祐天寺~目黒
①祐天寺駅・・・・・・・・・大正15年(1926)、東京横浜電鉄が丸子多摩川駅~神奈川駅間を開業する。 昭和2年(1927)8月28日、渋谷駅~丸子多摩川駅が開通し、東横線として渋谷駅~神奈川駅間の直通運転が始まる。 祐天寺駅はその東横線開通時に同時開業した。、、、、開業時は木造駅舎の地上駅であったが、昭和45年(1970)に相対式ホーム2面2線で高架化された。

・・・・・・・・・・・・・・高架下の西口。 まだ、東西に行き来はできない。
・・・・・・・・・・・・・・今月から解体工事が始まる祐天寺駅ビル。 解体後、東口が整備され東西に行き来ができるようになる。
②C57117号動輪・・・・・・・・・・・・祐天寺駅から東へ150m程歩くと、幼稚園に曲がる角に、蒸気機関車の動輪と腕木式信号機などが残されている。、、、、C57117号は、昭和14年(1939)10月23日、三菱重工業神戸造船所で造られた。 戦前は広島県の糸崎に配置され山陽路で活躍し、戦後は熊本・宮崎などに配置された。 昭和48年(1973)の宮崎植樹祭時では、日本最後の国鉄蒸気機関車が牽引するお召し列車を仕立てた名機である。、、、、、その機関車の動輪が保存されている。 保存は、近くでカレーショップ「ナイアガラ」を営業する、大の鉄道ファンであるマスターが個人として、初めて動輪の払い下げを受けたそうだ。
③祐天寺 ・・・・・・・・・寺の住所は、祐天寺駅前の目黒区祐天寺にあるかと思いきや、門前の駒沢通りを越えたため、目黒区中目黒5丁目となっている。、、、、祐天寺(寺)あっての祐天寺(町)、寺の敷地を目黒区祐天寺1丁目の飛地としてでも、祐天寺に入れたくなるね。、、、、、祐天寺は、祐天上人の高弟祐海上人が、祐天上人を開山と仰いで享保3年(1718)に創建、享保8年(1723)明顕山祐天寺と号した、阿弥陀如来を本尊とする浄土宗の寺院である。
・・・・・・・・・・・・・寺は、数年前から大林組の施工で、諸堂の大修理が行われている。 まだ、工事中。 仕事を邪魔しないように、手だけ合わせて、散歩を続けることにした。
④中目黒5丁目・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・祐天寺裏交差点の「谷戸前地域安全センター」。 平成19年(2007)以前までは“谷戸前交番”と呼ばれていた。、、、、、戦後の建物か? 古そうだ! 写真では判らないが、裏側のドア、窓枠は木製。
・・・・・・・・・・・・・・富士山を模した看板建築。 店の名は「フジミ」
・・・・・・・・・・・・・・「なべころ坂緑地公園」の角に、 「藤の庚申」 と称する古い庚申塔がある。 昔はここに藤の大木があったそうで、「藤の庚申」と名付けられたそうだ。、、、、、左側の駒型の碑は1m以上もあり、 合掌六臂の青面金剛と日月、二鶏、三猿の図柄が彫られている。 貞亨元年(1684)の銘が刻まれている。 右側の小さな板碑型のものは元禄元年(1688)の造立。 この前の道は古くから庚申道と呼ばれているそうだ。 この付近には庚申塔が多く残されている。、、、、新しい提灯、供養の花、誰だか守る人がいるようだ。
⑤油面地蔵通り・・・・・・・・・・・目黒区目黒4丁目と中町1の境界に、「油面(あぶらめん)地蔵通り」という約600mぐらいの商店街がある。 商店街の中ほどには、油面子育地蔵尊が鎮座している。、、、、、油面(あぶらめん)の由来は、江戸時代この付近では菜種が栽培され、菜種から作られた油を燈明用に増上寺・祐天寺などに納めていた。 その見返りに租税が免除された。 よって、「油免」転じ「油面」となったそうだ。、、、、、元気がなくなってきた商店街のようだ、チョイと脂っこい料理でスタミナつけて頑張って欲しいね。
・・・・・・・・・・・・・地蔵さんは、元は目黒通りの油面交番の近くにあったそうだ。 今は、商店街の中ほど、ベーカリーの隣にある。 地蔵さんは「高地蔵」と呼ばれ、土手の上に高く祀られていたので、このような名がつけられたそうだ。 地蔵尊を載せる台石には「是より右ゆうてん寺」、「是より左九ほんぶつ」の文字が彫られ、道標でもあった。 子育て・眼病にも霊験あらたかとして、お参りする人もいるそうだ。
⑥長泉院現代彫刻美術館・・・・・・・・・・・・浄土宗長泉院の13代住職であった故・渡辺泰裕初代館長が、少しでも多くの人に彫刻の素晴らしさにふれ、楽しんでもらいたいと寺院の敷地内に開館した現代彫刻の美術館。 入館無料で、誰でも気軽に自由に展示を見ることができる。、、、、広い空間に、丁寧に展示され、寺の境内とは思えない。、、、、、美術館の建物は昭和57年(1982)に堀響一の設計で完成した。
⑦庚申塔・・・・・・・・・・美術館から目黒駅に向かう途中、3件の庚申塔がある
・・・・・・・・・・・・・現代彫刻美術館を出て、南へ50m程歩くと「馬喰坂上の庚申塔群」がある。 擁壁の上に4基の庚申塔が建てられている。 案内板には、向かって右から 宝永7年(1710)駒型碑 延宝8年(1680)板碑型碑 宝永3年(1706)駒型碑 寛保2年(1742)駒型碑で、彫りの説明も書かれていた。、、、、、、目線より高く、そんなとこまで見えないよ!
・・・・・・・・・・・・・・次は、目黒2丁目、目黒区民センター前、町会事務所の隣にズラリと並ぶ「田道庚申塔群」。、、、、造立年代は延宝5年(1677)から正徳3年(1713)にかけてのもので、田道庚申講中の名もはっきりと刻まれている。 「田道」は「でんどう」と読み、明治22年以前の中目黒村の小字の一つ。
・・・・・・・・・・・・・・次は、目黒川に架かる田道橋の南詰にある「ひいらぎ庚申」。 橋を渡った正面に赤い小さな堂がある。 中に、道標を兼ねた庚申塔が祀られている。
⑧富士見坂・・・・・・・・・・あちらこちらにある「富士見坂」。 ここも、そのうちの一つだが、国土交通省が設置した「関東の富士見100景(東京富士見坂)」の標識がある。 つまりは、国交省認定の富士見坂である。、、、、、場所は、目黒1丁目2番と3番の境を東に上る坂。 長さ150m、平均斜度7度、積雪時は自己責任でスキーも可能。、、、、、下から上る、肺活量の少ない私には、きつい、つらい坂である。
●・・・・・・・・・・・・・・・・・・坂で疲れた! 目黒駅から帰宅。
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