« 2016年7月 | トップページ | 2016年9月 »

2016年8月

2016年8月31日 (水)

浅草橋~町屋

浅草橋の我が家から、ひたすら国際通りを歩き三ノ輪に出て、三ノ輪からは「正庭通り」、「荒川中央通り」と称する、私の知らない裏通りをブラブラし、京成本線町屋駅まで、1万3千歩、10kmの散歩です。



① 国際通り・・・・・・・沖縄県那覇市の「国際通り」はあまりにも有名だが、東京にもある「国際通り」。 「国際通り」は、蔵前一丁目交差点から三ノ輪交差点まで伸びる都道462号線の俗称である。 最近は名の由来となった、国際劇場を知る人も少なくなり、道路名に“浅草”を冠して「浅草国際通り」と呼ぶ人もいる。

・・・・・・・・・・・・雷門一丁目交差点。写真中央に伸びるのは「雷門通り」。 国際通りは手前を左右に横切る道路。
Dsc01505


・・・・・・・・・・・・国際劇場跡地に建った「浅草ビューホテル」。 昭和60年(1985)竣工、今年で開業31年目、、、、と言うことは、現在の30代以下の若者は、国際劇場を知らない世代だ。 ここで、一番前の席でオペラグラスを持って、SKD(松竹歌劇団)のレビューを見た、当時のスケベは、みんな年寄りとなったね。 私もその一人だが、、、
Dsc01509


・・・・・・・・・・・・11月の「酉の市 」までは、神社商売もひと休みの鷲神社。 拝殿では、“おかめ”が賽銭箱をしっかり守っていた。
Dsc01516
Dsc01519



・・・・・・・・・・・・鷲神社付近の国際通りは、道幅は広いが、自動車の交通量は比較的少なく、中央分離帯もあり、年寄りには横断しやすいね。

Dsc01522



・・・・・・・・・・・・国際通りが昭和通りにぶつかる交差点の手前に、樋口一葉ゆかりの千束稲荷神社 がある。 神社は一葉の「たけくらべ」では、明治26~7年の祭礼が舞台となって、子供達が遊んだ神社とし有名である。、、、、、私が訪れる日に、子供が遊ぶ姿は見たことないが、女性の参拝する姿は、よく目にするね。

Dsc01524

Dsc01529



・・・・・・・・・・・・昭和通と交差した根岸5丁目、スーパーの裏手に天台宗の薬王寺がある。 創建年代は不詳であるが、天海僧正(寛永20年没)の開山と伝えられている。、、、、境内には日光街道(昭和通り)に背を向けた「背面(うしろむき)地蔵尊」が安置されている。 背面地蔵は正保4年(1647)の創立で一丈三尺余りの石仏。 今日見たら、地蔵尊の前に、新しい地蔵さん(御前立)が建てられ、2体並んで祀られている。

Dsc01545

Dsc01542




正庭通り・・・・・・背面地蔵尊の薬王寺門前の付近(荒川区東日暮里1)から、荒川区役所の方に向かい明治通りまで(荒川1)まで伸びる、総延長751mの区道。「正庭(まさにわ)」とは、住居表示改定前の地名:三河島村字正庭である。


・・・・・・・・・・・・まずは、正庭通りの南端に近い東日暮里一丁目公園。 今日の外気は台風一過で33℃。 私は、熱中症対策で、チョイと休憩。、、、、、昭和48年(1973)開園。 ただそれだけの話です。

Dsc01548



・・・・・・・・・・・・道の両側に桜が植えられた正庭通りには、「正庭商店街」がある。、、、、、商店街とは言っても、少ない店舗で構成する商店街で、生活密着型の商店が数件ほど営業しているという感じである。

Dsc01551

Dsc01555



・・・・・・・・・・・・正庭通りは、中程でJR常磐線のガードをくぐる。 この付近で、町名は荒川区東日暮里1から荒川区荒川1に変わる。、、、、、町名が変わると、商店街はなくなり、桜の木もなくなり、ただの下町だ!

Dsc01566

Dsc01572



・・・・・・・・・・・・そして正庭通りは、北の端で明治通りにぶつかり、ハイ、ここまでよ!

Dsc01577




荒川区役所・・・・・・・・昭和43年(1968)、いざなぎ景気の真っただ中、大成建設の設計で建てられた、地上7階/地下1階の本庁舎。 そろそろ、建て替えの話が出てきそうな年数が経過したようだ、これから区議会でもめるのか?

Dsc01586




荒川中央通り・・・・・・・・明治通りから京成本線町屋駅まで、荒川区荒川2丁目と4丁目の町境を貫く、長さ:722mの区道。


・・・・・・・・・・・・荒川区役所から西に100mほど寄った明治通りから歩くことに、、、、、その曲がり角に「荒川中央通り」の標識がある。、、、、チョイと手入れして、もう少し見やすい標識にして欲しいもんだね!

Dsc01595



・・・・・・・・・・・・こんな感じの通り、、、、、あまり面白くない通りなので、チョイと裏道に入ることにした。

Dsc01598



・・・・・・・・・・・・荒川2丁目で見た2棟の廃屋に、見事に絡まったツタ。 後ろから見ても、ボロ屋を隠すように、ツタと雑草がびっしり! ガラス窓から、建物内側を覗くと、部屋の中にもツタの枯れ葉が見える。、、、、、軒下には、戦前の「防火用水」か?

Dsc01600

Dsc01604

Dsc01602

Dsc01605



・・・・・・・・・・・・中央通りに戻ると、「西計器」の木造建築が見えた。 かなり古い建物のようだ、昭和初期の建築か(?) 商売は、アナログ時代の工業用計量器・測定器などを製造している会社のようだ。

Dsc01612



・・・・・・・・・・・・荒川4丁目の路地裏に入ると、トタン貼りのバラック風建物が2棟あった。 こちらは、人が住んでいるのか、いないのか(?)、、、、、終戦直後にタイムスリップしたようだ。

Dsc01618

Dsc01619



・・・・・・・・・・・・荒川4丁目の裏道を、引き続き歩いてみると、かつて裏通りの商店街であった思われる細い道があった。、、、、、シャッターは下がり、店名も消えかかった家が多い。

Dsc01627



・・・・・・・・・・・・町屋駅前の高層マンションを見上げる裏通り、トタン貼りの木造家屋が並ぶ一画があった。 人は住んでいる。、、、、、昭和の残る町だ!!

Dsc01632

Dsc01637

Dsc01635



・・・・・・・・・・・・町屋駅に近づくと、味噌屋さん「一二三屋」(ひふみや)がある。 商店街の名残を留める店のようだ!

Dsc01641

Dsc01638




京成町屋駅・・・・・・・・昭和6年(1931)に町屋駅は開業した。 開業時から、1面2線の小さな高架駅。、、、、、下町の匂いがプンプンするね!

