船堀~新小岩
①船堀駅・・・・・・・・・・昭和58年(1983)12月23日に開業した、都営新宿線の駅。 相対式ホーム2面2線の高架駅。、、、、、船堀は、かつて金魚の養殖が盛んな町であった、現在も、養殖業者が3軒程残っているそうだ。 駅舎の外壁には、大きな金魚の壁画が描かれている。
②タワーホール船堀・・・・・・・・・船堀駅の真ん前に立つ無料展望台。 江戸川区が平成3年(1991)にオープンした、高さ115mの展望室を備えた、ホールなどもある区民施設。、、、、、過去に数回上ってみたが、平日の午前中は空いており、エレベータに案内してくれるお嬢さんと二人きりで同乗すると、チョイと緊張する。 今日は時間も早かったので、寄らずに素通り。
・・・・・・・・・・・・東小松川の住宅地の道に入っていくと、東小松川4丁目に小さな社の「渡し場水神宮・渡し場観音堂」がある。、、、、、この付近は、昔、低湿地帯であり、たびたび洪水に悩まされていた。 そのため、洪水除けの神として、さらに川の交通での安全を願い水難除けの神として、水神様が祀られていた。
・・・・・・・・・・・・水神宮の横の道を、道なりに北方に進むと、東小松川白髭神社がある。、、、、、、神社の創建年代は不詳であるが、建治年間(1275-1278、鎌倉時代)の創建と伝えられ、東小松川香取神社や浮洲明神社と共に旧東小松川村の鎮守社であった。 中川放水路の開削に伴い浮洲明神社は、当神社の境内に遷座された。、、、、、、水害から神社を守るためか、神輿庫、狛犬、社殿など、コンクリートで基礎部分を1m程高くしている。
・・・・・・・・・・・・東小松川2丁目に入ると、真言宗の香取山宝積院松泉寺がある。 参道の左右は墓所となって、正面に鉄筋コンクリート造の本堂がある。 創建年代不詳。
・・・・・・・・・・・・東小松川2丁目の源法寺は、浄土宗に属し、壽覚山無量院と号します。 天正元年(1573)に開山した。 三代将軍家光からは御朱印地六石を授かった名刹らしい。 この付近では、かなり大きな寺である。
・・・・・・・・・・・・源法寺の裏(北東側)には中之庭地蔵堂がある。 「中之庭」とは、かつてこの地の集落名。、、、、、、天保9年(1838)に当地の太田家の先祖が霊夢を感じて、現在の境川親水公園辺りの河底捜したところ出現した地蔵さまといわれている。 昭和8年(1933)には、それまで露仏であった石像に堂を建てて鎮め祀った。
④鈴木工業・・・・・・・・・東小松川2丁目の金属加工の会社。 こちらの会社は昭和2年(1927)頃に創業し、現在は3代目が経営しているそうだ。 会社の社屋は、創業時のまま残っているそうで、昭和初期の木造建築である。 外壁は、最近塗り替えられた。、、、、今日は、工場で最も古い方に話を聞くことができ、話では、戦時中、工場で砲弾などを製作したため、社屋には憲兵が常駐していたそうだ。 また、社屋横のコンクリート造の変電室もその頃の建物だった。 さらに、正門の門柱は、かつて日比谷の帝国ホテルに在ったものだそうだ。 私の推測では、初代の帝国ホテル(明治23年竣工、大正8年焼失)のものか、二代目の帝国ホテル(ライトの設計、明治村に移築保存)の裏門とか通用門などの門柱か?、、、、、、箱根駅伝を映画化した「風が強く吹いている」のロケも、一部ここで行われたそうだ。
⑤赤稲荷神社・・・・・・首都高7号の高架をくぐり松江1丁目に、赤い、ケバイ、派手で小さな神社がある。 これぞ、赤稲荷神社である。、、、、宇加能魂命を祀り、創建は不詳。 真っ赤な幟がはためいて、町中の町民の信仰を集めているらしい。(ほんとかな?) 境内は、首都高の用地買収で敷地が半減し、現在の社殿は昭和44年(1969)に平井の諏訪神社の拝殿を移築したそうだ。、、、、、ようするに、中古の社殿を真っ赤にペイントした神社。(失礼!)
⑥東小松川交差点・・・・・・・京葉道路(国道14号)に船堀街道(都道308号)がぶつかる交差点。 船堀街道はここまで、この先は千葉街道(国道14号)として、小岩駅方面に伸びていく。
⑦東小松川香取神社・・・・・・・・千葉街道、八蔵橋交差点角に鎮座する経津主命を祀る香取神社。 建治3年(1277)の勧請といわれ、東小松川村の鎮守さま。 社殿は昭和12年(1937)に新築された。
⑧新小岩駅 ・・・・・・・・新小岩駅へ到着
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