛西駅・・・・・・・・昭和44年(1969)3月29日に開業した東西線葛西駅。 高架線の中央に2線は通過線となっており、その外側に各駅停車用の相対式ホームの2線がある。、、、、、現在は“葛西”と称する町はなく、町名は東葛西、西葛西、南葛西、北葛西、中葛西として、“東西南北中”を冠している。 “白”と“発”を冠したら、麻雀なら“四喜和”から“大三元”、最後は“字一色”で役満である。



②中葛西稲荷神社・・・・・・・駅の南側「清砂通り」に近い処に鎮座するお稲荷さん。 創立年代不詳。 鳥居の掲額には明治28年(1895)の銘がある。 現:神社は大正2年(1913)の建物である、また、玉垣には大正3年(1914)の年号が見られる。 震災・戦災では被災しなかったのか?



③正應寺・・・・・・・・・駅に近い、新義真言宗の正應寺は、江戸時代初期に創建されたらしい。、、、、、見るべきものなし! 手を合わせ、先を急ぐ。

④葛西親水四季の道・・・・・・・葛西駅の北側:東葛西2丁目に、江戸川と中川を結ぶ水上交通路として栄えた「長島川」の跡(約2km)を、親水公園にした“四季の道”が整備されている。、、、、この長島川跡周辺には、神社、寺院が、ヤタラ・メッタラ・ホンダラ・ドシタラ、多いのにはビックリ・シャックリ・ブギウギ。 調べてみたら、東葛西1丁目・2丁目のあたりは、“葛西村”が陸の孤島であった時代から、大規模な集落があり“葛西”の中でも、歴史ある地域だったそうだ。

⑤長島川跡付近の寺社・・・・・・・・・東葛西1丁目と2丁目の境を流れていた長島川。 川の跡、500m程の距離の周辺にある寺社について、『本邦初、堂々、一挙公開!』
・・・・・・・・・・・・梵音寺、、、、、、曹洞宗の古刹で、慈覚大師が唐から帰朝の際、大時化にあい難破しそうになったが、観世音菩薩の救いで、この地に無事上陸できた。 そこで、この地に一宇を建て菩薩を祀ったのが、寺の始まりらしい。 承和14年(847)の創建。、、、、境内には古い建物は無く、ピッカピカの本堂。

・・・・・・・・・・・・長島稲荷神社、、、、、、梵音寺入口脇の小社。、、、、ハイ! 次に行こう。

・・・・・・・・・・・・桑川神社、、、、、、、旧桑川村の鎮守でもと第六天と称した。 創建年代不詳。 境内には昭和4年(1929)に築造した、「桑川の富士塚」がある。


・・・・・・・・・・・・東善寺、、、、、、真言宗豊山派の東善寺は、医王山応心院と号する。 本尊の木造薬師如来坐像は、眼病に御利益があり、「薬師様」として有名らしい。(私は知らなかったけど) 仁平2年(1152、=平安時代)の開山。、、、、薬師如来の御真言:「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」である。 けして、“ちん ころころ せんずり ×××× ×××”とよんではならぬぞ!


・・・・・・・・・・・・香取神社、、、、、、東善寺の隣には、香取神社がある。 香取神社の創建年代は不詳だが、もと別当寺の自性院を、興した良範法印が文亀元年(1501)に没していることから、戦国時代に創建したものといわれている。、、、、、、昭和26年(1951)には旧長島村にあった八雲神社を境内に遷座した。 また、八雲神社は、昨年、ピッカピッカに建て替えられた。


・・・・・・・・・・・・清光寺、、、、、、浄土宗の清光寺は、文亀2年(1502)に開山した。 当地は、小田原衆所領役帳に記載されている長島高城の城跡であった。 また、中世には豪族の館があったといわれている。、、、、葛飾に城があったとは、ビックリ、仰天!

・・・・・・・・・・・・正円寺、、、、、清光寺の北30m程に、新義真言宗の正円寺がある。 創建年代不詳であるが、文亀元年(1501)に中興されたいわれている。、、、、本堂は新しくなった、只今、本堂前の境内は整備中である。

・・・・・・・・・・・・称専寺、、、、、、、永禄5年(1562)に創建された旧桑川村の古刹で、浄土宗の寺。 また、境内の参道には、万冶3年(1660)の銘をもつ地蔵菩薩像庚申塔と、同年銘の阿弥陀如来像庚申塔がある。、、、、、地さな、静かな寺。


・・・・・・・・・・・・下今井香取神社、、、、、この神社も創建年代不詳。 旧長島村・旧桑川村との村境に位置していることから、「境の宮」と呼ばれていった。

・・・・・・・・・・・・庚申塔もあった、、、、、今日歩いた範囲に3基。 “葛西”は沼地にできた新しい町ではなく、古い歴史ある町で、認識を改めることにした。



⑥新川東水門・・・・・・・・新川は旧江戸川と中川を結ぶ運河で、家康によって造られた。 小名木川とともに、江戸時代の重要な物資輸送ルートの一つである。 その新川が旧江戸川とぶつかる地点に新川東水門がある。 昭和40年(1965)に設置された径間11m×2連のローラーゲート式水門です。



●・・・・・・・・・今日歩いた、新川の北側(江戸川区江戸川)にも、神社、寺院がある。 ここまで書いて、私も疲れたので、今日はここまで。