Dsc01658

Dsc01662

Dsc01697



・・・・・・・・・・・・ホーム下で、京成と交差する都電荒川線。

Dsc01655

Dsc01670

Dsc01704

2016年8月30日 (火)

雨の観音さま

台風は東北方面に向かい、東京は午後になるとチラッと青空も見えた。 しかし、台風情報ではまだ強風圏内で、時折、強い雨が降ってくる。 3時過ぎになると雨はやみ、もうこれ以上降らないと自分勝手に決め込んで、浅草へ買い物に向かった。 神は我を見放し、浅草につくや否や大雨となり、東武鉄道浅草駅で雨宿り。 小雨になり浅草寺へ向かい、私とパソコンの厄払いをお願いしてきた。、、、、、、7千歩、5kmの散歩



・・・・・・・・・・・・突然の豪雨に、観光客もビックリ、シャックリ、泡食ってガックリ
Dsc01330
Dsc01342
Dsc01345



・・・・・・・・・・・・小降りとなり、浅草寺へ向かう。 台風のため、観光客も少ないようだ。

Dsc01355

Dsc01361



・・・・・・・・・・・・おや、可愛いね! すぐにレンズを向けるのは中高年の親爺達。 もちろん、私もその一人!

Dsc01367



・・・・・・・・・・・・灰色の空は、まだまだ雨を降らせそう。 コリャ、早く帰ったほうがいいかな?

Dsc01428

Dsc01380



・・・・・・・・・・・・日本人も、観光客も、みんな仲良く、ハイ・チーズ。

Dsc01373

Dsc01378

Dsc01388

Dsc01396



・・・・・・・・・・・・今日は人も少なく、お子さんも、外人さんも、迷子にならず、ゆっくり参拝! 私も、パソコンが壊れないように、南無阿弥陀仏。

Dsc01412

Dsc01401



・・・・・・・・・・・・私が、念仏を唱えると、一瞬、雲が切れ、青空がのぞいた! 

Dsc01403



・・・・・・・・・・・・帰り道、チャップリン風のチンドン屋? チャップリンも懐かしいが、チンドン屋も懐かしい。 なんだか、エノケン風でもあるな? 

Dsc01446

Dsc01444



・・・・・・・・・・・・空は灰色に戻り、街路灯も灯り、雷門は雨の中。 再び降ってきた、急いで我が家へ戻ることに、、、、、

Dsc01484

Dsc01493

2016年8月29日 (月)

十日間のご無沙汰でした

新しいパソコンが到着し、やっとこさ、パソコン環境が回復しました。 壊れてから10日間、この間、ブログの「雅万歩」はお休みでしたが、私は、、、、、なんと大忙し、まずは親類の不幸が2件続き、西へ東へ弔問に。 その間に、パソコンの発注・セットアップ。、、、、夏バテしそうな気ぜわしさも、どうにか一段落できそうだ!


ところで、この度のパソコン買い替えで気づいたのは、、、、、チョイと昔までは、パソコンを買い替えると、わけのわからぬまま“Windows”のインストール、ネットワークの接続、「Word」、「Excel」などソフトのインストール、バックアップファイルのコピーと、難しくチンプンカンプンの作業が2~3日分発生したものである。、、、、今回は、到着したパソコンの梱包を外し、コードを接続し直して電源を入れたら、、、、、なんとびっくり、windows10とMicrosoft Officeなどは一発で立ち上がり、ネットワークもつながった、、、、そして、“オッたまげた”のは、ディスクトップに私が撮った背景写真の以前のものが表示されたことである。 こんな写真、いったいどこに保存していたのか!、、、、ここまで、1時間程で、こりゃ! 便利で、楽だわい!


喜んでニコニコできたのは、ここまで。 これまで利用していた写真管理ソフト「フォトギャラリー」が、新しいソフト「フォト」に変わり、機能ダウンしている。 写真のリサイズができない、古い写真を取り出すのに時間がかかる、シャープ化できない、などなど、、、、これでは、ブログに載せる写真の加工・整理に使えない!、、、、、納得できるソフトを求め、秋葉原に出かけ、ネットで探し、3日かけて、やっと今日、見つけることができた。


、、、、、、、と云う事の次第、、、、、往年の名司会者:玉置宏調で、、、、『十日間のご無沙汰でした。 雅万歩でございます。 お口の恋人、ロッテ提供、『ロッテ 歌のアルバム』ならぬ、『雅万歩 散歩のアルバム』再開です』




================================== テスト的に書いてみました ===




・・・・・・・・・・・・パソコンにふりまわされ、役所に書類を出すことをすっかり忘れ、夕方、上野の台東区役所まで駆けつけてきた。、、、、、区役所は、久米設計の設計により、昭和48年(1973)に竣工し、今年で築43年を迎えた。 経年劣化により数年前から内外部とも改修工事を行ない、ほぼ終わったようだ。

Dsc05646

Dsc05648



・・・・・・・・・・・・区役所の近く、上野警察署の前に、江戸っ子好みの蕎麦屋「翁庵」がある。 “江戸っ子好み”とは、気取らない、安い、美味い蕎麦屋のこと。、、、、、創業は明治17年(1884)と聞いた、老舗である。 ここの名物は「ねぎせいろ」で、ぜひ関東風のツユで賞味あれ。

Dsc05651



・・・・・・・・・・・・東上野2丁目にある永寿総合病院。 一昨年盆休みの期間に、私の背中に激痛が走り、左足に血が通わず歩けなくなった時、私が駆け付けた病院である。 外科の先生は、直ぐCT検査し、「大動脈解離」と診断し、手術のできる他院へ救急搬送してくれた、ありがたい病院だ。

Dsc05656

2016年8月19日 (金)

上中里~扇大橋

ここ数日、パソコンの起動時に、障害を知らせるブルー画面が表示され、不安な状態となっておりました。 今日は、内臓ハードディスクの障害を知らせるメッセージが表示され、不安は落胆に変わり、いつダウンするか解からない状態になりました。 メーカに相談し、早急に、買い替えることにしました。 新しいパソコンが来るまでの数日間、「雅万歩」は夏休みに入ることにします。、、、、、本日の、このブログは、いつダウンするか解からない状況下で、不安に慄きながら書いてます。

今日は、上中里駅から、北区堀船、豊島地区を抜け、豊島橋を渡り足立区に入り、扇大橋駅まで、1万3千歩、9kmの散歩です。



① 上中里駅・・・・・・・・昭和8年(1933)に開業した駅。 駅舎は台地の上に在り、周辺には大きな商店街もなく静かな駅である。 一日の乗降客約7400人は、JR東日本管内では300位ぐらいに位置する。 23区内の駅では乗降客数ワースト2位。、、、、、通勤時間帯のホームもガラガラ!
20160819-011
20160819-013




上中里庚申塔・・・・・・・・・上中里駅の北側、崖下の線路際に祠があり庚申塔が祀られている。 庚申塔の年代、由緒は不明である。 庚申塔の両脇にもいくつか石塔が並んでいる。 寛文5年(1665)の文字を読み取ることができる石塔もあった。、、、、、どなたかが、説明書きを作って貼っておいてくれると、嬉しいね!

