青砥~新小岩
① 青砥駅 ・・・・・・・・・昭和3年(1928)11月1日、日暮里~青砥間の開通時に、押上線(大正元年開通)からの分岐駅として開業した。 昭和50年代には立体交差化工事が始まり、昭和59年には3層構造の駅となった。



② 本田屋 ・・・・・・・・・・本田屋(ほんでんや)は青砥駅前の酒屋。 青砥駅に下車すると、この建物が壊されず残っていることを願い、確認したくなる不思議な建物。、、、、いつまでも、残して欲しい建物だ!
③ 福森稲荷神社・・・・・・・・・葛飾区青戸1丁目、中川堤防近くにある神社。 福森稲荷神社は、旧福森村の鎮守で、寛政8年(1796)の創建。 社殿は昭和12年(1937)の改築である。 石製の明神鳥居は文政2年(1819)に造られた。
・・・・・・・・・・・・稲荷神社の前から眺める中川。 左から右奥に大きく蛇行し流れ下る。
④ 宝泉寺・・・・・・・・青戸1丁目の真言宗豊山派の宝泉寺は、慶長17年(1612)に創建。 小さな本堂の寺であるが、江戸時代には肥前国平戸藩主松浦家の隠居寺となっていたそうだ。
⑤ 熊野神社・・・・・・・・立石8丁目、奥戸橋を渡る手前に熊野神社がある。 平安時代中期の長保年間(999~1003)に、陰陽師阿部晴明により勧請されたと伝えられ、立石村の鎮守社だった。
・・・・・・・・・・・・安倍晴明は平安時代の最も有名な陰陽師の1人で、鎌倉時代から明治時代初めまで陰陽寮を統括した安倍氏の祖と言われている。 神社の神紋は、中央に八咫烏(ヤタガラス)を配し、周囲を陰陽五行説に因み五角形で囲んでる。
・・・・・・・・・・・・驚くのは、神社の境内である。 境内は、一辺が三十間(54.57m)の五角形にかたどられている。 Googleで上空から見ると、真に五角形。
・・・・・・・・・・・・平成21年(2009)の新聞記事によると、熊野神社の宮司さんは神田明神の宮司で、菅原道真の末裔である。 同年9月、宮司は神職となって50年の記念に、京都で銅製の五重塔(陰陽五行説に因み“五”)を購入した。、、、、その五重塔は、元三井家江戸屋敷に建てられていたものである。 五重塔は、台座を含み高さ7m程であり、神社では銅製五重塔では高さ日本一と称している。
・・・・・・・・・・・・チョイと話はそれるが、、、、、神社の辺りは、「本田(ほんでん)ウリ」の産地であったらしい、境内に表示されていた。 本田ウリは熟すと銀白色になり、真桑瓜の金マクワに対して銀マクワと呼ばれていたそうだ。、、、、、江戸時代の早口言葉、『瓜売りが 瓜売りにきて 瓜売り残し 売り売り帰る 瓜売りの声』、、、、悪乗りして、もう一つ、『そうだ村の村長さんが 曹達食って死んだそうだ 葬式まんじゅう でっかいそうだ』、、、、、懐かしい早口言葉だね!
⑥ 南蔵院・・・・・・・・・熊野神社の南側、中川の岸に真言宗豊山派寺院の南蔵院がある。 南蔵院は熊野神社の別当寺として長保年間(999-1004)に創建された。
⑦ 奥戸橋・・・・・・・・・・・立石と奥戸を結び、中川に架かる奥戸橋。 昭和47年(1972)に完成したが、橋上を通る道路が、主要道なみに整備されていないためか、交通量は少ない。
・・・・・・・・・・・・中川は奥戸橋の下流側でU字型に大きく曲がる
⑧ 奥戸天祖神社・・・・・・・・・・奥戸2丁目の奥戸天祖神社は、当地が葛西御厨であった頃に、伊勢皇大神を勧請し、さらに欲張って、下総の香取・鹿島のニ神を勧請して三社明神と称し、奥戸村の鎮守としたそうだ。、、、、、、現在の社殿は昭和49年(1974)の造営。 今日は、盆踊りの準備中で境内は賑やかだ!
⑨ みのり商店街・・・・・・・・・・新小岩駅の北側、蔵前橋通りを越えると“東新小岩”地区がある。 この地区のほぼ中央を南北に伸びる商店街がある。 新小岩駅といえば、南側のルミエール商店街が有名であるが、北側にはそれに対抗できる商店街は無いようだ。 ここ「みのり商店街」が、北側最大規模であるが、地元密着型の昭和の下町商店街で、夕方にならないと活気づかないそうだ。 約100の店舗で構成されているが、商店街の通りは長く(約600m)、店が密集していないので、チョイとみると寂しいね!、、、、、時刻は午前10時、まだ開店前だ!
⑩ 西井堀せせらぎパーク・・・・・・・・・・みのり商店街を抜け出ると、蔵前橋通りの巽橋交差点から奥戸の森永乳業の方へ向かうバス通りがある。 通りの中央には、水路を埋め立てた、約500mの「西井堀せせらぎパーク」と称する、親水公園もどきの公園がある。、、、、、公園は、意味不明のドラゴン(竜)をイメージした置物が点在し、水の流れない水路があり、誰も座っていないベンチが点在し、誰のための公園なのか?
⑪ 新小岩駅・・・・・・・・・・・・・只今、駅の南北を結ぶ自由通路整備工事を実施中。 平成30年(2018)の完成までは、ここ北口で行き止り。