高砂~金町
予報では、昨日より4度下がって今日の気温は33度、、、、、『ヨシ、熱中症に挑戦だ!』と意気込んで、京成本線高砂駅からJR常磐線金町駅まで、1万歩、7km、汗びっしょりの散歩。
① 京成高砂駅 ・・・・・・・・大正元年(1912)11月3日、「曲金駅」(まがりかねえき)として開業したが、大正2年(1913)6月26日に高砂駅と改称した。 開業時の駅名は、当時の“南葛飾郡曲金村字高砂”から村名「曲金」に由来する。 翌年にはめでたい言葉にあやかり字名の「高砂」に変えた。 町名として「高砂」が使用されるのは昭和に入ってからで、既に駅名は「高砂」に変わっていた。 昭和6年(1931)、「高砂」に「京成」を冠し、駅名は「京成高砂」と改称した。 (理由:兵庫県にあった国鉄高砂線の高砂駅と間違えないように、チョイとした気遣いである。)、、、、、、京成高砂駅には、京成電鉄の本線・金町線・成田空港線と、北総鉄道の北総線が乗り入れている。 京成のジャンクションとして機能する駅。





② 高砂中央通り商店会・・・・・・・・・・名前から想像すると、駅前の通勤客でにぎわう、元気な商店街をイメージしてしまう。、、、、、しかし、その実態は、、、、、京成高砂駅前の“開かずの踏切”があるバス通り、その横に北に向かう100m程の狭い商店街がある。 数年前の情報では、加盟店舗は7店舗である。 今朝、歩いてみると現在営業中の店舗は4、5店程と思われる。、、、、、いつまで残るか、街路灯の商店街名?
③ 聞明寺・・・・・・・・・・高砂駅から北に500m程行くと、真宗大谷派寺院の聞明寺(もんみょうじ)がある。 天正15年(1587)歓喜坊栄源により、下総国岡田郡横曽根村(茨城県水海道市)に創建。 その後、慶長7年(1602)に江戸桜田本郷の報恩寺に移転、寛永7年(1630)には浅草の東本願寺に移転。 関東大震災では被災し、昭和2年(1927)に現在地:高砂7丁目へ移転した。、、、、、、今日、一年ぶりに訪れてみたら、アレ?本堂がない!、、、、、昭和7年(1932)に建てられた本堂は、耐震補強が求められ、改修工事を行うこととなったそうだ。 工事は、基礎工事が完了するまで既存の本堂を脇にずらし、基礎工事完了後、再び元に戻す「曳屋」により進められている。 「曳屋」は、現在、見る機会が少なくなった工法である。、、、、、ちなみに、工事費は2億4千万円程らしい。
・・・・・・・・・・・・山門の左後ろに本堂の屋根が見える
・・・・・・・・・・・・昨年2月のに撮った聞明寺。 山門をくぐると正面に本堂がある。
・・・・・・・・・・・・本堂のあった処は基礎工事中。 脇にずれ、工事を見守る本堂。
④ 古録天神社・・・・・・・・・聞明寺から北東に500m程行くと、6叉路の角に古録天神社(柴又2丁目)がある。 創建年代は不詳。、、、、、木造流れ造りの社殿は平成15年(2003)に建てられた。
⑤ 金町を抜けて駅へ・・・・・・・・・
⑥ JR金町駅 ・・・・・・・・・・盛土の下に改札があり、改札を出ると南北の出入口を結ぶ自由通路により、駅前ロータリーにでる。 ホームは、緩行線(千代田線直通)の島式ホーム1面2線である。、、、、、、明治30年(1897)12月27日に、日本鉄道の駅として開業した。
・・・・・・・・・・・・ホームの前を、常磐線快速、新金貨物線 が通過していく。