20160819-020




堀船の町・・・・・・・・王子駅の東側、上中里駅の北側、隅田川沿いの町


・・・・・・・・・・・・上中里駅から北に向かい、JR東北本線の梶原踏切を越える、、、、、、踏切の東側には尾久車両センターが広がっている。

20160819-028

20160819-034



・・・・・・・・・・・・梶原踏切を越え、150m程あるくと明治通り。 明治通りを横断すると、今度は都電荒川線の踏切

20160819-044

20160819-047

20160819-049

20160819-059



・・・・・・・・・・・・都電の踏切を渡ると、そこから先は梶原銀座商店街。 大きな地域密着型の商店街だが、まだ開店前の店ばかりで、シャッターは下り、人通りも少ない。

20160819-067

20160819-074



・・・・・・・・・・・・商店街を突き抜けると、梶原の鎮守として敬われた白山神社がある。 創立沿革などは、残念ながら不明だが、鎌倉時代からあるそうだ。、、、、、社殿は、昭和47年(1972)に再建した。 境内は都心に在っては広い方だ! しかし、雑草が伸びすぎて、草の中にゴミが散乱している、チョイとは手入れして欲しいね! 神の罰が当たるかも?

20160819-075

20160819-076




堀船の都営住宅・・・・・・・堀船2・3丁目の隅田川沿いには都営住宅が十数棟並び建っている。


・・・・・・・・・・・・堀船三丁目アパート、、、、、、昭和42年(1967)~昭和53年(1978)に建てられた総戸数:408戸(11棟)の団地。 中規模団地で、団地内の商店街などは見当たらない。

20160819-085

20160819-087

20160819-089



・・・・・・・・・・・・三丁目アパートの隣には、堀船二丁目アパートがある。 こちらは、昭和45年(1969)に建てられた、総戸数:165戸(4棟)の団地。、、、、、若い人が少なそうな団地だ!

20160819-094

20160819-097



・・・・・・・・・・・・次に控えしは、、、、都住宅供給公社の堀船住宅。 こちらは、鉄筋コンクリート造、地上13階建てで、昭和46年(1971)に建てられた。 総戸数511戸の団地。

20160819-098

20160819-106




下道地蔵尊・・・・・・・豊島橋の西側、北区豊島4丁目に、地蔵を中心として18体の石仏がズラリ並んでいる。、、、、、この辺は、江戸時代は豊島村・領家集落の外れあたりで、隅田川を背景に田畑が広がるのどかな処であったと思われる。 田畑の脇に、地蔵尊、庚申塔、大日如来、如意輪観音などが、たたずんでいたであろう。、、、、、時代が変わり、行き場のなくなった、それらの石仏を一カ所に集めたのが、ここ下道地蔵尊(しもみちじぞうそん)である。 「下道」とは、現在の北区志茂(しも)へ向かう道があることから名付けられた。

20160819-116

20160819-117




豊島五丁目団地・・・・・・・・隅田川に架かる豊島橋、その西詰にURの豊島五丁目団地がある。 鉄筋コンクリート造、地上14階の高層棟が並ぶ団地は、昭和47年(1972)から昭和48年(1973)に建てられた。 総戸数4959戸のマンモス団地だ!、、、、、今日は、チョイと遠くからパチリ!

20160819-123

20160819-143




⑦ 豊島橋 ・・・・・・・・豊島橋(としまはし)は、隅田川にかかる橋で、北区豊島5丁目と足立区宮城2丁目を結ぶ。 隅田川が大きく蛇行し「天狗の鼻」とよばれる突出した場所に位置している。 大正14年(1925)に最初の豊島橋が木橋として架けられ、老朽化によって昭和35年(1960)に下流の現在地に架け替えられた。 その後、平成7年(1995)に地盤沈下と老朽化によって再度改架されることになった。 平成13年(2001)に、現在の橋となった。、、、、橋長106.7mの単純下路式鋼ローゼ桁橋。

20160819-129

20160819-131

20160819-142




江北橋・・・・・・・・豊島橋を渡り足立区はいると、引き続き荒川を渡る江北橋(こうほくはし)がある。 橋の南岸は足立区宮城。北岸は足立区江北で、両側とも足立区である。、、、、、、鋼製カンチレバーランガー桁橋、橋長:449m、幅員:11m、昭和47年(1972)開通。 初代の橋は大正12年(1923)に架けられ、現橋は3代目の橋である。

20160819-165

20160819-148

20160819-149

20160819-154



・・・・・・・・・・・・江北橋から、荒川の下流を望む。

20160819-155




⑨ 扇大橋駅 ・・・・・・・日暮里・舎人ライナーの駅として、平成20年(2008)3月30日に開業。

20160819-167

20160819-185

2016年8月15日 (月)

錦糸町~東陽町

総武線錦糸町駅から、ほぼ横十間川沿いに歩き、地下鉄東西線東陽町駅まで、1万1千歩、8kmの散歩です。



錦糸町駅・・・・・・・錦糸町駅は、明治27年(1894)に私鉄:総武鉄道の本所(ほんじょ)駅として開業し、明治37年(1904)には総武鉄道が両国橋(現:両国)まで延伸した。 明治40年(1907)には総武鉄道は国有化され、総武本線となる。 両国から、浅草橋、秋葉原をとおり、御茶ノ水まで総武本線が延伸・開通したのは、昭和7年(1932)である。


・・・・・・・・・・・右端は錦糸町駅ビル「TERMINA」、左側に走るのは京葉道路。 駅ビルの正面(左端のビル)には「マルイ」がある。
20160815-025



・・・・・・・・・・・・南口に民衆駅ビルとして「TERMINA」が開業したのは昭和38年(1963)。 地上7階/地下1階の駅ビル、建った当時は“デカイ”駅ビルだった。

20160815-021



・・・・・・・・・・・・朝の錦糸町駅。 快速線、緩行線用にそれぞれ島式ホーム1面2線を有する高架駅である。

20160815-012

20160815-003

20160815-004



・・・・・・・・・・・・駅前のロータリーには「伊藤佐千夫牧舎兼住居跡」の案内と歌碑が建てられている。 明治22年(1889)から明治45年(1912)まで、明治の歌人:伊藤佐千夫の経営する牧舎と住居があったそうだ。 モノクロ写真は案内板にあった佐千夫の牛舎と右から三人目の佐千夫、、、、駅前に牧舎があったとは、今では信じられない光景だ!

20160815-020

20160815-017




松本橋・・・・・・・・京葉道路と並行する首都高7号小松川線は、隅田川と旧中川を結ぶ堅川(家康が造った運河)の上を通っている。 都立墨東病院の南側で堅川に架かっている橋が松本橋。 頭上は首都高、橋下は埋め立てられた堅川で、橋梁と言うにはチョイと哀しい姿だ。、、、、、旧名松代町と本村町を結んだ震災復興橋。 昭和4年(1929)11月に完成したトラス橋で、橋長:35.52m、幅:11m。 いたるところ鉄骨はサビ、穴もあき、早く、保存工事しないと、老朽化した姿が痛々しい! 

