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2016年10月19日 (水)

飯田橋~江戸川橋

飯田橋駅から、神田川の北側の町:文京区後楽・春日・小日向をぶらついて江戸川橋駅まで、1万1千歩、8kmの散歩です。



飯田橋駅前・・・・・・・・・・飯田橋駅前の歩道橋から駅を眺め、振り返ると首都高の下を流れる神田川が見える。 今日の散歩は神田川の北側(写真では右側)の町を歩いてきた。
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小石川諏訪神社・・・・・・・・・・文京区後楽2、裏道に入りさらに裏道に入る、素人さんには判りにくい処にある神社。 私はサラリーマン時代、この近くに勤務しており、神社のあることは知っていた。、、、、、小石川諏訪神社は、牛天神北野神社の別当を勤めていた梅本坊乗観が明徳元年(1390)に創建したといわれている。、、、、判りにくい奥にある神社だが、境内は結構広いものだ。

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牛天神北野神社・・・・・・・・・・・・源頼朝が戦で、当地(春日1)にあった岩に腰掛け居眠りをした。そのとき夢で、牛に乗った菅原道真公が現れ「二つの喜びがある」と告げられた。 その年の秋に長男頼家が誕生し、翌年(1184)には平家を西海に追はらうことができたことから、頼朝はこの岩を祀り牛天神を創建した。 以来、境内にある牛の形をした岩(拝殿前の石)を撫でると願いが叶うといわれてる。、、、、、小石川の高台にあり、参道の階段はチョイときついね。 上がりきったら、肺活量が小さくなった私は呼吸が苦しく、ゼイゼイ・ハアハア!

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文京区立第三中学校・・・・・・・・・・・後楽園方面から伝通院へ向かう坂の途中に、メタセコイアの木が正門前に並ぶ区立第三中学校がある。 チョイと見には、学校と思えない趣のある入口の学校だ、昭和22年(1967)に開校し、昭和24年(1969)に旧三井邸跡に校舎が建てられた、現在も三井邸の馬屋が校内に残っているそうだ。、、、校名の第三中の「三」は三井家の「三」にちなんだそうだ。、、、、正門前の坂は「安藤坂」といい、坂の西側に安藤飛騨守の上屋敷があったそうだ。

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永井荷風生育地・・・・・・・・・『あめりか物語』、『墨東綺譚』、『断腸亭日乗』などを執筆した小説家:永井荷風(1879~1959)が生まれた旧居跡。 今はマンション、住宅の建つ、文京区春日2-20(旧金富町45)。 明治12年(1879)に荷風は内務衛生局の官僚である父:永井久一郎の長男としてこの地に生まれ、この地から現在のお茶の水女子大付属幼稚園、学芸大附属竹早小学校などに通った、子供の時からのエリートであった。 いつの頃からか、銀座のカフェー、浅草のストリップ劇場、玉ノ井の私娼街に通い、文化勲章を受章する大小説家となった。、、、、、、まことに羨ましく、まねてみたい一生!

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丸ノ内線・・・・・・・・・・・昭和29年(1954)1月20日に開通した、丸ノ内線池袋~お茶の水間では、茗荷谷駅、後楽園駅の前後で地上を走る。 茗荷谷付近では、住宅地の中の切通しを走る姿を、春日2丁目の数か所の跨線橋から見ることができる。


・・・・・・・・・・・・・まずは、後楽園側のトンネルから顔をだす丸ノ内線

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・・・・・・・・・・・・・・つぎは、跨線橋前後のアプローチが面白いポイント。、、、、まずは、住宅の間にある車は通れない細い道を奥に進むと、跨線橋に上がる坂に続く。 坂を上れば、丸ノ内線の頭上に出る。 その先、10m程平坦な道となり、ここから階段坂となる。 細い山道のような階段坂を上る。 上りきると、一車線程の細い道となる。 車は春日通り(国道)から遠回りして進入できるが、歩行者は直進して春日通りに出る、しかし最後に止めの小さな階段がある。、、、、、日々、各戸にまわる宅配業者・清掃業者にとっては、ここの集配は大変そうだ!

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・・・・・・・・・・・・・次の跨線橋は国際仏教学大学院大の脇にある。、、、、、直線的に進んでくる電車が良く見える。 写真奥の跨線橋は、先ほど渡った車の通らない跨線橋。

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国際仏教学大学院大学・・・・・・・・・・春日2丁目、丸ノ内線の脇に、平成8年(1996)に霊友会の国際仏教学研究所を基礎として設立された、日本で一番小さい大学。 定員は20名で、5年一貫制の博士課程のみである。、、、、、校舎は、槇総合計画事務所の設計、竹中工務店の施工で建てられた。、、、、モダンすぎて、仏教を研究する施設とは思えないね。

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・・・・・・・・・・・・・・この地は、徳川幕府最後の将軍:徳川慶喜(1837~1913)終焉の地である。 慶応2年(1866)第15代将軍に就任し、翌年、大政を奉還したが、鳥羽伏見の戦とそれに続く江戸城開城の後、恭順の意を表し、水戸・駿府に隠棲した。 明治30年(1897)東京に戻り、同34年(1901)この地に移り住んだ。 大正2年(1913)11月22日、急性肺炎のためこの地で没した。 享年76歳。、、、、、構内には慶喜邸時代からの大銀杏が残っている

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小日向神社・・・・・・・・・・文京区小日向1丁目と2丁目の境に、服部坂(はっとりさか)がある。 坂の名は、江戸時代、坂上に、徳川家康幕下の旗本、三河の出で、千葉県夷隅郡岩熊村の領主(300石):服部権太夫が住んでいたことから名付けられた。、、、、その跡地に、現在は小日向神社が鎮座する。、、、、小日向神社は、当社付近にあった氷川神社と八幡神社とが合祀して明治2年に小日向神社となった。

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鷺坂・・・・・・・・・・江戸川橋の北東にある鷺坂(さぎさか)。 坂の上は住宅地で堀口大学(詩人・仏文学者)などが住んでいた。この堀口大学や、近くに住んでいた詩人の三好達治、佐藤春夫らによって「鷺坂」という坂名がつけられた。 S字型に曲がり、勾配は急であるが、江戸の香がする情緒ある坂だ。

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今宮神社・・・・・・・・・・・鷺坂を下り、小日向と音羽の境となる道を北に向かうと、音羽1丁目に今宮神社がある。 元禄10年(1697)に五代将軍徳川綱吉の生母:桂昌院の発願により、護国寺建立に際して京都紫野の今宮神社から分霊を勧請したことを創祀とする。 背後には崖上の住宅が迫り、覆いかぶさるように見える。、、、、、鳩山邸のある音羽の町の鎮守で、ひょっとすると、鳩山由紀夫、故鳩山邦夫の兄弟もこの神社で遊んだかも?

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●・・・・・・・・・・・江戸川橋駅から帰宅

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