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2016年9月

2016年9月30日 (金)

京島

総武本線亀戸駅から東武亀戸線小村井駅をとおり、古い家屋と町工場の密集する京島地区をブラブラして京成曳舟駅まで、1万1千歩、8km、夕暮れ前の散歩です。



亀戸駅から小村井駅まで・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・亀戸駅前に立って、『さて、どっちへ歩くか?』。 私の前を可愛い娘が横切った、『よし、俺もこっちだ!』。、、、チョイと歩いたら、娘は駅前のコンビニに消えた。 これ以上、後をつけたらストーカーになるので、私は一人で、駅前の通り「明治通り」を北へ向かう。、、、、、レコード屋の前では、小林旭になった気持ちで、♪♪北へ帰ろう 思い出抱いて 北へ帰ろう 星降る夜に♪♪
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・・・・・・・・・・・・・・蔵前橋通りを横断すると香取神社 がある。 『チョイと、寄っていくか。』、、、、、看板建築を模した商店が並ぶ参道を歩く

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・・・・・・・・・・・・・明治通りを北へ、、、、北十間川に架かる福神橋(昭和58年(1983)竣工)を渡る。、、、、橋からスカイツリーを見る。『天気が良ければ、いい景色なのだが。 ついてないね』

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・・・・・・・・・・・・【余談】 橋の上で思い出した! 昭和47年(1972)11月11日まで、この橋の南側に都電の福神橋停留場があった。 ここには都電23系統(福神橋~月島通八丁目)と24系統(福神橋~須田町)が運転されていた。、、、、学生時代、24系統の都電を見ると、「福神橋」の橋は知らずとも、上野「酒悦」の「福神漬け」が頭をよぎるのであった。 食に飢えていたのかも?



・・・・・・・・・・・・東武亀戸線小村井(おむらい)駅を通り過ぎ、駅裏の向島警察署前に出た。、、、、向島警察署は、大正7年(1918)に千住警察署寺島文書として開設した。 当時は、まだ畑の中の警察署だったと思うね。

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京島地区 ・・・・・・・・・向島警察署から北西方向(京成曳舟駅方向)に向かって、ここからは裏道を歩くことにした。 墨田区文化3丁目、京島3丁目、京島1丁目と抜けて京成曳舟駅まで。


・・・・・・・・・・・・・・文化3丁目、戦後の建物が残る一画

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・・・・・・・・・・・・・・・京島地区は、先の大戦での被害は少なく、大正・昭和の長屋なども現存するしている。 古い家屋と町工場が混在し、東京の下町として、特徴的な街並みが色濃く残っている地域である。 だが、木造家屋に狭い路地の木蜜地区として、車の通行の問題や、大規模災害時の安全対策などの問題が顕在化しているが、いまだ解決には時間がかかりそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・機械油の匂いがする町、、、、、私の好きな匂い!

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・・・・・・・・・・・・・・緊急車両も入れぬ裏道、、、、、事が起きたら、さあ!大変!

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・・・・・・・・・・・・・・・「備えあれば憂いなし」、ぜひ、そう願いたい防災対策、、、、延焼を防ぎ、道路を広げる、路地の奥にポッカリ広がる小公園、、、、、万が一に役立つ公園の手押しポンプ、、、、、消防車を待つより自衛で消火、、、、、防災拠点も整備した

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・・・・・・・・・・・・・・京島地区の中心で活気づく「キラキラ橘商店街」、、、、現在、約90店舗が営業中。 食料関係の店が多く、地域の台所となっている。 震災・戦災から奇跡的に難を逃れ、古くから町の人に愛されている商店街。、、、、、商店街の端には、お金が貯まる(?)、田丸稲荷神社が鎮座する。

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・・・・・・・・・・・・・・京島地区の北の端に、京成曳舟駅がある。 高架駅となり、駅前には高層マンションが建ち、木蜜地区も変化している。

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2016年9月28日 (水)

板橋~大塚

板橋区・北区・豊島区の3区の境に位置する、JR埼京線(正式には赤羽線)の板橋駅から、山手線大塚駅まで、1万1千歩、8kmの散歩です。



板橋駅・・・・・・・・明治18年(1885)に開業した歴史ある駅。、、、、豊島区に位置するホームに降り、北区(滝野川口)のトイレに入り、板橋区(西口)の改札から出ることができる面白い駅。
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・・・・・・・・・・・・・・駅名を見て思い出した駄洒落、、、、勝ってくるぞと板橋区 ♪♪、、、引き続き思いだした、、、、物価があると江東(高騰)区。 ライバル多い台東(台頭)区。 清く貧しく葛飾区。 気がつきゃ友達、港区(皆、遠く)。 洗濯物が荒川区(アラ、乾く)。 仕事終わればサッサと北区(帰宅)。、、、、さらに、、、、足立(あたし)馬鹿よね、お馬鹿さんよね♪♪、、、、、これくらいにしておく!




滝野川6丁目の裏道・・・・・・・・・板橋駅の西側、旧中山道(とげぬき地蔵、庚申塚、板橋駅前を抜ける旧道)と現:中山道に挟まれた滝野川6丁目の裏道を歩き回ってきた。


・・・・・・・・・・・・・・・まずは、埼京線踏切の脇を入る路地で、両側にスナック、居酒屋が並ぶ。 路地を抜けると板橋駅滝野川口の方に出る。

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・・・・・・・・・・・・・つぎは、旧中山道と中山道(国道17号線)を結ぶ「きつね塚通り商店街」。 250m程の小さな商店街で、シャッターを下ろした店もある。、、、、「きつね塚通り」の名は、かつて、この通りが王子稲荷への道だったことに由来しているそうだ。、、、、商店街に面する神召教会 は、昭和2年(1927)に建てられたプロテスタント教会。

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・・・・・・・・・・・・・・きつね塚通りから、さらに裏道というより路地に入る。 “路地の路地”とも言えるような、奥まった処にも、生活の匂いがする。、、、、デイ・サービスの送迎車も入れないのでお年寄りはつらいね。

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・・・・・・・・・・・・・旧中山道と中山道を結ぶ、もう一つの商店街「御代の台仲通り商店街」に出てきた。 こちらも、地域密着型商店街で、通りに点在する店の数も少ない。

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・・・・・・・・・・・・・御代の台仲通り商店街を横断し、再び商店街の裏を歩く。、、、オ~~、一昔前には割烹着姿のおばちゃんたちが、近所の噂話で盛り上がった、手押しポンプの井戸が残っている。

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・・・・・・・・・・・・・・井戸の近くの住宅には、玄関に「二日酔のため臨時休業」と、粋な案内が出ていたが、はて?、ここは何屋だ? 

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・・・・・・・・・・・・・木蜜地区では、新築時に、前面道路の幅を広げ緊急車両を通れるようにするため、建物を後退するよう指導されている。、、、、車両が通れるようになるには、まだまだ時間がかかるようだ。

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・・・・・・・・・・・・・路地裏の銭湯「稲荷湯」の前に出た。 昭和5年(1929)に建てられた、This is SENNTOU

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西巣鴨・・・・・・・・・・明治通りを横切って、西巣鴨の町に入った

・・・・・・・・・・・・・すがも鴨台観音堂、、、、、、大正大学の施設で、平成25年(2013)に大林組の施工で建てられた“サザエ堂”
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・・・・・・・・・・・・野菜の種子屋がここ西巣鴨には20軒以上あった。 その一軒がサザエ堂の隣に残っている。 種子問屋榎本留吉商店(現:東京種苗株式会社)。

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・・・・・・・・・・・・・・近くには、旧街道筋の紙屋として伊勢屋紙店もある。

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都電荒川線・・・・・・・・・・・巣鴨新田停留場付近

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大塚駅 ・・・・・・・・・明治36年(1903)日本鉄道の駅として開業した古い駅。、、、、大塚駅は豊島区南大塚にある。 ところが隣の文京区には「大塚」の町がある。 どちらが本当の大塚か? 本来は文京区にある大塚が本家本元、豊島区には大塚駅が開業してしまったため、後に駅周辺を「南大塚」としたそうだ。 そして、南大塚は地勢上の中心地となった。 ややこしい話だが、私にはどうでもいい話。、、、、今日の散歩のまとめは、“おお、疲れた!”

