根岸・東日暮里
① 小野照崎神社 ・・・・・・・・日比谷線入谷駅から西に150m程歩くと、下谷2丁目に小野照崎神社(おのてるさきじんじゃ)がある。 小野篁(おののたかむら)を主祭神とし、相殿に菅原道真を祀る、頭が良くなる神社。、、、、篁(802~853)は平安時代の歌人・学者で、小野妹子の子孫、小野小町と小野道風の祖父。、、、、仁寿2年(852)、住民が上野照崎(現:上野公園)の地に小野篁を奉斎したのが起源である。 寛永年間(1624~43)には、寛永寺の建立のため幕府より移転を命じられ、現在地に遷座した。、、、、、現在の社殿は慶應2年(1866)の建築で、関東大震災、東京大空襲を免れ、運の強い神社。


・・・・・・・・・・・・【余談】嵯峨天皇が「子子子子子子子子子子子子」を、何と読むか小野篁に問うたクイズ。、、、、篁の答えは、「ねこのここねこ、ししのここじし(猫の子子猫、獅子の子子獅子)」と読む。、、、、解説:「子」という漢字には、「ね」(訓読み、十二支から)、「こ」(訓読み)、「し」(音読み、呉音及び漢音)、「じ」(「し」の変化形)の4通りの読み方がある。 よって、答えのような読み方が可能となるそうだ。 頭いいね!
・・・・・・・・・・・・表通りから参道に入るビルの角に神社の標柱、、、、、昭和3年に建てられたもの。 社名は、陸軍大将:明治神宮宮司:学習院院長であった一戸兵衛の筆。
② 鈴木食品工業・・・・・・・・根岸3丁目で、一見、ビルに見える木造モルタル塗りの看板建築。 昭和初期頃の建築か?、、、、、、店は、安政年間(1854~1859)創業の、食品販売の老舗企業。 現在はドレッシング、ソース等を製造販売している。
③ 根岸の路地・・・・・・・・根岸4丁目の路地をチョイと拝見! 敷石を踏んで、私好みの路地を行く! 忘れ去られたゴミ箱も、ワンポイントになる路地。
④ 御行の松不動尊・・・・・・・・・根岸4丁目の不動尊の境内に「御行(おぎょう)の松」がある。 「御行の松」とは、江戸時代に松の木の下で、寛永寺門主が行法を行ったことに由来している。 松は江戸時代の錦絵にも描かれる有名な松で、大正時代には、高さ13.63m、幹の周囲4.09m、推定樹齢350年の大木であった。 残念ながら、昭和初期に枯れてしまい、現在は3代目の小さな松が植えられている。、、、、、その松が植えられていた不動尊で、「御行の松不動尊」と呼ばれ、根岸の人々に親しまれた。 玉垣には、「根岸」の花街時代の料亭・置屋・待合・芸子の名が見られる。
・・・・・・・・・・・・明治の頃の「御行の松」
・・・・・・・・・・・・松より、玉垣を見て、花街の良き時代を想い慕う人もいるだろう

⑤ 為廣商店・・・・・・・・根岸から荒川区東日暮里3丁目に入ると、店先で商売を営む木造住宅があった。 手入れがよいのか、しっかりした建物で、昭和に戻った気分でチョイと眺めさせてもらった。
⑥ 日暮里金美館跡・・・・・・・・日暮里駅からは遠く、三河島駅からも近くない、東日暮里3丁目、小竹橋通りから入った裏通りに「日暮里金美館」の名を発見!、、、、、「金美館」は知る人ぞ知る映画館チェーンである。 大正11年金杉(現:東日暮里)に美須鐄(栃木県烏山出身、1887~1972)が個人商店として会社を創業し、以後、千住の映画館を買収したことに始まり、戦後までの間に、日暮里、川崎、蒲田を中心に映画館を40館近く展開した。 戦後、多くの館は閉鎖され、現在は、川崎駅前にあるシネマコンプレックス「チネチッタ」として、創業者の孫が経営している。 都内に「金美館」の名を冠した映画館は、平成3年(1991)までここにあった「日暮里金美館」で終焉した。 映画館跡はスーパーとなっていた。 ちなみに、このスーパーの前の通りは「金美館通り」と呼んでいたらしい。 (注:入谷にあった、入谷金美館の前の通りも「金美館通り」と呼ばれ、「金美館通り商店街」が現存している。)、、、、、テレビのない戦後の時代、映画館は各地に在り、浅草橋の我が家の周辺でも4館あった。 プロレス中継が始まったころは時代劇映画からヤクザ映画に変わり、駅前シリーズ、植木等、赤木圭一郎、吉永小百合と変わり、最後はロマンポルノで閉館した。
⑦ 東日暮里のコリアタウン・・・・・・・東日暮里には、韓国系か北朝鮮系か、私にはよく判らないが、ハングルの文字、一字の姓など、コリア系と思われるものが多い。 つまりは、コリア・タウンである。
・・・・・・・・・・・・・“韓国仏教”だって、日本の仏教とどこが違うのか? ごく普通の住宅が、寺!

・・・・・・・・・・・・こちらも、仏教の寺。 居酒屋風で建物の周りには提灯が下がってる! 提灯にはハングル文字とお釈迦様のイラストがある。、、、、これはこれは、コリアの盆提灯か?
・・・・・・・・・・・・数年前に建て替えた、東京朝鮮第一初中級学校。
・・・・・・・・・・・・2つの言語で書かれた貼紙。
・・・・・・・・・・・・こちらの通りの両側には、一文字姓の住宅がズラリと並んでいた。
⑧ 三河島駅 ・・・・・・・・尾竹橋通りに面して、ガード下に出入口がある三河島駅。 三河島駅は日本鉄道(現:常磐線)の駅として明治38年(1905)に開業したが、乗降客も少なく地味だ。
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