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2016年10月31日 (月)

浅草橋~鶯谷

浅草橋の我が家から、下谷神社、両大師橋、寛永寺をとおり鶯谷駅まで、1万2千歩、8kmの散歩です。
 
 
①台東区の建築・・・・・・・・・私の住む台東区には、関東大震災後、戦前から戦後にかけて建てられた看板建築の店舗兼住宅や、出桁造りの商家が、まだ多く残っている。、、、、、我が家から上野にかけ、 道すがら、数軒撮ってきた。
 
・・・・・・・・・・・・・・・まずは、随所に残る、古くからの木造出桁造り(だしげたづくり)の商家。
 
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・・・・・・・・・・・・・関東大震災(大正12年)後、神田、上野、人形町などの下町に流行した看板建築(かんばんけんちく)は、木造建築の前面にモルタルで自由な造形を施し、看板を兼ねた外壁の建物である。 鉄筋コンクリート造で建てる資金のない、下町の中小の商店では、商人の粋と見栄の張り合いで、看板建築が多く建てられた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・関東大震災で被災し、防火意識も高揚し、外壁に高価な銅板を張った銅板建築も流行する。、、、、、長い間風雨にさらされ、黒く変わった銅板は、100年前のものか?
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・・・・・・・・・・・・戦中戦後は銅板の代わりにトタン板が登場し、トタン張りの商家・住宅も見られる。
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・・・・・・・・・・・・・・表通りに、裏道に、そして路地に、まだまだあります昭和の建築。
 
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下谷神社・・・・・・・・・・・・・台東区東上野3、鎮座するのは大年神と、日本武尊。 二神をまつる下谷神社は、天平2年(730)に上野忍ケ岡の地に創建した。 寛永4年(1627)上野山下へ、延宝8年(1680)には下谷の広徳寺門前へ遷座した。 明治5年(1872)には下谷神社と改称し、昭和3年(1928)には、またまた区画整理により現在地へ“お引越し”。、、、、関東大震災では、社殿がすべて焼け落ち、昭和6年(1931)再建のための工事を開始し、昭和9年(1934)に完成した。 現建物はこの当時のものである。、、、、、一の鳥居(浅草通りに面する朱塗りの鳥居)は昭和8年(1933)の建立で、扁額の字は東郷元帥(翌年、87歳で没す)の書である。
 
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・・・・・・・・・・・・・神社には、寛政10年(1798)に初代・三笑亭可楽によって、境内で初めて寄席が開かれた「寄席発祥の地」の石碑がある。、、、、碑の前には子規の句、「寄席はねて 上野の鐘の 夜長哉」。
 
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両大師橋 ・・・・・・・・・・・・・上野駅ホームの北端付近に架かり、上野公園と昭和通りを結ぶ跨線橋。 山手線、京浜東北線、東北本線、常磐線、引上げ線も含めて、計20本以上の線路を跨ぐ。、、、、、昭和8年(1933)2月に完成した「両大師橋」は、昭和45~46年に架け替えられた。、、、、上野公園側にある輪王寺が、別名「両大師」と言われることから、この名がついたそうだ。 因みに、両大師とは慈恵、慈眼の二人の僧侶のこと。、、、、子供連れで散歩の途中、電車を見るには、お手頃な場所である。、、、新幹線以前の頃は、ここから、東北本線、上越線、信越本線、常磐線の優等列車を、たっぷり見ることができた。
 
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④輪王寺両大師堂・・・・・・・・・両大師橋を渡ると、スグ右側、国立博物館の手前の寺。 正保元年(1644)、寛永寺を開山した天海僧正像を安置する堂として建立された。 天海僧正の号は慈眼(じげん)大師で、その後、天海僧正が尊敬した高僧慈恵(じえ)大師の像も安置したため、「両大師」と呼ばれるようになった。 輪王寺はもと寛永寺の伽藍の一部で、開山堂または慈眼堂と称されていた。、、、、、開山堂は平成元年(1989)に火災で焼失し、現在の本堂は平成5年(1993)に再建された新しい堂である。 厄除けには御利益がありそうなので、賽銭も奮発してきた! 火除けの御利益は期待できないかもね。
 
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・・・・・・・・・・・・・境内の横には、国指定の重要文化財「寛永寺旧本坊表門」がある。、、、、、切妻造り本瓦葺きの薬医門であるが、黒く塗られており、通称「黒門」と呼ばれている。 現在の東京国立博物館の敷地はもと寛永寺本坊であり、その正面にあった門である。 明治15年(1882)東京国立博物館の前身である博物館が上野公園に移転・開館した際にその正門として使用された。、、、、黒一色、シルエットを見ているようだ!
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・この後、徳川家綱霊廟勅額門、徳川綱吉霊廟勅額門、寛永寺根本中堂 を見て、寛永寺坂橋を渡り鶯谷駅から帰宅。

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