浅草橋~町屋
① 国際通り・・・・・・・沖縄県那覇市の「国際通り」はあまりにも有名だが、東京にもある「国際通り」。 「国際通り」は、蔵前一丁目交差点から三ノ輪交差点まで伸びる都道462号線の俗称である。 最近は名の由来となった、国際劇場を知る人も少なくなり、道路名に“浅草”を冠して「浅草国際通り」と呼ぶ人もいる。
・・・・・・・・・・・・雷門一丁目交差点。写真中央に伸びるのは「雷門通り」。 国際通りは手前を左右に横切る道路。

・・・・・・・・・・・・国際劇場跡地に建った「浅草ビューホテル」。 昭和60年(1985)竣工、今年で開業31年目、、、、と言うことは、現在の30代以下の若者は、国際劇場を知らない世代だ。 ここで、一番前の席でオペラグラスを持って、SKD(松竹歌劇団)のレビューを見た、当時のスケベは、みんな年寄りとなったね。 私もその一人だが、、、



・・・・・・・・・・・・鷲神社付近の国際通りは、道幅は広いが、自動車の交通量は比較的少なく、中央分離帯もあり、年寄りには横断しやすいね。
・・・・・・・・・・・・国際通りが昭和通りにぶつかる交差点の手前に、樋口一葉ゆかりの千束稲荷神社 がある。 神社は一葉の「たけくらべ」では、明治26~7年の祭礼が舞台となって、子供達が遊んだ神社とし有名である。、、、、、私が訪れる日に、子供が遊ぶ姿は見たことないが、女性の参拝する姿は、よく目にするね。
・・・・・・・・・・・・昭和通と交差した根岸5丁目、スーパーの裏手に天台宗の薬王寺がある。 創建年代は不詳であるが、天海僧正(寛永20年没)の開山と伝えられている。、、、、境内には日光街道(昭和通り)に背を向けた「背面(うしろむき)地蔵尊」が安置されている。 背面地蔵は正保4年(1647)の創立で一丈三尺余りの石仏。 今日見たら、地蔵尊の前に、新しい地蔵さん(御前立)が建てられ、2体並んで祀られている。
② 正庭通り・・・・・・背面地蔵尊の薬王寺門前の付近(荒川区東日暮里1)から、荒川区役所の方に向かい明治通りまで(荒川1)まで伸びる、総延長751mの区道。「正庭(まさにわ)」とは、住居表示改定前の地名:三河島村字正庭である。
・・・・・・・・・・・・まずは、正庭通りの南端に近い東日暮里一丁目公園。 今日の外気は台風一過で33℃。 私は、熱中症対策で、チョイと休憩。、、、、、昭和48年(1973)開園。 ただそれだけの話です。
・・・・・・・・・・・・道の両側に桜が植えられた正庭通りには、「正庭商店街」がある。、、、、、商店街とは言っても、少ない店舗で構成する商店街で、生活密着型の商店が数件ほど営業しているという感じである。
・・・・・・・・・・・・正庭通りは、中程でJR常磐線のガードをくぐる。 この付近で、町名は荒川区東日暮里1から荒川区荒川1に変わる。、、、、、町名が変わると、商店街はなくなり、桜の木もなくなり、ただの下町だ!
・・・・・・・・・・・・そして正庭通りは、北の端で明治通りにぶつかり、ハイ、ここまでよ!
③ 荒川区役所・・・・・・・・昭和43年(1968)、いざなぎ景気の真っただ中、大成建設の設計で建てられた、地上7階/地下1階の本庁舎。 そろそろ、建て替えの話が出てきそうな年数が経過したようだ、これから区議会でもめるのか?
④ 荒川中央通り・・・・・・・・明治通りから京成本線町屋駅まで、荒川区荒川2丁目と4丁目の町境を貫く、長さ:722mの区道。
・・・・・・・・・・・・荒川区役所から西に100mほど寄った明治通りから歩くことに、、、、、その曲がり角に「荒川中央通り」の標識がある。、、、、チョイと手入れして、もう少し見やすい標識にして欲しいもんだね!
・・・・・・・・・・・・こんな感じの通り、、、、、あまり面白くない通りなので、チョイと裏道に入ることにした。
・・・・・・・・・・・・荒川2丁目で見た2棟の廃屋に、見事に絡まったツタ。 後ろから見ても、ボロ屋を隠すように、ツタと雑草がびっしり! ガラス窓から、建物内側を覗くと、部屋の中にもツタの枯れ葉が見える。、、、、、軒下には、戦前の「防火用水」か?
・・・・・・・・・・・・中央通りに戻ると、「西計器」の木造建築が見えた。 かなり古い建物のようだ、昭和初期の建築か(?) 商売は、アナログ時代の工業用計量器・測定器などを製造している会社のようだ。
・・・・・・・・・・・・荒川4丁目の路地裏に入ると、トタン貼りのバラック風建物が2棟あった。 こちらは、人が住んでいるのか、いないのか(?)、、、、、終戦直後にタイムスリップしたようだ。
・・・・・・・・・・・・荒川4丁目の裏道を、引き続き歩いてみると、かつて裏通りの商店街であった思われる細い道があった。、、、、、シャッターは下がり、店名も消えかかった家が多い。
・・・・・・・・・・・・町屋駅前の高層マンションを見上げる裏通り、トタン貼りの木造家屋が並ぶ一画があった。 人は住んでいる。、、、、、昭和の残る町だ!!
・・・・・・・・・・・・町屋駅に近づくと、味噌屋さん「一二三屋」(ひふみや)がある。 商店街の名残を留める店のようだ!
⑤ 京成町屋駅・・・・・・・・昭和6年(1931)に町屋駅は開業した。 開業時から、1面2線の小さな高架駅。、、、、、下町の匂いがプンプンするね!
・・・・・・・・・・・・ホーム下で、京成と交差する都電荒川線。