京島
・・・・・・・・・・・・・亀戸駅前に立って、『さて、どっちへ歩くか?』。 私の前を可愛い娘が横切った、『よし、俺もこっちだ!』。、、、チョイと歩いたら、娘は駅前のコンビニに消えた。 これ以上、後をつけたらストーカーになるので、私は一人で、駅前の通り「明治通り」を北へ向かう。、、、、、レコード屋の前では、小林旭になった気持ちで、♪♪北へ帰ろう 思い出抱いて 北へ帰ろう 星降る夜に♪♪



・・・・・・・・・・・・・・蔵前橋通りを横断すると香取神社 がある。 『チョイと、寄っていくか。』、、、、、看板建築を模した商店が並ぶ参道を歩く
・・・・・・・・・・・・・明治通りを北へ、、、、北十間川に架かる福神橋(昭和58年(1983)竣工)を渡る。、、、、橋からスカイツリーを見る。『天気が良ければ、いい景色なのだが。 ついてないね』
・・・・・・・・・・・・【余談】 橋の上で思い出した! 昭和47年(1972)11月11日まで、この橋の南側に都電の福神橋停留場があった。 ここには都電23系統(福神橋~月島通八丁目)と24系統(福神橋~須田町)が運転されていた。、、、、学生時代、24系統の都電を見ると、「福神橋」の橋は知らずとも、上野「酒悦」の「福神漬け」が頭をよぎるのであった。 食に飢えていたのかも?
・・・・・・・・・・・・東武亀戸線小村井(おむらい)駅を通り過ぎ、駅裏の向島警察署前に出た。、、、、向島警察署は、大正7年(1918)に千住警察署寺島文書として開設した。 当時は、まだ畑の中の警察署だったと思うね。
②京島地区 ・・・・・・・・・向島警察署から北西方向(京成曳舟駅方向)に向かって、ここからは裏道を歩くことにした。 墨田区文化3丁目、京島3丁目、京島1丁目と抜けて京成曳舟駅まで。
・・・・・・・・・・・・・・文化3丁目、戦後の建物が残る一画




・・・・・・・・・・・・・・・京島地区は、先の大戦での被害は少なく、大正・昭和の長屋なども現存するしている。 古い家屋と町工場が混在し、東京の下町として、特徴的な街並みが色濃く残っている地域である。 だが、木造家屋に狭い路地の木蜜地区として、車の通行の問題や、大規模災害時の安全対策などの問題が顕在化しているが、いまだ解決には時間がかかりそうだ。
・・・・・・・・・・・・・・機械油の匂いがする町、、、、、私の好きな匂い!
・・・・・・・・・・・・・・緊急車両も入れぬ裏道、、、、、事が起きたら、さあ!大変!
・・・・・・・・・・・・・・・「備えあれば憂いなし」、ぜひ、そう願いたい防災対策、、、、延焼を防ぎ、道路を広げる、路地の奥にポッカリ広がる小公園、、、、、万が一に役立つ公園の手押しポンプ、、、、、消防車を待つより自衛で消火、、、、、防災拠点も整備した
・・・・・・・・・・・・・・京島地区の中心で活気づく「キラキラ橘商店街」、、、、現在、約90店舗が営業中。 食料関係の店が多く、地域の台所となっている。 震災・戦災から奇跡的に難を逃れ、古くから町の人に愛されている商店街。、、、、、商店街の端には、お金が貯まる(?)、田丸稲荷神社が鎮座する。
・・・・・・・・・・・・・・京島地区の北の端に、京成曳舟駅がある。 高架駅となり、駅前には高層マンションが建ち、木蜜地区も変化している。