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2016年9月26日 (月)

大鳥居~東六郷

京急空港線大鳥居駅から京急本線雑色駅近くの東六郷まで、1万歩、7kmの散歩です。



大鳥居駅・・・・・・・・・・明治35年(1902)6月28日、穴守線(蒲田~穴守)の開通と同時に開業した。 駅名は、近くにあった穴守稲荷神社 の大鳥居に由来する。 昭和60年(1985)から空港線(旧穴守線)の地下化工事が始まり、平成9年(1997)に環八と産業道路の交わる大鳥居交差点の真下に大鳥居駅ホームが地下化された。

・・・・・・・・・・・・・ホームの先は、両側とも地上に出るので、光が差し込んでいる。
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・・・・・・・・・・・・・駅出入口は大鳥居交差点に、対角状の2か所に設けられている。、、、、今日は、駅から西に向かって歩くことにしたが、前を行く女性について歩いていたら南に向かっていた、アレ???

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産業道路に面して並ぶ1社2寺・・・・・・・・・・大鳥居交差点から産業道路を南下し、大師橋の北詰に並ぶ寺社。


・・・・・・・・・・・・・・まずは、真言宗智山派寺院の自性院、、、、、、自性院は、慈性(平治元年(1159)寂)が開基となり創建したと伝えられ、恵麻法師(永禄2年(1559)寂)が中興した。、、、、、安政5年(1858)には、火事により諸堂を焼失した。 その後復興につとめ、明治42年(1909)に本堂を建立した。、、、、、境内の牛頭天王堂(ごずてんのうどう)は、外陣は入母屋造り銅板葺、向拝に軒唐破風を付け、その下に弁財天の彫刻が施され、各軒廻りに斗供をもつ。内陣は切妻造り銅板葺。 文久元年(1861)、大森の弁天神社の社殿として建てられたが、昭和4年(1929)に移築し、牛頭天王堂として転用した。

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・・・・・・・・・・・・・・自性院の隣の羽田神社、、、、、、羽田神社は、小田原北条氏が当地附近を治めていた頃に領主が牛頭天王社を祀ったことに始まる。 江戸時代には、旧羽田村(本羽田)・旧羽田猟師町(羽田)の鎮守となっていた。 明治維新の神仏分離により、八雲神社と改称、明治40年(1907)に羽田神社と改称した。、、、、社殿は昭和63年(1988)に鉄筋コンクリート造で建て替えられた。 ちなみに施工は東亜建設工業。

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・・・・・・・・・・・・・・・境内は巫女さんによって綺麗に清掃されていた。、、、、間もなく七五三詣でもはじまり、忙しくなりそうだ。 私も、巫女さんの衣装で、手伝ってあげるかな。

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・・・・・・・・・・・・・羽田神社の南隣は、真言宗智山派寺院の正蔵院、、、、、喜修山了仲寺と号す。 創建年代は不詳であるが、室町時代以前の創建と言われている。、、、、本尊は不動明王で、「羽田不動尊」として海上安全、大漁満足を祈願するそうだ。

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大師橋・・・・・・・・・・・・・多摩川に架かり、北側の大田区羽田2丁目、南側の川崎市川崎区大師河原1丁目を結ぶ橋。 橋上には産業道路を通す。 平成3年(1991)から着工し、平成19年(2007)に上り下り2本の斜張橋が完成した。、、、、、今日は渡らず、さわりだけ。

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荻中の町・・・・・・・・・・・京急空港線糀谷駅と大鳥居駅間の南側、多摩川の北側に、「萩中(はぎなか)」の町がある。 


・・・・・・・・・・・・・・周辺は羽田の下町

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・・・・・・・・・・・・・・萩中の町に、規模の小さい都営アパートが点在する

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・・・・・・・・・・・・・・町の中央、東西に、色あせた旗がなびく地域密着型商店街「萩中通り商店街」がある。、、、、、高齢者を対象とした店が並び、デイサービスのステーションがあり、店じまいしシャッターの下りた店舗があり、目に入る光景は典型的な下町の商店街。 チョイと歩いてみた。

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・・・・・・・・・・・・・・町の中心(?) 萩中神社、、、、、創建年代は不詳だが、神明社と称し江戸時代後期には既に鎮座していたそうだ。 地元の人のみぞ知る古社か?

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七辻・・・・・・・・・萩中通り商店街を西へ向かい、萩中の町を抜けるところに、なんと! 7本の道路が交差する「七辻」がある。 南蒲田2丁目、萩中1丁目、東六郷1丁目、南六郷1丁目の接するところである。 しかも、この交差点には信号機が無い! 互いに譲りあい、事故の無い交差点らしい、素晴らしいね。、、、、写真から7本の道路が判りますか? 白線を追うと判りやすいです。

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●・・・・・・・・・・・・蒲田駅行きのバス停があった。 お時間も、チョウドよろしいようで、今日の散歩はここまで。

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2016年9月25日 (日)

代々木上原~参宮橋

小田急線代々木上原駅から参宮橋駅まで、1万1千歩、8kmの散歩です。



代々木上原駅・・・・・・・・・昭和2年(1927)4月1日、小田原線(新宿~小田原)の開通と同時に代々幡上原駅として開業し、昭和16年(1941)10月15日に代々木上原駅に改称した。 昭和52年(1977)10月、島式ホーム2面4線の高架駅となり、翌年には地下鉄千代田線との相互直通運転が始まる。、、、、開通時、駅付近の地名は「東京府豊多摩郡代々幡村大字上原」であった、現在の駅舎の住所は「東京都渋谷区西原」、高架橋の南側は「渋谷区上原」である。 “代々木上原”の地名は無い!
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・・・・・・・・・・・・・・・高架下は飲食店を中心とした商業施設が設けられているが、朝はまだシャッターが下り営業前の店ばかり。

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上原1丁目・・・・・・・・駅の南側、上原の町は起伏が激しい土地で、急な坂や丘が多く曲がりくねった道路、行き止まり、狭い一方通行と、迷路のような道が多い。 1丁目の南側には井ノ頭通りがあり、道路の向こうは上原2丁目セレブの町と聞いた。、、、、、今日は1丁目をブラブラ


・・・・・・・・・・・駅前の坂の上に建つ住宅:N邸、、、木造2階建ての小柄な住宅、下見板張りの外壁に窓は、昭和初期の建物か?

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・・・・・・・・・・・・IG邸、、、、、塀の外から眺める洋館風建物

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・・・・・・・・・・・坂の多い町で、数か所の擁壁には煉瓦の廃材が使用されていた。 関東大震災で壊れた構造物の再利用か(?)、、、、デザインとして見ると、面白いものだ!

