船橋大神宮(意富比神社)
①東船橋駅・・・・・・・・島式ホーム1面2線の地上駅で、橋上駅舎となっている。 半地下式に線路の両側の道路面の方が高い。 駅は昭和56年(1981)に開業した。 総武本線の中では比較的新しい駅である。 駅前にはゆったりとしたロータリーがあるが、大きな商業施設はなく、賑わいはない。


②船橋大神宮・・・・・・・・・・・船橋大神宮は通称で、正式には意富比神社(おおひじんじゃ)と呼ばれ、船橋市最大の神社。 景行天皇40年に日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国平定の折に、船橋に立ち寄って天照皇大神を奉祀して創建したらしい。 延喜式に記載されている古社である。 天照皇大神を主祭神とし、万幡豊秋津姫命・天手力雄命を配祀する。 さらに、徳川家康、秀忠も合祀している。、、、、、、今日は、まだ七五三詣でが続いていたため、拝殿前にはテントが張られ建物は見ることができなかった。 残念!
③意富比神社の摂社・・・・・・・・・大神宮拝殿は七五三のお客様を相手に商売中なので、隣に建てられた摂社の常磐神社を見てきた。 元和8年(1622)、徳川秀忠が常磐神社を造営する。 当時は、意富比神社と常磐神社は、「関東一宮」として並び称されていた。 しかし常磐神社は戊辰の戦火にて焼失し、とりあえず九尺四方の小さな社が建てられていた。、、、、、昨年11月、東照宮もどきの新しい社殿が建てられた。 今日は公開されていたのでチョイと拝見してきた。
④灯明台・・・・・・・・・明治13年(1880)、船橋大神宮の境内に建てられた灯台。 この灯台は、高台に建てられた木造3階建てである。 ここに灯台があるのは、神社が海に近かった証である。 地図を見ると、今は埋め立て地の先まで3km以上ある。、、、、、私が子供頃の昭和30年代までは“ららぽーと”の位置に“船橋ヘルスセンター”があり、海水浴場もあった。 私も、ヘルスセンターで遊んだ記憶が残っている。
⑤船橋大神宮の飛地境内社・・・・・・・・・・大神宮の境内には6社ほどの境内社がある。 この他に、管理神社として船橋市、市川市などに45社ほどあり。 さらに、飛地境内社として、船橋市内に20社以上の神社が点在している。 今日は、飛地境内社の一部も見て来たのでチョイと紹介する。
・・・・・・・・・・・・・・東船橋駅近くの道祖神社。 由緒などは?
・・・・・・・・・・・・・・東船橋1丁目の日枝神社。、、、、毎年恒例の祭例では、屋台も出て、園芸大会もあり、昔ながらの祭りの雰囲気を残しているそうだ。
・・・・・・・・・・・・・・日枝神社裏側の裏道に残る道祖神
・・・・・・・・・・・・・・船橋市宮本6丁目の裏道に、石の鳥居が立ち、その後ろに町内の自治会館がある。 会館の軒下を抜けると、奥に小さな社がある。 これぞ熊野神社である。
・・・・・・・・・・・・・・船橋市本町4丁目、裏道の行き止まりの正面に、ナント! 船橋東照宮がある。 現在は小さな祠が残るのみであり、「日本一小さい東照宮」の異名を持つ。 この東照宮は、慶長17年(1612)に家康の命を受け、伊奈忠政が建てたとされる船橋御殿の跡地に船橋大神宮の富氏が貞享年間(1684~1687)に建立したものであると言われている。 現在の建物は安政4年(1857)に再建されたものである。
・・・・・・・・・・・・・・もう一つ、飛地境内社に寄ってきた。 こちらも船橋市本町4丁目にある御蔵稲荷神社。 神社は、当地にあった御蔵の鎮守であった稲荷祠を、地元民が維持管理してきた社。
⑥旧兼坂医院・・・・・・・・・・大神宮の裏手(北側)に、大正5年(1916)に建てられた医院がある。 下見板に玄関の朱色の三角破風が印象的な建物である。
⑦JR船橋駅 ・・・・・・・・・・・・明治27年(1894)、私鉄:総武鉄道の駅として開業した。 大正12年(1923)、現:東武鉄道野田線も開業する。、、、、、昭和45年(1970)に高架駅となり、現在は快速線・緩行線の島式ホーム2面4線を有する駅。