20160815-040



・・・・・・・・・・・・堅川が横十間川と交わる部分から、松本橋を眺めると、、、、高架の下にコッソリと架かる松本橋

20160815-051




猿江恩賜公園・・・・・・・・・・・松本橋を渡り江東区に入ると、目の前に緑豊かな猿江恩賜公園がある。 公園は昭和7年(1932)、皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)の御成婚記念として、猿江貯木場の一部を東京市に下賜し、開園した。 その後、公園も広げられたが、東京大空襲では焼死者の仮埋葬地となった。 戦後になると、さらに公園は広がり、現在に至っている。、、、、、野球場、テニスコート、プールなどもあり、広すぎて維持管理が大変そうだ、あっちこっちに、雑草も生えている。

20160815-071

20160815-065



・・・・・・・・・・・・公園の一画には、江東公会堂【愛称:ティアラこうとう】が建ち、1,234席の大ホールを中心に、コンサート、演劇などで活用されている。 平成6年(1994)完成、設計:久米設計、施工:鹿島建設+多田建設+土屋組+丸石工業JV。

20160815-077



・・・・・・・・・・・・猿江恩賜公園の横を流れる横十間川。 中央奥が錦糸町駅方面、左の緑は公園、手前は砂町、東陽町方面。

20160815-064




横十間川の橋・・・・・・・・猿江恩賜公園の清水橋から、下流に向かい小名木川クローバー橋まで歩く。


・・・・・・・・・・・・清水橋、、、、、、昭和2年(1927)に架けられた、橋長:40.4m、幅:11.5mの鋼製ガーター橋。 水辺の散策路ではハゼ釣りをする人も、ケッコウ、釣れてるね!

20160815-054

20160815-056



・・・・・・・・・・・・本村橋、、、、、昭和4年(1929)に初めて架けられた橋。 その後、震災復興橋として昭和7年(1932)に架け替えられた。 現橋は、昭和52年(1977)に架けられた1径間鋼製箱桁橋。 橋長:41.0m、橋幅:22.0m。 橋上に新大橋通りをとおす。

20160815-080



・・・・・・・・・・・・大島橋、、、、、、江東区猿江2丁目と大島1丁目を結ぶ、長さ:40.5m、幅:15.5mの3径間鋼製ガーター橋。 昭和2年(1927)に架けられたが、昭和48年(1973)に架け替えられた。 橋脚部分は旧橋の再利用か?

20160815-081

20160815-089

20160815-090



・・・・・・・・・・・・小名木川クローバー橋、、、、、、横十間川が小名木川と十字に交わる地点に、X型に架かる橋。 平成6年(1994)に架けられた歩行者自転車専用橋で、四方を見渡せる楽しい橋だ。

20160815-104

20160815-102

20160815-106




江東馬頭観世音・・・・・・・・・昭和20年(1945)3月9日夜半の東京大空襲により江東方面は焦土と化し、殉難者は目を覆うばかりの惨状を呈したそうだ。 この頃、戦局は激しさを増し、輸送に必要な石油は欠乏し、国内の輸送は専ら牛馬車に大きく依存された。 その輓馬業者の多くは、江東地区特に砂町、大島、亀戸、深川一帯に集中していた。 ここには、3000頭余りの牛馬が居り、その大半は空襲によって焼死した。 昭和28年(1953)、輓馬業者が中心となりこれら愛馬の諸霊を弔い、この地に江東馬頭観世音を建立した。、、、、、今は、輓馬の時代ではないが、玉垣には、ズラリ、現在のトラック輸送業者の名前が彫られている。

20160815-131

20160815-129




東陽町駅・・・・・・・・昭和42年(1967)9月14日、地下鉄東西線の大手町~東陽町間開通時に終着駅として開業した。  相対式ホーム2面2線を有する地下駅。

20160815-144

2016年8月13日 (土)

代田から代田まで

代田橋駅(京王線)から世田谷代田駅(小田急線)まで、1万1千歩、8kmの散歩です。



代田橋駅・・・・・・・大正2年(1913)4月15日、京王電気軌道(笹塚~調布間)の開通と同時に開業した歴史ある駅。 駅名の「代田橋」は、京王線の北側を並行する甲州街道が玉川上水を超える小さな橋のことで、駅の北側に位置に承応2年(1653)に架けられたそうだ。 現存するものは何もなく、名のみが残る。


・・・・・・・・・・・・線路を挟み南北の出入口から線路下の改札口へ潜っていく
20160813-017
20160813-032


・・・・・・・・・・・・ちょうど線路の真下と思われる位置に、改札口と売店とトイレがある

20160813-015



・・・・・・・・・・・・相対式ホーム2面2線の地上駅

20160813-002

20160813-006

20160813-028




和田掘給水所・・・・・・・代田橋駅の南側に、東京都水道局の和田掘給水所がある


・・・・・・・・・・・・数年前の給水所の航空写真では丸い形の1号配水池(昭和9年(1934)完成)と、四角い2号配水池(大正13年(1924)完成)が見える。、、、、、只今、配水池の老朽化による解体・整備工事と、給水所の外周を走る井ノ頭通りの直線化工事が行われている。 工事中につき立ち入り禁止。

Photo_20210821183401



・・・・・・・・・・・・現在の給水所は東村山・境・三郷の各浄水場からの送水を世田谷、渋谷、目黒、港の各区に配水している。、、、、、場内に入れないので、柵の隙間から丸い形の1号配水池をパチリ。

20160813-043

20160813-051

20160813-054




羽根木神社・・・・・・・・・和田堀給水所の南側に隣接する、宇迦能御魂神を祀った神社である。 神社の創建年代は不詳だが、神社周辺の邸内社として稲荷神を勧請し祀ったものが始まりらしい。、、、、、、社殿は戦災で焼失し、現社殿を昭和33年(1958)に新築した。

20160813-058

20160813-059



・・・・・・・・・・・・神社から300m程歩いた処に、「羽根木神社参道 この奥二丁」と標した案内が建っている

20160813-072




羽根木のデザイナーズマンション・・・・・・・・世田谷区羽根木1丁目の住宅地を歩いていたら、シャレた一画があった。 同一のオーナにより建てられたデザイナーズマンションが並んでいる。、、、、、、住んでみたくなる、森の中のマンション群。


・・・・・・・・・・・・羽根木の森、、、、、シャレた鉄骨造の建物が数棟建ち並んでいる、「羽根木の森」というデザイナーズマンション。 312坪の敷地に27本の大木があり、それを1本も木を切らずに建物を建てるという難題を解決した設計の建物らしい。 設計は建築家・坂茂。 平成9年(1997)の完成。、、、、、コテージ風に森の中に11戸の住宅が散っているようでもある。

20160813-103

20160813-102



・・・・・・・・・・・・亀甲新、、、、、「羽根木の森」と地続きの、低層デザイナーズマンション「亀甲新(きっこうしん)」。 平成25年(2013)完成。、、、、現代版の街道筋のような雰囲気を出している。

20160813-115

20160813-100



・・・・・・・・・・・・羽根木インターナショナルガーデンハウス、、、、、、道路を挟み亀甲新の前に建つデザイナーズマンション。 こちらも、敷地の既存の木々を残しながら、中庭を中心に全3棟(34戸)で構成されているテラスハウス形式の高級集合住宅。 平成19年(2007)の完成。

20160813-097

20160813-108

20160813-112




東松原駅・・・・・・・昭和8年(1933)8月1日、帝都電鉄の駅として開業し、その後、小田急、東急と籍は変わったが、昭和23年(1948)京王帝都電鉄井の頭線の駅となった。 島式ホーム1面2線の地上駅で、改札は橋上である。、、、、、住宅街の中に位置する東松原駅は、チョイと狭苦しいね!

