平井
・・・・・・・・・・注:江戸川区の大部分は荒川と江戸川の間にある。 その大部分に属さず、荒川の西側(都心より)に、旧中川と荒川に囲まれてチョイと出ているのが、「平井」の町である。
① 平井駅・・・・・・・・明治32年(1899)4月28日、総武鉄道(私鉄)の駅として開業し、以後、国有化された。 昭和40年代頃までは地上駅であった、その後、1面2線の高架駅となる。、、、、、平井駅周辺には域外から人を呼び込むような施設はなく、もっぱら地域密着型の駅で、乗降客も地元住民が大半を占めているようだ。


・・・・・・・・・・・・通勤時間帯の総武線お茶の水寄り先頭車は女性専用車である。 私も、一度は乗ってみたい憧れの車両。 乗ったら、女性の鋭い、怖い、熱い視線で殺されるかも?

② 平井の花街・・・・・・・・昭和初期、関東大震災の被災者が平井の町にも住み、平井駅の南側(平井3丁目)には花街が形成された。 昭和12年(1937)頃には、平井三業組合も設立したそうだ。 戦前には、置屋45軒、待合30軒以上、料理屋7軒、芸妓250名以上を数えたらしい。 まだ、私は生まれていないが、いい時代だったかも(?)、、、、、空襲で被災した街は、その後復興し、昭和25年(1950)頃には、料亭も20軒近くあったらしい。 当時4歳の私は、まだ知らない世界。 その後、売春防止法の施行、時代の変化により、昭和50年代に“平井の花街”は明かりを消した。
・・・・・・・・・・・・駅前の裏道は花街の名残か(?)、飲食店が点在する。 店の前をサラリーマンが速歩で駅へ向かう。
・・・・・・・・・・・・現在も営業中の「割烹 まじま」は、終戦直後からある老舗の料理屋さん。
・・・・・・・・・・・・こちらも、花街の名残か「割烹 あじさい」 若い女将が営業、17時からです。
・・・・・・・・・・・・塀の前を芸妓が歩いたであろう?
・・・・・・・・・・・・こちらは、2階から三味線の音が聞こえてくるような元料亭の建物。
③ 都営平井一丁目アパート・・・・・・・名は“一丁目アパート”だが、その実態は“江戸川区平井3丁目”にある。 昭和40年代の1965年から1969年に建てられた、総戸数:1196戸(12棟)の都営アパート。、、、、、中層もあれば、高層もある団地。 おじいさんも、おばあさんもいる団地。 おばあさんは、一人暮らしで買い物が大変らしい。
④ ふれあい橋・・・・・・・・旧中川に架かる「ふれあい橋」は、江東区亀戸と江戸川区平井を結ぶ人道橋。 橋長:56mの1径間鋼製アーチ橋で平成6年(1994)に架けられた。、、、、、ここからは東京スカイツリーがバッチリ撮れ、絵になる。
・・・・・・・・・・・・関東大震災では、この地点で、猛火に追われた2800名程が命を落としたそうだ。 橋の脇に慰霊碑が建立されている。
⑤ 平井浅間神社・・・・・・・平井3丁目、旧中川沿いにある浅間神社。 この神社は高さ約5mの富士塚そのものが神社という、珍しい神社。 神社の創建は不詳であるが、長享2年(1488)の創建とも伝えられ、当社は「逆井の富士塚」とも言われているそうだ。(私は、聞いたことがないけど!)
⑥ 平井白髭神社・・・・・・・・平井2丁目には白髭神社がある。 神社の創建年代は不詳だが、逆井村(現:平井)の鎮守で建治年間(1275~1278)の草創といわれている。 境内は広く、盆踊りには最適の広さかも? 社殿は、昭和45年(1970)に鉄筋コンクリート造にて建て替えられた。
⑦ 最勝寺/成就寺 ・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・白髭神社を後にし、旧中川沿いの平井2丁目から、荒川沿いの平井1丁目へ、裏通りをブラブラ、、、、、右に曲がり、左に曲がり、どちらに曲がっても、同じような町並みで、つまらない!
・・・・・・・・・・・・軒先の柿が色づいてきた!、、、、ここで有名な句 「柿食えば 腹が鳴るなり 冷やすなり」
・・・・・・・・・・・・曲がり曲がって、去年、手を合わせた最勝寺前に出た。 これも何かの縁だと思い最勝寺に参り、お隣の成就寺にも参る。
・・・・・・・・・・・・両寺を後に、駅前の商店街を抜け平井駅へ戻る。