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・・・・・・・・・・・美容院の脇を入り、畳屋の脇に出た、、、、、昔だったら、髪結いの姉さんと畳屋の若旦那が、夜ごと通った細い路。

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・・・・・・・・・・・・・曲がりくねって、井ノ頭通りに出た!、、、、通りの向こうは上原2丁目、セレブの町は次回の楽しみにして、今日は横断せずに上原1丁目に戻る。

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小田急線跨線橋・・・・・・・・・上原1丁目、住宅地の裏道、正面に跨線橋が見えた、、、、あそこに行けば、小田急線が見えるとワクワク・ドキドキ・シメシメ、足も速くなる!

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・・・・・・・・・・そこは、小田急本線の間に、地下鉄千代田線が顔を出すところ。、、、、電車を見て満足するのは、2歳の孫(小鉄)とほぼ同レベルの鉄道オタク。

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代々木八幡宮 ・・・・・・・代々木八幡駅の北側に、小高い丘がある。 この丘の上に代々木八幡宮がある。 建暦2年(1212=鎌倉時代)に源氏の守り神である鶴岡八幡宮の分霊をまつり創建した村社。、、、、、チョイとした階段を上り、玉石を敷き詰めた参道を歩き、拝殿に向かう、このアプローチは厳かな気持ちになり、いい雰囲気を醸しだしている。、、、、、境内では、氏子の方々が提灯をだし、祭礼の準備中。 

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福泉寺・・・・・・・・代々木八幡宮とは地続きで、かつて代々木八幡宮の別当寺であった天台宗の福泉寺。 創建年代は不詳であるが、建暦2年(1212)に代々木八幡宮を創建したとき、同時に庵を創建したそうだ。 江戸中期に天台宗として中興されたといわれている。、、、、参道には、1700年代(江戸時代)の庚申塔が並んでいる。 また境内では、苔の衣を身に着けた多くの地蔵さんが迎えてくれる。、、、、本堂は、戦災で焼失し、昭和34年(1959)に再建された。

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参宮橋駅 ・・・・・・・・昭和2年(1927)4月1日に開業した、相対式ホーム2面2線の地上駅。

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2016年9月21日 (水)

今日も墓参り

昨夜、台風16号も東海道沖で熱帯低気圧となり、今朝は“台風一過の晴天”を期待したいところだが現実は前線が停滞し、朝から肌寒い曇り空。 明日は再び、傘が必要となる空模様らしい。、、、、、明日の秋分の日に参る予定だった八王子郊外の墓参りを、急遽、今日に繰り上げた。 夫婦で墓参り、90歳を超した母は我が家で留守番。


・・・・・・・・・・・JR八王子駅前のバス停には、待つ人がいない。 おや?、バスが出たあとか? バス停の時刻表を見て、ありゃ!、こりゃ!、なんじゃ! これまで駅前から頻発していた、終点のレジャーランド行のバスは全て途中ノンストップの急行に昇格していた。 途中のバス停で下車していた私は、二時間に一本の各停のバスに乗らないと行けなくなっていた。 タクシーなら、片道2,500円の距離、往復5,000円はもったいない。 次に来るバスは1時間半後である。 、、、、、“仕様がない、生姜は八百屋にある!”なんて、つまらぬ駄洒落を言いながら、無き知恵を絞り行く方法を考えた。 別系統のバスが、二つ手前のバス停まで頻繁に出ているので、それに乗って行き、歩くことにした。、、、、ご先祖が、健康のため、散歩コースを作ってくれたのか(?) ぼやきながら、いやいやの散歩。


・・・・・・・・・・・長屋門のある農家、地蔵さんの前を通り、寺の本堂横を上り、墓地に参る。 手術後、肺活量が減少した私には、坂を上がる、チョイと苦しい墓参りになった。
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・・・・・・・・・・・・・・・大正から終戦まで織物の街として繁栄した八王子の中町界隈には、今も「八王子花街・黒塀通り」と称し、数件の料亭・置屋による花街が残されている。 現在も14人の芸者衆が、花街の伝統を守るべく、日々稽古に精進しているそうだ。、、、、、チョイとぶらり散歩、、、、、「墓に 入る前 黒塀 寄って 一度 会いたい 彼岸花」

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・・・・・・・・・・・・・谷内六郎のモザイク壁画 、、、、、、、毎年、年に数回の頻度で八王子に来ていたが、駅前の書店に谷内六郎の週刊新潮のモザイク壁画があることは、うかつにも知らなかった。、、、、、制作年代など不詳、、、、、新宿の新潮社表参道の山陽堂赤羽の金竜堂書店、に続く4件目の発見。、、、、どれも、懐かしく、可愛い絵である

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2016年9月19日 (月)

散歩は休み

暑い夏も、連続する台風により、いつの間にか過ぎ、すごしやすい季節となった。 今日も傘を持ち歩く空模様だが、彼岸の入りで、夫婦で墓参りをしてきた。、、、、「暑い暑いと 離した妻も 彼岸過ぎたら 添い寝する」


・・・・・・・・・・仏教では、生死の海を渡って到達する悟りの世界を「彼岸」といい、その反対側の私たちがいる迷いや煩悩に満ちた世界を「此岸」という。 そして、「彼岸」は西に、「此岸」は東にあるとされ、太陽が真東から昇って真西に沈む秋分と春分は、彼岸と此岸がもっとも通じやすくなると考えられ、先祖供養をするようになった。 だから、彼岸会には、先祖を敬って墓参りし、それと共に自身の心のあり様を見直すことも大切なことだそうだ。、、、、私も、阿弥陀様、観音様の西方浄土に向かって手を合わせ後生の安楽を願った。 (できれば、観音様には現世でも会ってみたいものだ)


・・・・・・・・・・【余談】 「彼岸」は「ひがん」と読み、「此岸」は「しがん」と読む。 ところが、江戸っ子の私には、“し”と“ひ”の発音が区別できず、両方とも“しがん”と発音してしまう。、、、、、ちなみに「朝日新聞」は“あさししんぶん”、「品質管理」は“しんしつかんり”(=寝室管理)。 「広島」は間違えるのを意識し、注意して“ひろしま”と発音するが、「東広島」になると、注意力は吹っ飛び、“しがししろしま”と発音する悲しい男だ。
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・・・・・・・・・・墓で、草むしり中に、見つけた芋虫。 なんと、卒塔婆の後ろで、集団で食事中! 全部で10匹程いた。、、、、、綺麗な色の芋虫なので、帰って調べてみたら、「キアゲハ」の幼虫である。、、、、、キアゲハは卵から、孵化後2週間前後で蛹となるそうだ。 油断していると、いつの間にか脱皮して成虫となり飛んで行く蝶、チョウガナイナ~~

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・・・・・・・・・・・“盆”と“彼岸”を間違え、そそっかしい御先祖が芋虫の姿で、この世に戻ったか? 