20160813-135

20160813-131

20160813-126

20160813-145




代田の花・・・・・・・・環七通りを越えると代田5丁目。 世田谷代田駅までスグ! 夏の花、芙蓉が咲いていた。、、、、、近頃、軒先にアサガオを植えている家が減ったような気がしているのは、私だけか? 今日の散歩では、アサガオを見ることはなく、芙蓉はよく見たね!

20160813-158




世田谷代田駅・・・・・・・・昭和2年(1927)4月1日に、小田急線の「世田ヶ谷中原駅」として開業し、昭和21年(1946)に「世田谷代田駅」に改称した。、、、、、只今、小田急線複々線化工事の真っ最中。 世田谷代田駅は、地上に駅舎が設置され、地下は3層構造で、緩行線が中間層、急行線が最下層に走る予定である。 現在は、仮ホームで最下層の急行線を緩行線も含めて使用している。 来年の複々線運用が待ち遠しいね!

20160813-165

20160813-171

20160813-189

2016年8月12日 (金)

経堂~下高井戸

何年ぶりか、経堂(小田急線)で降りてみた。 知ってるようで、まるっきり知らない駅前に立ち、『東西南北いずれに向かう?』と自問自答。 答えは簡単、北から駅に向かってくる美人が多いので、私は北へ向かうことにした。 北へ、北へ歩き、下高井戸駅(京王線)まで、1万歩、8kmの散歩です。



経堂駅・・・・・・・・・昭和2年(1927)4月1日の小田原線(新宿~小田原)開通と同時に開業した。、、、、平成11年(1999)頃から高架化され、現在は島式ホーム2面5線を有する高架駅となっている。、、、、私が記憶している経堂駅は、駅前に「OXストアー」があり、線路脇は検車区となっていて車窓からはロマンスカーが見える地上駅だった。 スーパーは建て替えられ、検車区は無くなり、私が知る“経堂”は消えていた。
20160812-009
20160812-003



・・・・・・・・・・・・私が住む浅草橋駅よりも、明るく、広く、 綺麗な改札口・出入口。 羨ましいね!

20160812-01520160812-019



経堂すずらん通り・・・・・・・・“困ったときの神だのみ”ならぬ、“困ったときの美女だのみ”で、経堂駅前の「すずらん通り」を歩くことにした。 少し歩いてみたが、商店街は営業前でシャッターが下り、行き過ぎる美人も少ない!、、、、ヤメタ! 脇道に入ることにした。

20160812-020

20160812-022

20160812-025




赤堤住宅・・・・・・・・すずらん通りからそれて、北に向かうと、世田谷区宮坂3丁目に東京都住宅供給公社の「赤堤住宅」があった。 「赤堤」と言えば、“高級住宅街地”として知れた処だが、その町中に、棟数:9棟、総戸数:141戸、ナント!昭和33年(1958)の建築、鉄筋コンクリート造/2~4階建ての団地である。 築60年に近い、この住宅は周囲のマンションとは、チョイと異質の温かみを感じた。、、、、、ちなみに、2K(29㎡)の間取りで家賃は61,500円程である。 独身者には安い物件かも?

20160812-032

20160812-031

20160812-035

20160812-036




赤堤の住宅・・・・・・・・世田谷区赤堤3丁目の高級住宅地にたつ高級住宅街


・・・・・・・・・・・・緑の多い、静かな町

20160812-043



・・・・・・・・・・・・今年竣工した3階建て33戸のこの高級マンションは、中古でも億の物件だとか!

20160812-045

 

・・・・・・・・・・・・こちらは、昨年竣工した、3階建て、13戸が入居するマンション。 外部には木製ルーバーが設けられ、シャレた感覚のデザイン。 ゆったりとした空間を創り出している設計である。
20160812-054
20160812-052




西福寺・・・・・・・・・赤堤3丁目にある、真言宗豊山派寺院の西福寺は、服部頼母増祐が開基となり、継尊法印を開山として、天正12年(1584)創建した。、、、、緑の多い境内は、山里の寺にでも来たような錯覚を起こすかも?


・・・・・・・・・・・・門前の「西福寺通り」沿いに葵の紋が見える

20160812-055

20160812-057



・・・・・・・・・・・・門を入ると、奥深く参道が伸びる

20160812-065



・・・・・・・・・・・・仁王門は正徳元年(1711)に建立されたが、老朽化のため、昭和43年(1968)に古い梁材を1本残し他はすべて新材で再建された。

20160812-063



・・・・・・・・・・・・本堂は、文化元年(1804)に建てられたもので、桁行8間、梁間6.5間、寄棟造、銅板葺(明治以前は茅葺であった)

20160812-060




⑥ 日本大学文理学部 ・・・・・・・・赤堤5丁目の裏道を歩いていると、日大文理学部の裏に出た。 ここまで来たら、チョイと寄っていくか! 一年ぶりの御対面だ!


・・・・・・・・・・・・文理学部一号館は、昭和12年(1937)に建てられた、文理学部では最も歴史のある建物

20160812-133

20160812-097

20160812-122

20160812-112



・・・・・・・・・・・・キャンパス内の他の建物は、新しい建物ばかり、、、、、写真は、二号館図書館

20160812-130

20160812-128




下高井戸駅前市場・・・・・・・・下高井戸駅前踏切の前に、昭和31年(1956)に建てられた昭和の雰囲気を残すアーケード市場。 地域密着型の商店街で、野菜や肉、魚などの生鮮品の店が並んでいる。 市場内部は通り抜けできるようになっており、駅からの帰りに寄っていくお客も多いと思われる。、、、、、“市場(いちば)”と呼んでいた頃の、懐かしさを感じることのできる商店街だ!

20160812-147

20160812-162

20160812-153

20160812-156




下高井戸駅(京王線)・・・・・・・・大正2年(1913)4月15日、京王電気軌道の下高井戸駅として開業した。 相対式ホーム2面2線の地上駅だが、改札は橋上である。、、、、、なお乗り換えの、東急世田谷線 下高井戸駅は、大正14年(1925)5月1日に開業した。

20160812-142

20160812-165

20160812-171

2016年8月11日 (木)

銀座のビル

今日の都心の最高気温は31℃と聞いて、熱中症の心配も薄れ、夫婦で銀座へ行ってみた。



① GINZA KABUKIZA・・・・・・・・・都営浅草線東銀座駅で降りると、歌舞伎座の地下「木挽町広場」につながり、歌舞伎のグッズ、お菓子など、チョイと買いたくなるね! さらに、4階・5階の「歌舞伎座ギャラリー」、屋上庭園では、“チョイとひと休み”のティータイム。、、、、平成25年(2013)にオープンした、劇場の「歌舞伎座」とオフィスの「歌舞伎座タワー」から成る、地下4 階、地上29 階建ての複合施設「GINZA KABUKIZA」。 設計は、三菱地所設計+隈研吾建築都市設計事務所、施工は清水建設。、、、、、、時の経つのは早いものだ、完成後、もう3年になる!
Tokyu-plaza-ginza-20160811-018
Tokyu-plaza-ginza-20160811-009
Tokyu-plaza-ginza-20160811-010




