北千住~堀切
いよいよ、私も老いを感じる年齢となり、ここ数日、ベッドで寝ていると腰が痛い。 今日は、母が通う整形外科へ同行し、診てもらった。 『たいしたことはない、しばらくリハビリしましょう。』と、云うことで、ベッドの上で腕を固定し腰を引っ張る器具で、背筋を伸ばすリハビリを受けた。 20年くらい前に、「ぶらさがり健康器」という、家庭用の鉄棒みたいなものが流行ったことがあった。 リハビリで使用した機械は、「ぶらさがり健康器」を横にしたような、なんだか似ているようで、非なる機会である。 効くのかな?、、、、、とにかく、医者を信じよう! お土産に、痛み止めと、湿布薬をもらった。
昼過ぎには、痛み止めが効いたのか、調子いい。 15時頃、『ちょいと、散歩してくる』と、北千住駅で下車し、東武スカイツリーライン沿いに堀切駅まで歩いてきた。 8千歩、6km
①北千住駅・・・・・・・・・・東武電車で北千住へ。
・・・・・・・・・・・・・・・北千住駅東口を出て、線路沿いに歩き始める。 時刻は15時半、陽は短くなり、薄暗くなってきた。
②北千住大踏切・・・・・・・・・・・JRと東武、それぞれの踏切が並行し、閉じたり、開いたり。、、、、、踏切には両側に警備員が配置され、安全確保に努めている。
③旧中千住駅跡・・・・・・・・・・・「中千住駅」、そんな駅どこにあった。 知る人も少なくなった駅だ。、、、、、中千住駅は大踏切から、浅草寄りに30m程いったあたりに昭和28年(1953)まで存在していた駅である。 廃止後は貨物支線(千住線)の分岐点として、昭和62年(1987)まで存続していた。、、、、現在は、その遺構が存在しておらず、適当に『この辺り』と云うこと。、、、、写真は大踏切から撮影したもので、中央の車の辺りが駅の跡。
④煉瓦の架道橋・・・・・・・・・・・北千住から牛田に向かう中間地点(愛里病院正面付近)に、高さ1.6mのガードがある。 身長165cmの私は頭がかする。 チョイと前かがみで歩くとちょうどよい。、、、、明治大正期に造られたものと思われる。
⑤旧千住線跡・・・・・・・・・・・・かつて、北千住駅は鉄道省が管理し、貨物を扱う東武鉄道は自由に使える貨物駅が欲しかった。 そこで、大正13年(1924)10月に開業した中千住駅から分岐し、隅田川左岸にまで0.6kmの貨物線を昭和10年(1935)11月1日に開通させた。 これが千住線である。、、、、都心で発生(製造?)したウンチ(糞尿)を、隅田川利用しオアイ船で千住まで運び、千住からは東武鉄道で埼玉県の大沢、杉戸方面に農業用肥料として運んでいた。 千住線は糞尿列車の線であったが、昭和62年(1987)5月1日に廃止となった。、、、、、線路は中千住駅から浅草方へ400m程進み、墨堤通りを横切って、京成本線の下をぬけ隅田川岸に出ていた。 レールの一部が京成本線の下に残されている。
⑥牛田駅・・・・・・・・・・・「牛田」の地名は無くなり、駅名だけが残る。、、、、静かな駅だ。
・・・・・・・・・・・・・・牛田駅下りホーム下ある煉瓦造の架道橋。 こちらも、明治大正期の架道橋。
・・・・・・・・・・・・・・架道橋の近くには、金八先生(ドラマ)も愛した食堂が、暖かい灯りをともしている。
⑦東武・京成の交差点・・・・・・・・・・・・下をとおるは東武鉄道、上をとおるは京成電鉄。
⑧堀切駅・・・・・・・・・・東武スカイツリーラインで、23区内で最も乗降客の少ない駅。 客の大半は近くの私立大学の学生。 ちなみに、乗降客数は一日当たり4,000名程である。、、、、、映画のワンシーンとなる駅、私好みの駅である。
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