 

2016年9月17日 (土)

世田谷代田~東北沢

連続する台風の影響で連日の雨模様。 明日から、また降り続くようだ。 今日は、朝から晴れていたので、早速散歩に出た。
小田急線世田谷代田駅から東北沢駅まで、1万歩、8kmの散歩です。


世田谷代田駅 ・・・・・・・・・・・・地上から約25m下がったところに、世田谷代田駅の仮設ホームがある。 ここは、工事完成後、急行線が通過する地下3層構造の最下層で、現在は上層の緩行線ホーム部分の工事が進められているため、仮設ホームを設け使用している。、、、、チョイと薄暗く、コンクリート肌がむき出しの駅は、完成を期待し何かワクワク感が漂い、若い頃の現場勤務を思い出した。
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②代田八幡神社・・・・・・・・世田谷代田駅前を走る「環七通り」に面し代田八幡神社がある。 室町時代、小田原北条氏の家臣で世田谷一帯の領主であった吉良氏は、北条氏滅亡後、領主の座を追われた。 その家人七家によって天正19年(1591)、宇佐八幡宮(世田谷八幡宮)から八幡神を勧請し、創建したことには始まる。、、、、、社殿は戦災で焼失し、昭和33年(1958)に現社殿が再建された。、、、、環七に面する現在の鳥居は高さ:3.115m、柱間:2.39m、花崗岩の神明鳥居である。 この鳥居は天明5年(1785)に奉納されたもので、石工は北八丁堀松屋町助左衛門。 大正12年(1923)の関東大震災では傾いたため、その修理の時に正面を裏に向けてしまった、チョイと間抜けな話。
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③円乗院・・・・・・・・世田谷区代田2丁目にある、代永山真勝寺円乗院と号する、真言宗豊山派の寺院。 寺の創建年代は不詳であるが、寛永初期頃(1625頃)までに代田村村民の菩提寺として創建された。、、、、、本堂は戦災で被災したため、現本堂は昭和29年(1954)に、台東区橋場総泉寺(秋田佐竹侯菩提寺)の旧本堂を移築した。 狩野探信筆の襖絵(文政8年)などがあり、江戸後期の建物と思われるそうだ。、、、、綺麗に整備されている境内は気持ちよいものだ。
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・・・・・・・・・・・二間四方の観音堂には、十一面観音が安置されている。

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④ふれあいの水辺
・・・・・・・・・世田谷区では、区内を流れている北沢川、烏山川、目黒川の約2.4kmを「ふれあいの水辺」と称し、緑道に整備した。、、、、、北沢川緑道として、環七通りの宮前橋交差点から、下代田橋(世田谷区代沢)までの約1.0kmは「北沢川文学の小路」と呼んでいるらしい。 川の周囲に歌人、作家、詩人が住んでいたそうだ。、、、、今日は、宮前橋から下流に約0.7km歩いてみた。

・・・・・・・・・・・北沢川は昭和初期頃までは農業用水として利用されていたが、その後、都市化が進み水質も悪化した。 昭和40年代には暗渠化され、平成19年度までに緑道として整備された。 緑道には、川であった頃の橋の欄干が残されている。
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・・・・・・・・・・・・緑道沿いに約150本の桜の木が植えられている。 満開になると花のトンネルとなり、見ごたえがありそうだ。

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・・・・・・・・・・・61号鉄塔、、、、、これは北沢川に架かっていた鶴ヶ丘橋から見える丘の上の鉄塔で、昭和8年(1933)頃から、この塔の下に詩人:萩原朔太郎が住んでいたそうだ。 塔は昭和元年(1926)に建てられた。、、、、、丘の上の銀色に輝く塔は、当時、都市近郊に住む人のシンボル的なものであったそうだ。

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⑤森厳寺・・・・・・・・緑道から、丘を上るように裏道を歩き、代沢3丁目の森巌寺(しんがんじ)の前に出た。 思い出した、ここは去年歩いたぞ! 、、、、、、慶長13年(1608)に徳川家康の二男:結城秀康の位牌所として建立された浄土宗の寺院である。

・・・・・・・・・・・・山門前には「粟嶋の灸」の看板、常夜灯、道標が並びお出迎え。 江戸時代には、“灸”と“針供養”と“富士講”の寺として知られたそうだ。

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・・・・・・・・・・・三つ葉葵の御威光により、長寿を願い、まずは本堂に手を合わせる。
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・・・・・・・・・・・淡島堂に祀られる淡島様は、江戸時代、女性や子供に関するありとあらゆるご利益を授ける守り神と崇められていた。 祭神は医療と医薬の神の少彦名神。、、、、現在の淡島堂は天保7年(1836)に建てられた、、、、、堂の前に針塚がある
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・・・・・・・・・・・・閻魔堂には、もちろん閻魔さまが住み、不動さまも居候
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⑥北澤八幡神社
・・・・・・・・森巌寺まで来たら、お隣の八幡神社に寄らずば罰があたる。、、、、、神社は、文明年間(1496~1487)に世田谷城主により勧請されたといわれている。 現社殿は昭和53年(1978)に鉄筋コンクリート造で改築された。 

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⑦下北沢付近
・・・・・・・・下北沢駅付近を抜け、小田急線地上線路跡をチラリと見て、東北沢へ向かう、、、、、踏切も、線路も無くなった!

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⑧東北沢駅
・・・・・・・・・・昭和2年(1927)4月1日に開業。、、、、現在工事している連続立体交差化(地下化)・複々線化工事区間の新宿寄りの駅。 ここでは、新宿寄りの地上から複々線の4線が地下駅に並行して入ってくる。 中央の2線が緩行線で、外側2本が急行線である。 しかし現在、緩行線は工事中で、外側2本の急行線を、緩行・急行が共用している。

・・・・・・・・・・・・地上の駅舎も只今工事中、、、、シンプルでスマートな駅ができそうだ、乞うご期待!

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・・・・・・・・・・・島式ホーム1面4線の地下駅を構築中である。 ホーム部はほぼ出来上がったが、緩行線が下北沢側で工事中であり、現在は緩行線部分にホームをせり出し、急行線を共用中。

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2016年9月14日 (水)

平井

JR総武線平井駅の南側を気ままに、ぶらぶら歩きまわってきた。 1万2千歩、9km。

・・・・・・・・・・注:江戸川区の大部分は荒川と江戸川の間にある。 その大部分に属さず、荒川の西側(都心より)に、旧中川と荒川に囲まれてチョイと出ているのが、「平井」の町である。



平井駅・・・・・・・・明治32年(1899)4月28日、総武鉄道(私鉄)の駅として開業し、以後、国有化された。 昭和40年代頃までは地上駅であった、その後、1面2線の高架駅となる。、、、、、平井駅周辺には域外から人を呼び込むような施設はなく、もっぱら地域密着型の駅で、乗降客も地元住民が大半を占めているようだ。
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・・・・・・・・・・・・通勤時間帯の総武線お茶の水寄り先頭車は女性専用車である。 私も、一度は乗ってみたい憧れの車両。 乗ったら、女性の鋭い、怖い、熱い視線で殺されるかも?
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平井の花街・・・・・・・・昭和初期、関東大震災の被災者が平井の町にも住み、平井駅の南側(平井3丁目)には花街が形成された。 昭和12年(1937)頃には、平井三業組合も設立したそうだ。 戦前には、置屋45軒、待合30軒以上、料理屋7軒、芸妓250名以上を数えたらしい。 まだ、私は生まれていないが、いい時代だったかも(?)、、、、、空襲で被災した街は、その後復興し、昭和25年(1950)頃には、料亭も20軒近くあったらしい。 当時4歳の私は、まだ知らない世界。 その後、売春防止法の施行、時代の変化により、昭和50年代に“平井の花街”は明かりを消した。


・・・・・・・・・・・・駅前の裏道は花街の名残か(?)、飲食店が点在する。 店の前をサラリーマンが速歩で駅へ向かう。

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・・・・・・・・・・・・現在も営業中の「割烹 まじま」は、終戦直後からある老舗の料理屋さん。

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・・・・・・・・・・・・こちらも、花街の名残か「割烹 あじさい」 若い女将が営業、17時からです。

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・・・・・・・・・・・・塀の前を芸妓が歩いたであろう?