ピアス銀座ビル・・・・・・・・銀座4丁目、かつて「三原橋」と呼ばれる橋があった処、映画館「銀座パストラル」があった処の前に建つ、綺麗なビル。 戦後、「ピアス化粧品」として、化粧品の製造販売をしてきたピアスグループの東京拠点ビル。 平成20年(2008)に竣工した、13階建てのオフィスビル。 久米設計の設計、鹿島建設の施工。、、、、、美しい曲線の捻じれた外観をみると、なぜか、浜辺で焼けた美人の腰を想いだす。

Tokyu-plaza-ginza-20160811-027

Tokyu-plaza-ginza-20160811-026




GINZA PLACE・・・・・・・・銀座4丁目の交差点、服部時計店の斜め前、「サッポロ銀座ビル 」が建っていた跡地に、9月24日オープンする「GINZA PLACE」。、、、、、新しいビルは、地下2階、地上11階建て、高さ56m、外観は“透かし彫り”をイメージした現代的な和風の外装となっている。 大成建設の設計・施工。 完成後はテナントビルとなるようだが、以前「サッポロ銀座ビル」に入居していたサッポ ロライオン、つゞれ屋銀座店、日産自動車などが再入居するらしい。、、、、、、この地には、明治19年(1886)から明治42年(1909)まで毎日新聞社があった。 新聞社移転後、明治44年(1911)から現在の上野精養軒(当時は築地精養軒)が「カフェー・ライオン」を開店し、昭和6年(1931)に大日本麦酒(現:サッポロビール)経営が移った。 その後も、ビヤホールとして営業し、昭和45年(1970)に「サッポロ銀座ビル」が建てられた。、、、、、、新しい銀座の名所となるか、乞う御期待!

Tokyu-plaza-ginza-20160811-125

Tokyu-plaza-ginza-20160811-132




ソニービル・・・・・・・・芦原義信の設計、大成建設の施工で、昭和41年(1966)に竣工した、スキップフロア(階段状の床)の地上8階/地下5階のソニーのショールーム。 竣工の翌年にショールームがオープンし、当時は入るのに行列に並ぶ状態であった。 『ソニービルに入って来たよ』は自慢できる言葉だった。、、、、、最近の発表では、来年(2017)解体されるようだ! ソニー創業70周年・ソニービル開業50年目にあたる平成28年(2016)より7年掛かりで展開される「銀座ソニーパークプロジェクト」により、2017年3月31日をもって営業を終了し、解体されることが決まった。 跡地は、2018年から2020年まで「銀座ソニーパーク」と称して開放されたイベントスペースとなり、2020年秋以降に、新しいビルが建設される予定となっている。 新しいビルは、2022年秋にオープンを予定している。、、、、、6年先の話だが、吾輩は新しいビルを見ることができるかな?

Tokyu-plaza-ginza-20160811-102

Tokyu-plaza-ginza-20160811-033

Tokyu-plaza-ginza-20160811-065

Tokyu-plaza-ginza-20160811-114




東急プラザ銀座・・・・・・・・ソニービルの前、以前は数寄屋橋阪急(銀座東芝ビル)があった処に、今年の3月に東急プラザがオープンした。 飲食店、物販店が、詰まった複合ビル。、、、、今日の散歩は、夫婦で、話のネタにビルの内部をチョイと拝見!

・・・・・・・・・・・・・・・地下5階/地上11階の、巨大な黒い軍艦のようなビル。 設計は日建設計、施工は清水建設。

Tokyu-plaza-ginza-20160811-099

Tokyu-plaza-ginza-20160811-095



・・・・・・・・・・・・内部は下から上まで、若い二人向けの店舗、爆買観光客向けの免罪店、年寄り向けの毛糸のパンツ、ラクダの股引は売ってません!

Tokyu-plaza-ginza-20160811-067

Tokyu-plaza-ginza-20160811-068

Tokyu-plaza-ginza-20160811-070

Tokyu-plaza-ginza-20160811-084



・・・・・・・・・・・・建物はガラス貼りで、各階から外部を眺めることができ、最上階は展望スペースで見晴らしは良い、良い。、、、、わたしゃ、いずれヨイヨイ。

Tokyu-plaza-ginza-20160811-050

Tokyu-plaza-ginza-20160811-061

Tokyu-plaza-ginza-20160811-079

Tokyu-plaza-ginza-20160811-038

Tokyu-plaza-ginza-20160811-040

Tokyu-plaza-ginza-20160811-054




●・・・・・・・・・・日々、急速に変わる銀座。 昭和の銀座は、もはや、表通りから消えかかっている。 外見だけでなく、客も、店も、、、、、“銀座のすずめ”はどこへいってしまったのか? 

2016年8月10日 (水)

高砂~金町

我が家の屋上の蛇口からはお湯がでてアッチッチ、沈丁花の葉はぐったりしてチンブラブラ、ボケの葉は日焼けで茶色くパサパサ、、、、、連日の猛暑・酷暑・炎暑・激暑は、ヨイショ・コラショ・ドッコイショで、もういいでしょ。

予報では、昨日より4度下がって今日の気温は33度、、、、、『ヨシ、熱中症に挑戦だ!』と意気込んで、京成本線高砂駅からJR常磐線金町駅まで、1万歩、7km、汗びっしょりの散歩。 



① 京成高砂駅 ・・・・・・・・大正元年(1912)11月3日、「曲金駅」(まがりかねえき)として開業したが、大正2年(1913)6月26日に高砂駅と改称した。 開業時の駅名は、当時の“南葛飾郡曲金村字高砂”から村名「曲金」に由来する。 翌年にはめでたい言葉にあやかり字名の「高砂」に変えた。 町名として「高砂」が使用されるのは昭和に入ってからで、既に駅名は「高砂」に変わっていた。 昭和6年(1931)、「高砂」に「京成」を冠し、駅名は「京成高砂」と改称した。 (理由:兵庫県にあった国鉄高砂線の高砂駅と間違えないように、チョイとした気遣いである。)、、、、、、京成高砂駅には、京成電鉄の本線・金町線・成田空港線と、北総鉄道の北総線が乗り入れている。 京成のジャンクションとして機能する駅。
20160810-017
20160810-011
20160810-004
20160810-001
20160810-020




高砂中央通り商店会・・・・・・・・・・名前から想像すると、駅前の通勤客でにぎわう、元気な商店街をイメージしてしまう。、、、、、しかし、その実態は、、、、、京成高砂駅前の“開かずの踏切”があるバス通り、その横に北に向かう100m程の狭い商店街がある。 数年前の情報では、加盟店舗は7店舗である。 今朝、歩いてみると現在営業中の店舗は4、5店程と思われる。、、、、、いつまで残るか、街路灯の商店街名?