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・・・・・・・・・・・・こちらは、2階から三味線の音が聞こえてくるような元料亭の建物。

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都営平井一丁目アパート・・・・・・・名は“一丁目アパート”だが、その実態は“江戸川区平井3丁目”にある。 昭和40年代の1965年から1969年に建てられた、総戸数:1196戸(12棟)の都営アパート。、、、、、中層もあれば、高層もある団地。 おじいさんも、おばあさんもいる団地。 おばあさんは、一人暮らしで買い物が大変らしい。

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ふれあい橋・・・・・・・・旧中川に架かる「ふれあい橋」は、江東区亀戸と江戸川区平井を結ぶ人道橋。 橋長:56mの1径間鋼製アーチ橋で平成6年(1994)に架けられた。、、、、、ここからは東京スカイツリーがバッチリ撮れ、絵になる。

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・・・・・・・・・・・・関東大震災では、この地点で、猛火に追われた2800名程が命を落としたそうだ。 橋の脇に慰霊碑が建立されている。

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平井浅間神社・・・・・・・平井3丁目、旧中川沿いにある浅間神社。 この神社は高さ約5mの富士塚そのものが神社という、珍しい神社。 神社の創建は不詳であるが、長享2年(1488)の創建とも伝えられ、当社は「逆井の富士塚」とも言われているそうだ。(私は、聞いたことがないけど!)

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平井白髭神社・・・・・・・・平井2丁目には白髭神社がある。 神社の創建年代は不詳だが、逆井村(現:平井)の鎮守で建治年間(1275~1278)の草創といわれている。 境内は広く、盆踊りには最適の広さかも? 社殿は、昭和45年(1970)に鉄筋コンクリート造にて建て替えられた。

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⑦ 最勝寺/成就寺 ・・・・・・・・


・・・・・・・・・・・・白髭神社を後にし、旧中川沿いの平井2丁目から、荒川沿いの平井1丁目へ、裏通りをブラブラ、、、、、右に曲がり、左に曲がり、どちらに曲がっても、同じような町並みで、つまらない!

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・・・・・・・・・・・・軒先のが色づいてきた!、、、、ここで有名な句 「柿食えば 腹が鳴るなり 冷やすなり」

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・・・・・・・・・・・・曲がり曲がって、去年、手を合わせた最勝寺前に出た。 これも何かの縁だと思い最勝寺に参り、お隣の成就寺にも参る。

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・・・・・・・・・・・・両寺を後に、駅前の商店街を抜け平井駅へ戻る。

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2016年9月12日 (月)

新小岩~小岩

今日も日没前の散歩となり、総武本線新小岩駅から隣の小岩駅まで、1万歩、7km。



新小岩信号場駅・・・・・・総武本線新小岩駅と小岩駅の間に、総武緩行線/快速線の線路に並行して数本の貨物線がある、ここはJR貨物の新小岩信号場駅である。 かつては、貨物扱いする「新小岩操駅」であったが、現在は貨物の扱いはせず、、一日に上下4本ずつの貨物列車が発着する、小さな操車場となっている。

・・・・・・・・・・・・新小岩駅北口に出て、線路沿いに東へ向かう。 駅では、南北自由通路整備工事が行われている。
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・・・・・・・・・・・・北口から150m程歩くと、広いロータリー状の駅前バス停がある。 ここを発着するバスは3系統だけ、バスを待つ人はまばらで、チョイともったいないね。
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・・・・・・・・・・・・越中島貨物駅に隣接する東京レールセンターから発送されるレールを運搬する貨車が留められていた。 貨車は昭和40年代に、レール、バラストの輸送専用に製造されたもので、50年以上活躍してきた、敢闘賞ものだ!

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・・・・・・・・・・・・雑草の中に留め置かれたジーゼル機関車(DE10-1752)に哀愁を感じる。 昭和52年(1977)、日本車両製造製で、宇都宮機関区に配置されている。 レール輸送に使用されている。、、、、、今日、新小岩信号所で姿を見た車両はこれだけだった。 寂しいね!

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・・・・・・・・・・・・成田エキスプレスも遠ざかる

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② 辰巳新橋 ・・・・・・・・江戸川区南小岩6丁目と上一色2丁目を結び、新中川に架かる地域の橋。 中川放水路(現:新中川)開削工事に伴い、昭和31年(1956)に初代の辰巳新橋が架けられたが、老朽化により平成5年(1993)に現在の橋に架け替えられた。 明るい、近代的なデザインの橋である。

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③ JR総武本線中川放水路橋梁・・・・・・・辰巳新橋の上流に架かる、総武緩行線の鉄道橋。 新中川掘削工事に伴い、昭和31年(1956)に架けられたワーレントラス,橋。、、、、、並行する快速線は、昭和47年(1972)に高架・複々線化のため上流側にPC桁橋が架けられた。

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小岩駅・・・・・・・・・町に明かりが灯り、散歩はここまで、、、、、

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2016年9月11日 (日)

荒川

午前中は雨、昼はうす曇り、気まぐれな天気に足止めされ。 3時過ぎになり、荒川堤防を歩いてみようと家を出た。 東武スカイツリーライン小菅駅で下車し、京成本線堀切菖蒲園駅まで、橋梁を見ながら荒川の左岸を上流から下流に散歩した。 8千歩、6km。




東武伊勢崎線荒川放水路橋梁・・・・・・・・東武伊勢崎線(現愛称:東武スカイツリーライン)の鐘ヶ淵~西新井間は、荒川放水路(現:荒川)開削により、大正12年(1923)にルート変更が実施された。 この時点で、荒川放水路に架かる初代の橋梁が架橋されたと思われる。、、、、、現在の橋梁は昭和49年(1974)頃にかけ替えられた。 上下線別に複線の橋梁が2本架かる。
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・・・・・・・・・・・・小菅駅ホームから見る荒川放水路橋梁
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・・・・・・・・・・・・トラスの続く橋梁は見ごたえがあるね!

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・・・・・・・・・・・・堤防の上から小菅駅はスグ近く。 ホーム頭上の高速は中央環状線

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・・・・・・・・・・・・対岸には東京スカイツリーも見える

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・・・・・・・・・・・・堤防に並んだ、サッカー少年の応援団。 子供の将来に期待して、ビディオ撮影に夢中の親。、、、、期待通りの大物選手になるといいね!(期待が大きすぎるかも?)

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② 京成本線荒川橋梁 ・・・・・・・・・荒川橋梁は昭和6年(1933)3月に完成し、同年12月19日に供用を開始した。 以来、架け替えることなく現在まで活躍し、電車は1日に約14万人を乗せ渡っている。 荒川橋梁は、桁下が荒川上下流の周辺の堤防に比べて、約4mも低いのが特徴で、治水上の弱点となっている。、、、、、全長446.99mの橋梁は、両端が6スパンの単線上路式プレートガーター橋、中間が3スパンの複線下路式曲弦ワーレントラス橋。 下部工事は大林組の施工、トラスは東京石川島造船所製。

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・・・・・・・・・・・・堤防の高さに比べると、電車は低い位置を通過する。 左手の小さな橋は綾瀬川橋梁、右手に荒川が流れている。

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・・・・・・・・・・・・下流側(写真:左)に堀切橋が走る。

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堀切橋・・・・・・・・京成本線荒川橋梁に並行する堀切橋は、長さ:514.5m、幅:17m、昭和42年(1967)に架け替えられた2代目である。 初代は大正13年(1923)に木桁橋として架けられたが戦時中破損した。

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新荒川橋・・・・・・・・・堀切橋の下流に、首都高速6号向島線が走る新荒川橋が架かっている。

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・・・・・・・・・・・・堤防の頭上に堀切ジャンクションがあり、綾瀬方面と葛西方面に分岐すし、綾瀬川の岸を走る。

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●・・・・・・・・・・・・・そろそろ日も落ちる時刻となってきた、「暗い夜道と女は怖い」ので、早々に帰宅することに、、、、、、怖いものも見たいね!

2016年9月 9日 (金)

立石~お花茶屋

京成押上線立石駅から、京成本線お花茶屋駅まで、直線距離1.5km足らずを2時間かけて歩いてきた。 1万歩、7kmの散歩です。



① 立石駅 ・・・・・・・雅万歩ではおなじみの駅、、、、ということは、雅万歩は、この辺りを歩くことが多いということ。、、、、なぜか?、、、、理由の一つは、私が住む浅草橋からは都営浅草線、京成押上線と乗り換えなしで14分で到着、近い! 二つ目は、私の好きなワード「下町」、「昭和」、「路地裏」をイメージできる町、親しみやすい! 三つ目、“鉄ちゃん”の私としては、なんでもいいから電車に乗ると嬉しいものだ!、、、、、てなことで、今日も立石で下車した。

・・・・・・・・・・・・京成押上線四ツ木~青砥間の連続立体交差事業は、4工区に分割され発注された、立石駅部は第3工区で大成建設・奥村組・鉄建JVにて、今年度末までには取得用地の更地化を行う予定らしい。 いよいよ見納めの時期が近づいてきた立石駅。
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立石4丁目・・・・・・・・駅前の商店街・呑み屋街を素通りして、駅と区役所の間にある住宅街を歩いた。 この一角は、地図を見ると一目瞭然だが、区画整理されておらず、狭い道がクネクネした処である。、、、、雅万歩は、こういう処が大好き!


・・・・・・・・・・・・サトコちゃんが出迎えてくれる薬局。 昭和57年(1982)に兄のチビ象サトちゃんにつづいて登場したマスコット。 6年前の平成22年(2010)、サトちゃん、サトコちゃんのデザインは変更され、ここのサトコちゃんは古いデザインだ!、、、、、レアものになると、象もマニアに誘拐されるので注意、注意、要注意!

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・・・・・・・・・・・・門扉も物干し変わり、よく見ると男性ものばかり、女性ものは盗難の恐れあり、干さないでください!

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・・・・・・・・・・・・先の見通しが悪い通り、「気をつけよう暗い夜道と暴走車」

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・・・・・・・・・・・・曲がり曲がって出たのは、梅田稲荷神社。 祭神は倉稲魂命。 この辺りはかつて梅田村と称していた、神社は江戸時代初期に、梅田村の鎮守として創建したそうだ。 鳥居は花崗岩製で、「慶応四戌辰年二月初午日 氏子中」とある。 太いごぼうじめの注連縄がかけてある。 社殿は、間口3間×奥行3間のこじんまりした造り。 屋根は入母屋造り、桟瓦葺き。、、、、、社殿に賽銭箱がないと思ったら、扉に貯金箱みたいに投入口があった。 賽銭を入れる気持ちにならないね。

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葛飾総合庁舎・・・・・・・・・現庁舎は昭和37年(1962)に竣工し、既に50年以上経過し、建物・設備の劣化、防災性能の不足、スペースの不足などが顕在化してきた。 区では、立石駅前の再開発地域へ移転する方向で数年前から準備してきたが、再開発反対運動などで延び延びとなっている。、、、、、立石駅高架化が着手され、いよいよ再開発もGOすることとなるか?

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白鳥一丁目アパート・・・・・・・・水戸街道を横断し白鳥1丁目に入ると、昭和60年(1985)建設、全142戸(7棟)の都営住宅がある。、、、、、葛飾区内の都営住宅は、〇〇アパート(団地)と称する単位で数えると130団地もある。 最大は「高砂四丁目アパート」で総戸数:1011戸、最少は「西亀有二丁目第15アパート」の4戸である。 ピンからキリまであるようだ!

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宝町・・・・・・・お花茶屋駅の南側に宝町1丁目・2丁目の町がある。 この町も地図で見ると、一部、区画整理ができていない、ゴチャゴチャした町のようだ!、、、、、歩いてみることにした。


・・・・・・・・・・・・白鳥、宝町と歩いていると、やたらめったら、サルスベリが目に入る。 区の木か、町の木か、街路樹として並んでもいる。、、、、白、赤、ピンクの花が、ただいま満開。

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・・・・・・・・・・・・工場の裏にある瀟洒な小社は稲荷神社(宝町1丁目)

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・・・・・・・・・・・・おや、街道か? と思うような、木造家屋が数棟、曲がった道沿いに並んでいる。

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・・・・・・・・・・・・曲がりくねった道は、真言宗豊山派の西光寺の前に出た。 西光寺は、西光房善慶(葛西清重)の草庵として元仁元年(1224)に創建された。、、、、、本堂のスグ前まで木々が茂り全景を写すのは大変だ、冬の木々が枯れたときに来れば写せたかも。

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・・・・・・・・・・・・ 西光寺の北側、細い道を入っていくと、突然広い畑が現れ、耕運機が活躍中。 ここも、東京都葛飾区だ!

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・・・・・・・・・・・・畑の次は、住宅の軒先に色づいたが、、、、、田舎に来たようだ、もう秋か?

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・・・・・・・・・・・・葛飾区内で1、2を競う古さの公営住宅。 昭和40年(1965)に完成した、30戸が入る都営住宅「葛飾宝町アパート」、、、、、南側には広い空き地がある。そろそろ建て替えかな?

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⑥ お花茶屋駅 ・・・・・・・・・昭和6年(1931)に京成電鉄上野線(日暮里~青砥間)の開通と同時に開業した駅


・・・・・・・・・・・・駅の南側には「お花茶屋駅前商店会」がある。 何軒が営業しているのか疑問だ?

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・・・・・・・・・・・・駅北側の商店街:「プロムナード お花茶屋」は、チョイと元気だが、チョイと寂しいね。

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・・・・・・・・・・・・駅は相対式ホーム2面2線の地上駅で、橋上駅舎を有している。

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2016年9月 6日 (火)

鐘ヶ淵~東向島

日が落ちても蒸し暑い! こういう夜は、「夕涼みの散歩」と言いたいが、近頃の夜は涼しいどころか、ムシムシし、虫も無視する蒸し暑さだ!、、、、、、、暑い、暑いと言いながら、今宵の散歩は、東武伊勢崎線の鐘ヶ淵駅から隣の東向島駅(旧玉ノ井駅)まで、かつての、玉の井私娼街をブラブラ歩いてきた。 7千歩、5km。



① 鐘ヶ淵駅・・・・・・・鐘ヶ淵駅は、明治35年(1902)の吾妻橋(現:とうきょうスカイツリー)~北千住間の開業と同時にできた駅。 下町の匂い漂う駅。

・・・・・・・・・・・・ホームで電車を待つ人、電車から降りてくる人
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・・・・・・・・・・・・人がいない、電車が行ったホーム

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・・・・・・・・・・・・北千住方面に向かう駅西口

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・・・・・・・・・・・・浅草方面に向かう駅東口

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・・・・・・・・・・・・駅前の踏切

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・・・・・・・・・・・・踏切の後ろに、3年前、私が助けを求めた交番がある。 今宵も休まず営業中!、、、、その節はお世話になりました。