20160810-023




聞明寺・・・・・・・・・・高砂駅から北に500m程行くと、真宗大谷派寺院の聞明寺(もんみょうじ)がある。 天正15年(1587)歓喜坊栄源により、下総国岡田郡横曽根村(茨城県水海道市)に創建。 その後、慶長7年(1602)に江戸桜田本郷の報恩寺に移転、寛永7年(1630)には浅草の東本願寺に移転。 関東大震災では被災し、昭和2年(1927)に現在地:高砂7丁目へ移転した。、、、、、、今日、一年ぶりに訪れてみたら、アレ?本堂がない!、、、、、昭和7年(1932)に建てられた本堂は、耐震補強が求められ、改修工事を行うこととなったそうだ。 工事は、基礎工事が完了するまで既存の本堂を脇にずらし、基礎工事完了後、再び元に戻す「曳屋」により進められている。 「曳屋」は、現在、見る機会が少なくなった工法である。、、、、、ちなみに、工事費は2億4千万円程らしい。


・・・・・・・・・・・・山門の左後ろに本堂の屋根が見える

20160810-036



・・・・・・・・・・・・昨年2月のに撮った聞明寺。 山門をくぐると正面に本堂がある。

20150305-017

20150305-016



・・・・・・・・・・・・本堂のあった処は基礎工事中。 脇にずれ、工事を見守る本堂。

20160810-037

20160810-031




古録天神社・・・・・・・・・聞明寺から北東に500m程行くと、6叉路の角に古録天神社(柴又2丁目)がある。 創建年代は不詳。、、、、、木造流れ造りの社殿は平成15年(2003)に建てられた。

20160810-056

20160810-049




金町を抜けて駅へ・・・・・・・・・

20160810-059

20160810-063

20160810-066




⑥ JR金町駅 ・・・・・・・・・・盛土の下に改札があり、改札を出ると南北の出入口を結ぶ自由通路により、駅前ロータリーにでる。 ホームは、緩行線(千代田線直通)の島式ホーム1面2線である。、、、、、、明治30年(1897)12月27日に、日本鉄道の駅として開業した。

20160810-070

20160810-072

20160810-080



・・・・・・・・・・・・ホームの前を、常磐線快速、新金貨物線 が通過していく。

20160810-097

2016年8月 7日 (日)

浅草橋~深川

今宵の夕涼みは、浅草橋から新大橋を渡り深川まで、7千歩、5km。



・・・・・・・・・・・・浅草橋駅高架下
20160807-001



・・・・・・・・・・・・神田川

20160807-004



・・・・・・・・・・・・川上稲荷神社

20160807-006



・・・・・・・・・・・・隅田川上の首都高

20160807-008



・・・・・・・・・・・・新大橋

20160807-015

20160807-022



・・・・・・・・・・・・深川神明宮

20160807-031



・・・・・・・・・・・・高橋のらくろ~ド

20160807-036

20160807-037



・・・・・・・・・・・・西深川橋

20160807-039

20160807-045



・・・・・・・・・・・・小名木川

20160807-043



・・・・・・・・・・・・清洲寮

20160807-049

2016年8月 6日 (土)

浅草橋~東京

連日の猛暑日、救急車のお世話になりたくないので、日中は我が家で暇つぶし。 日が落ちたら、チョイと歩いてみたくなり、我が家(浅草橋)から東京駅まで歩いてきた。 1万1千歩、8km。



・・・・・・・・・・・・土曜夕暮れの浅草橋、多くの問屋・商店はシャッターをおろし、歩く人もまばらで静かな町である。
20160806-001



・・・・・・・・・・・・JR浅草橋駅の高架下周辺の飲食店 も半数ほどは休業
20160806-011
20160806-013



・・・・・・・・・・・・浅草橋 の橋上から覗くと、納涼屋形船が出航の準備中。、、、、、、船内は若者ばかり、合コンか? 婚活か?
20160806-017
20160806-019



・・・・・・・・・・・・浅草橋交差点(中央区)は国道14号(京葉道路の始点
20160806-021



・・・・・・・・・・・・日本橋横山町の問屋街に、昭和4年(1929)竣工の大原第5ビルがある。 清水組(現:清水建設)の設計施工により完成したビル。 “昭和レトロ”のビルには、まだ明りが灯っている。
20160806-028
20160806-029



・・・・・・・・・・・・日本橋富沢町の結婚式場「ベストブライダル」、もとは大正15年(1926)に竣工した旧古河銀行元浜町支店(設計:中村與資平)である。、、、、、、電飾が輝き、一年中、クリスマスのような雰囲気の建物。
20160806-033
20160806-036



・・・・・・・・・・・・日本橋久松町では盆踊り大会、、、、、今日は各地で盆踊りが催されているようだ。 日本橋蛎殻町でも催され、太鼓の音が踊りを盛り上げていた。
20160806-038
20160806-041



・・・・・・・・・・・・ここまで来たら、新装開店した水天宮にチョイとご挨拶して行くか、、、、、正面の門は閉じられ外から一礼
20160806-066
20160806-070



・・・・・・・・・・・・人形町の店も半分は休みだが、明かりは人を誘うね!
20160806-077
20160806-059
20160806-079



・・・・・・・・・・・・江戸橋を渡り、日本橋1丁目に入ると、旧三菱倉庫江戸橋倉庫の外部回りを残し、オフィスビルに建て替えた「日本橋ダイヤビルディング」がある。、、、、、地上18階、高さ88.3mの高層ビルに、平成26年(2014)に生まれ変わった。 低層部(旧三菱倉庫の部分)は船の艦首を模したデザインである。
20160806-081
20160806-094
20160806-088



・・・・・・・・・・・・明治44年(1911)に完成した天下の日本橋
20160806-111
20160806-109



・・・・・・・・・・・・新丸ビル隣、大正9年(1920)に竣工した日本工業倶楽部の外部回りを残し建てられた三菱UFJ信託銀行本店ビル。、、、、日本工業倶楽部の設計は横河民輔。正面屋上には、当時の日本経済の牽引役であった石炭と紡績を象徴した、ハンマーを持つ男性、糸巻を持つ女性の像が飾られている。 (昼間の写真は平成12年撮影)、、、、、今の時代にこの像を作ると、男性はフライパンを持ち、女性がハンマーを持つかもね!
20160806-130
20160806-128
2012_0402_085206t
2012_0402_085238t



・・・・・・・・・・・・東京駅丸の内駅舎に到着しました。 駅前広場はまだ工事中で仮囲いが景観の邪魔ですが、もうしばらくの辛抱を!、、、、、大正3年(1914)に建てられた駅舎は、辰野金吾の設計である。 その堂々たる姿は、多くの人々に愛され、平成13年(2025)には戦災で壊れた部分を含め、原形に修復された。
20160806-135
20160806-125

2016年8月 4日 (木)

南武線浜川崎支線

今日は川崎にどうしても見たいものがあり、目的地の近くを走る南武線浜川崎支線に乗車し、新たに設置された小田栄駅なども見てきた。 8千歩、6km。



南武線浜川崎支線・・・・・・・・尻手(しって)駅で本線と分かれ、終点の浜川崎駅まで向かう、5駅(両端の駅を含む)、4.1kmを、2両連結の205系ワンマンカーにて運行されている。 


・・・・・・・・・・・・知ってるかい「尻手駅」、、、、、川崎の隣駅で、昭和2年(1927)に南武鉄道(現:南武線)の駅として開業した。、、、、3番線から浜川崎行きの電車に乗る
20160804-039


・・・・・・・・・・・・尻手の次は「八丁畷(はっちょうなわて)駅」、、、、大正5年(1916)、京浜電気鉄道(現:京急本線)の駅として開業。 昭和5年(1930)に南武鉄道の駅が旅客営業を開始した。 地上に京急、高架に南武線のホームがある。 南武線の駅は京急が管理しており、京急のホーム経由で南武線のホームに出る。 また、南武線のホームは1面1線で、上下線で共用している。、、、、、都会から来た私には、判りづらい駅である。
20160804-013



・・・・・・・・・・・・京急の改札を通り、正面の地上ホームは京急、階段を上ると高架上に南武線のホームが1面のみ存在する。

20160804-006

20160804-003

20160804-038



・・・・・・・・・・・・ホーム上に置かれている簡易ICカード改札機

20160804-026



・・・・・・・・・・・・尻手側を見ると、鶴見方面から東海道貨物線が浜川崎方面へ並走する。、、、、タイミングよく、EF210に牽かれて貨物列車が通過!