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旧玉の井・・・・・・・玉の井(たまのい)は、戦前から昭和33年(1958)の売春防止法施行まで、旧東京市向島区寺島町(現:墨田区東向島5丁目、東向島6丁目、墨田3丁目)に存在した私娼街である。、、、、、戦後生まれの私は詳しいことは知らず、永井荷風の小説『濹東綺譚』、滝田ゆうの漫画『寺島町奇譚』で知識を習得。 知れば知るほど興味が湧くが、時すでに遅し、玉の井は消えた。


・・・・・・・・・・・・鐘ヶ淵の踏切脇の細い道を入り、玉の井に向かう。

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・・・・・・・・・・・・数件の店の明かりが灯る裏道を行く、奥へ進むとどこもシャッターが下り、早々と寝静まった住宅街になる。

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・・・・・・・・・・・・なぜか、私娼街・花街には銭湯が多い。 銭湯には、呑み屋がつきもの。

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・・・・・・・・・・・・裏道にまだ数件残る、今は一般の住宅となった、かつての赤線跡と思われる建物。 庇部分の丸み、コーナーに狭い出入口など、特徴的な建物である。

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・・・・・・・・・・・・当時の面影残すスナックが並んでいた一画。 すでに営業している店はない。

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・・・・・・・・・・・・東向島駅旧玉ノ井駅)から北東に延びて、鐘ヶ淵通りと交わる場所が商店街の入口であった。 玉の井の中心的商店街:「玉ノ井いろは通り」の商店街名が消えたようだ。 今日歩いてみると、商店街の名を記した街路灯がない、商店街名を書いた消火器がない、「玉の井」の名が消えた!、、、、下の写真は3年前の街路灯

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③ 東向島駅 ・・・・・・・・明治35年(1902)4月1日、「白鬚駅」として開業したが、明治38年(1905)に営業休止。 大正13年(1924)10月1日、「玉ノ井駅」として営業を再開。 昭和62年(1987)12月21日「東向島駅」に改称する。 駅正面の駅名板には、改称後約30年経った現在でも「東向島駅(旧玉ノ井)」と表示されている。

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2016年9月 5日 (月)

方南町~高円寺

東京メトロ丸ノ内線(分岐線)の方南町駅から、JR中央線高円寺駅まで、1万2千歩、9kmの散歩です。



① 方南町駅 ・・・・・・・丸ノ内線は、昭和29年(1954)に池袋~御茶ノ水間 (6.4 km)を開業し、以後、東京、西銀座、霞が関と延伸し、昭和34年(1959)には新宿まで開業した。 昭和37年(1962)には、さらに荻窪まで延伸開業した。 支線の中野坂上~中野富士見町間の開業は昭和36年(1961)である。 そして最後に中野富士見町~方南町が昭和37年(1962)3月23日に開業し、現在の丸ノ内線の全線が完成した。、、、、、方南町駅は3両編成の列車が停まる頭端式ホーム1面2線の終端駅。 現在、6両編成が停車できるようにホームの改良工事が行われ、来年より6両編成で運行される予定である。 出入口は方南町交差点に1か所、ホーム東端の方南通りに1か所、共に狭い計2ケ所だけである。
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善福寺川・・・・・・・善福寺川を堀之内橋で渡り、堀ノ内1丁目から2丁目に入る。、、、、この辺りは河岸が整備され、“五十年に一度の大雨”にも耐えられるようだ。 流れる水も澄み、水鳥なども見られた。、、、、堀之内橋は平成22年(2010)竣工のPC桁橋。

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堀之内熊野神社・・・・・・・熊野神社は旧堀之内村の鎮守さまで、大屋津姫命・五十猛命・抓津姫命の3柱が祀られている。 文永4年(1267)に、紀州の熊野三山を勧請したのが始まり。 本殿は安政4年(1857)に建造された総欅造り。 幣殿は大正12年(1923)の造営。 石の鳥居は文化5年(1808)の銘があり、200年程前の建立。

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・・・・・・・・・・・・昨日は例大祭で、神輿があった。 この神輿、大正12年9月1日、関東大震災の当日、浅草で買って、猛火の中、無事運び終えた。 以来、「火伏の神輿」と言うそうだ。 車の無い時代、よくぞ、大混乱の中、浅草からここ堀之内まで運んだものだ、運んだ人に感服するね!

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妙法寺・・・・・・・街路灯に『歩礼愛待 参道商店会』と標した道に出た。 はじめて歩く道だ、人通りの少ない商店街らしくない商店街を道なりに歩くと、「堀ノ内厄除け祖師」:妙法寺の正面に出た。、、、、『なんだ、妙法寺の参道か!』、いつも妙法寺へは脇道から来るので知らなかった。

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・・・・・・・・・・・・妙法寺には、昨年も立ち寄っているので、今日はチョイと境内の奥を拝見するか、、、、、、、



・・・・・・・・・・・・山門(天明7年(1787)建立)をくぐり、祖師堂(文化8年(1811)建立)で手を合わせ、回廊を抜けると、奥に本堂(文政2年(1819)建立)がある。 本堂まで参拝する人は少ないようだ、、、、

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・・・・・・・・・・・・本堂の奥に文政11年(1828)建立の日朝堂がある。 眼病平癒、学業増進、入学祈願をお願いする堂である。、、、、、私は、学問より、すれ違う美人を見失うことのないように視力向上をお願いし、手を合わせてきた。

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・・・・・・・・・・・・日朝堂の脇に、 私が大好きな“佐和子”の碑があった。 『恍惚の人』のあの作家:有吉佐和子の碑である。 有吉佐和子は妙法寺のすぐ近くに住んでいた。 妙法寺をこよなく愛し、境内を通って帰宅されることも多かったといわれている。 なお、当人はキリスト教の信者であった。

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⑤ カトリック高円寺教会 ・・・・・・・教会は昭和3年(1928)東京で10番目の教会として、300人弱の信徒により誕生した。 当時、教会の周りは一面畑で、のんびりしたところであったそうだ。 昭和6年(1931)に地下聖堂として建てられたが、戦災で焼失し、昭和24年(1949)地下聖堂の上に現在の聖堂がたてられたそうだ。 聖堂の下(地下)にも出入り口があるのはそのためらしい。、、、、、、東日本大震災の後、改修工事が行われたが、シンプルで落ち着いた感じの素朴な教会イメージは変わっていない。

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高円寺氷川神社・・・・・・・・高円寺駅の南東100m程の位置に氷川神社はある。 創建年代は不詳であるが、鎌倉時代の創建か(?)

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・・・・・・・・・・・・境内には、戦後、馬橋4丁目にあった陸軍気象部に祀られていた気象神社を当社に遷座し、祀っている。、、、、、気象庁の予報も神頼みかな?

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高円寺駅・・・・・・・大正11年(1922)7月15日に国鉄の駅として開業。

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2016年9月 3日 (土)

洗足~中延

東急目黒線洗足駅から、昭和大学をとおり都営浅草線中延駅まで、9千歩、7kmの散歩です。



洗足駅・・・・・・・大正12年(1923)に開業した目黒線(旧目蒲線)の駅。 開業時の旧目蒲線は地上を走っていたが、昭和40年(1965)に地下化され、掘割の底を走る目黒線となった。 駅は、深さ約7mの位置に相対式ホーム2面2線を有する。、、、、、駅名の「洗足」は、近く(?)の洗足池にちなんだものである。 東急池上線の「洗足池」駅は池のすぐ前にあり納得できるが、こちら目黒線の「洗足」は池から約1kmも離れている。 類似した駅名であるが、開業当時は目黒線は目黒蒲田電鉄、池上線は池上電気鉄道で、それぞれ別会社であった(納得!)
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厳島神社・・・・・・・・洗足駅前をから線路沿いに北東方向に歩くと、すぐに厳島神社が目に入ってくる。 町角の公園ほどの境内に、鯉と亀が遊ぶ池があり、赤い橋が架かり、奥に社殿がある。 池には湧き水が豊富に流れ込んでいた。、、、、以前にも来たことがある神社だが、由緒はいまだ不明なり。
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・・・・・・・・・・・・厳島神社の東側には、静かな落ち着いた住宅街がある

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小山八幡神社・・・・・・・・・長元3年(1030)頃の創建。古い!、、、、、境内は小高い丘(小山)にあり、この付近の地名(品川区小山)の由来となっている。、、、、、今日・明日は例大祭、朝から準備で忙しそうだ。

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・・・・・・・・・・・・境内から眺める品川区荏原の町

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摩耶寺・・・・・・・・小山八幡神社の参道脇にある、日蓮宗の摩耶寺。 創建年代は不詳。 かつて、小山八幡神社の別当寺であった。 特徴的な反りのある屋根の本堂は昭和53年(1978)に完成したもの。、、、、、釈迦の生母:摩耶夫人の像を所蔵しているそうだ。 機会あれば、チョイと拝見したくなるね!

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⑤ 昭和大学 ・・・・・・・・・昭和3年(1928)に「昭和医学専門学校」として設置され、現在は医学部・歯学部・薬学部・保健医療学部の4学部よりなる医系総合大学。 旗の台キャンパスは大学の本部が置かれているキャンパスである。、、、、改修工事中のキャンパスをぐるり回ってきた。 「解剖実験室」なる部屋が見えたが、怖そうなので、覗くことはできなかった。 

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・・・・・・・・・・・・大学の前には、付属の昭和大学病院ある。 裏側見ると、軍艦の艦橋に立っている感じだ!、、、、地上11階/地下3階の病院で、平成9年(1997)に竣工した。

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都営浅草線中延駅・・・・・・・昭和43年(1968)11月15日、都営1号線の中延駅として開業。 その後、都営1号線は浅草線に改称。 近くに、東急大井町線の中延駅があり、乗り換え客が多い。

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2016年9月 1日 (木)

お茶の水坂

今日は水道橋のクリニックにて、循環器系の定期検診の日。 約30項目の検査項目の結果は、中性脂肪が基準値よりチョイと高いだけ、先生からは『合格』の言葉をもらう。、、、、受付嬢には、笑顔で次回の予約をして、クリニックを後にする。 気分よく、お茶の水坂の周辺をうろつき、我が家(浅草橋)まで歩いて帰ることにした。、、、、9千歩、7kmの散歩。




水道橋交差点・・・・・・南北の白山通りと東西の外堀通りの交差点。、、、、、私が卒業した中・高等学校は、ここ水道橋から都電に乗って白山通りを北へ行った指ガ谷町(現:文京区白山)にある。 また、50代の勤務地は後楽園の近く、今通うクリニックもこの近く、通学・通勤で50年以上見続けてきた交差点だが、50年前の面影はなく、自分の年を感じる交差点となってしまった。、、、、、写真、手前から中央奥に向かう道が外堀通りで、奥の坂が「お茶の水坂」である。

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都立工芸高等学校・・・・・・・水道橋交差点に建つ都立高校。 明治40年(1907)、東京府立工芸学校として京橋区築地に開校した。 大正12年(1923)の今日、関東大震災のため校舎は全焼し、昭和2年(1927)本郷区元町の現在地に新校舎が落成した。 この時の校舎は、平成4年(1992)まで使用されていたが、平成9年(1997)に現在の地上9階/地下2階の新校舎が完成した。
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昭和第一高等学校・・・・・・・・お茶の水坂に面し、都立工芸高等学校の隣に建つ昭和第一高等学校。 昭和4年(1929)の開校した男子校だが、平成17年(2005)から男女共学となる。、、、、私の中・高等学校も男子校で、近くの女子校の生徒が眩しく、美しく見えたものだ。 顔も見られず、声もかけられず、手紙は字が下手で書けず、内気で恥ずかしがり屋な学生だった。 今、想えば、時間を無駄にし、もったいないことをした。、、、、時計塔のある校舎は、昭和6年(1931)竣工、鉄筋コンクリート造4階建て、設計は木田保造(主に北海道函館で活躍し、多くの作品を残している)、施工は木田組。

・・・・・・・・・・・・駿河台から遠望する
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・・・・・・・・・・・・時計塔のある正面

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・・・・・・・・・・・・玄関前はチョイと狭く、正面から撮れない!

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元町公園・・・・・・・・お茶の水坂に面し、昭和第一高等学校の隣にある、関東大震災の復興公園。 昭和5年(1930)に開園し、その後改修されたが建設当時のデザインが随所に残され、いまも“昭和”の匂いが残る貴重な公園。


・・・・・・・・・・・・坂に面した公園の正面入口のデザインは素晴らしい!

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・・・・・・・・・・・・正面階段上部にはアーチ状の壁泉もある。

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・・・・・・・・・・・・水が階段状に落ちるカスケードと呼ぶ施設。 何年も前に、水は蒸発したようだ!

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・・・・・・・・・・・・太い円柱のパーゴラ

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・・・・・・・・・・・・大谷石を貼りつけた公園の隅のモニュメント。 鷹をデザインしたようだ!

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・・・・・・・・・・・・広場を囲むコンクリート柵に造られた十字の穴

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・・・・・・・・・・・・今は造らない、2方向へ向かうコンクリート製のすべり台。

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旧東京市元町尋常小学校(旧文京区立元町小学校)・・・・・・・・復興公園「元町公園」の隣りに復興小学校「元町尋常小学校」が残っている。 明治44年(1911)に創立し、震災後の昭和2年(1927)に現在地に移転し、鉄筋コンクリート造の校舎となった。 その後、少子化のため平成10年(1998)に閉校となる。 玄関から校章・校名が取り外され、現在は順天堂大学などに貸し出されている。、、、、、ちなみに、江戸時代(元禄)から続いた「元町」の地名は昭和40年に消え、現在は本郷1丁目である。

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お茶の水坂・・・・・・・・水道橋交差点から順天堂医院まで外堀通りを上る坂。

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・・・・・・・・・・・・坂の途中に神田川に架かっていた「神田上水懸樋(掛樋)跡」の碑がある。、、、、、江戸時代、神田川に木製の樋(とい)を架け、神田上水を通し、神田、日本橋方面に給水していた。 明治34年(1901)まで、日本最大の都市水道として、大きな役割を果たした。 この樋は、掛桶(かけひ)と呼ばれていたそうだ。、、、、つまりは、神田川に架けられた、木製の水路である。

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旧都教育庁お茶の水庁舎・・・・・・・お茶の水坂を上がり本郷給水所の近くに、都の施設「トウキョウワンダーサイト」がある。 この建物は、都の庁舎として長年利用されてきたが、現在は若い芸術家の発表施設となっている。、、、建物は年代不詳だが、私の推定では昭和初期だな。、、、、内部はギャラリーとして利用され、無料で誰でも観ることができる。

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