20160804-021

20160804-029



・・・・・・・・・・・・八丁畷駅の次は「川崎新町駅」、残念だが写真撮れず通過。 その次は「小田栄駅」。、、、、、、初めて来た駅。 それもそのはず、今年の3月26日に開業した新しい駅である。 現在は仮乗降場扱いである。、、、、、、相対式ホーム2面2線の地上駅であるが、ホームは踏切を挟んで対角に配置されている。 まずは、浜川崎方面行き駅舎。

20160804-094

20160804-087



・・・・・・・・・・・・こちらは、尻手方面行き小田栄駅

20160804-106

20160804-096

20160804-098



・・・・・・・・・・・・そして、終点の「浜川崎駅」。 浜川崎駅には、東海道本線(貨物支線)・南武線(浜川崎支線)・鶴見線の3路線が乗り入れている。 ただし、旅客営業を行っているのは南武線と鶴見線で、東海道本線は貨物専用である。 また、南武線と鶴見線は乗り換え可能であるが、駅舎・ホームはチョイと離れている。、、、、、南武線の浜川崎駅は、昭和5年(1930)に開業した。 ホームは2番線のみを使用している。(1番線は貨物が通過するのみ)

20160804-056

20160804-054

20160804-044

20160804-046

20160804-060



・・・・・・・・・・・・道路を挟み、反対側に鶴見線の浜川崎駅がある

20160804-070



・・・・・・・・・・・・駅構内では、昭和52年(1977)12月20日に誕生したEF65-2091号機(当初はEF65-1091号機)が、40年近く経過した現在も活躍中。

20160804-066




地図から消えた建築・・・・・・・・今日の散歩は、私(雅万歩)がゼネコンに入社し、現場監督の一人として、初めて手掛けた建物が壊されると知り、“最後の別れ”、一目見ておくつもりで、川崎新町駅に近い思い出の地に飛んできた。、、、、、残念無念、遅かりし! 建物はすでに取り壊され、更地となっていた。、、、、、昭和44年(1969)から約1年半、この建物の敷地で寝起きし、新人の現場監督として努めた、私には思いで多い建物であった。 建物は、某県警の独身寮として一昨年まで使用され、今年民間に払い下げられマンションに変わるそうだ。、、、、、私が係わった地図に残る仕事の一つが消えた!


・・・・・・・・・・・・綺麗に取り壊され整地され、40数年前、私が初めてここへ来た時と同じ光景が再びよみがえった!

20160804-125_20210820140601



・・・・・・・・・・・・今日現在、Googleマップのストリートビューで見ることができる、幻となった建物

8

12

2016年8月 3日 (水)

上野~田端

梅雨は明けたが、昨日今日の天気は『ゲリラ豪雨に遭遇』の可能性が極めて高く、散歩に出る判断を惑わせている。 私は、今朝、川崎方面を歩く予定で家を出た。 駅へ向かう途中、チョイと怪しい空模様、ポッリポッリと落ちてきた。 予定変更!上野方面に向かう、100円のコミュニティバスに乗り、上野駅の近く「下谷」で下車し、荒川区の裏道を抜けて、北区の田端駅まで、1万歩、8kmの散歩となった。



① 三島神社 ・・・・・・・・・台東区下谷3丁目に三島神社がある。 神社は、弘安の役で勇名を馳せた河野通有の発願により、彼の出身地に鎮座する三島神社(伊予国一宮・大山祇神社)を、弘安4年(1281)に勧請、創建したと言われている。 三島神社の宮司さんは代々河野通有の子孫が奉仕しているそうだ。 現:宮司は中年女性の方で、私に“散歩のお供”にと神社特製の飴玉を3粒くださった。、、、、、社殿は昭和20年(1945)3月戦災により焼失。 現社殿は昭和30年(1955)に再建された神明造に向拝を配したものとなっている。
20160803-003
20160803-004




石稲荷神社・・・・・・・・・根岸4丁目、金曽木小学校の北側に、通称石稲荷神社と称する小さな神社がある。 神社は、貞享4年(1687)金杉村大塚(下根岸)と呼ばれていた現在地に創建した。、、、、、地元の有志が祀り、守っているようだ!

20160803-010




夕焼け小焼けの搭・・・・・・・・荒川区東日暮里3丁目、第三日暮里小学校の南側に、童謡「夕焼け小焼けの搭」がある。 この歌は、大正8年(1919)に発表された中村雨紅の詞に、草川信が大正12年(1923)に曲をつけた童謡で、雨紅の故郷、現在の東京都八王子市の情景を歌ったもの。、、、、、それが、なぜここに?、、、、、中村雨紅は、大正5年(1916)に第二日暮里小学校の教師となり、大正7年(1918)に第三日暮里小学校へ転勤した。 第三日暮里小学校在職中に夕焼小焼の作詞が行われたため、現:荒川区立第二日暮里小学校には「夕焼け小焼けの記念碑」が、荒川区立第三日暮里小学校には「夕焼け小焼けの塔」が建立されている。、、、、夕方4時から6時頃にかけ、毎日、子供に帰宅を促すため、歌が全国的に流され万人が知る童謡。 “防災無線大賞”なる賞が創設されていれば、間違いなく受賞している歌である。 

20160803-014




西日暮里の町・・・・・・・・・・・・・・・


・・・・・・・・・・・・三河島駅 前を北へ向かい西日暮里1丁目に入る

20160803-027



・・・・・・・・・・・・三河島駅の北側50m程のところに、御茶屋の池田園がある。 昭和初期の建物か? 以前店に立ち寄った時には、店の中には骨董のようなレジスター、古い茶壷も並んでいた。 (写真:以前撮影)

20160727-104

2013_0720_104406



・・・・・・・・・・・・西日暮里1丁目の裏道

20160803-043

・・・・・・・・・・・・こちらは、行き止まりの裏道

20160803-049

・・・・・・・・・・・・町角で、チョイと哀しそうな顔した與楽地蔵尊

20160803-050



・・・・・・・・・・・・常磐貨物線が「道灌山通り」を横切る日暮里道踏切。 ここは貨物列車しか通らない踏切。

20160803-058

20160803-059



・・・・・・・・・・・・京成本線の高架橋を抜けると西日暮里6丁目に入る

20160803-067



・・・・・・・・・・・・京成本線の高架橋の北側奥に、「冠新道」と呼ばれる商店街がある。 「冠」とは、新道の建設に際して土地を提供した地権者の名前を取ったもらしい。 車の通行は少なく、のんびり買い物できそうな商店街。

20160803-071



・・・・・・・・・・・・商店街の先は北区。 田端駅 はスグソコ!

« 2016年7月 | トップページ | 2016年9月 »