下総中山~西船橋
JR総武本線下総中山駅から、真間川沿いに歩き原木の妙行寺に参り、西船橋駅まで、1万歩、7kmの散歩です。
①下総中山駅 ・・・・・・・・・・駅前から北へ法華経寺まで参道が続く門前の駅である。 駅は明治28年(1895)4月12日、私鉄:総武鉄道の中山駅として開業したが、明治40年(1907)に国営化された。 昭和47年(1972)に高架化され改札口は高架下になった。、、、、、駅の南口は裏口のようで、ロータリーもなく、高架橋に並行して裏道があるだけ、商店街もないようだ。 チョイと寂しいね!



②意地に負けた由緒ある小栗原・・・・・・・・・中山法華経寺は市川市中山にある。 「中山」の名がつく、京成中山(京成本線)、下総中山(総武本線)、原木中山(東西線)の各駅は、ナント船橋市にある。 しかも、そろって住所は、船橋市本中山でる。、、、、地図を見ると、市川市に細長い馬の首が突っ込んだような形で船橋市がある。 馬の耳に「京成中山」が、目に「下総中山」、口に「原木中山」の駅があるようだ。、、、、この一帯の中央ある小栗原小学校前に地名を解説した案内があった。 そこには、現在の「本中山」は「小栗原」と呼ばれ、平安時代からの由緒ある地名であった。 しかし、中山法華経寺の門前町に由来する市川市の「中山」が一般に通用しており、昭和49年(1974)に小栗原を船橋市「本中山」としたそうだ。、、、、つまりは、由緒ある「小栗原」の地名を捨てて、市川市に対抗し意地で「本中山」と命名したそうだ。 昔の名の方が良かったね。

・・・・・・・・・・・・・・小栗原橋、、、、、、国府台付近で江戸川から分岐し、原木で東京湾に注ぐ一級河川の真間川に架かり、本中山3丁目と4丁目を結ぶ橋。 昭和55年(1980)竣工。、、、、由緒ある「小栗原」の名を遺す橋。
・・・・・・・・・・・・・小栗原の名を冠した小栗原住宅、、、、昭和47年(1972)に建てられたマンション。 11階建、総戸数:374戸(3棟)の団地で、大成建設、熊谷組の施工、日本勤労者住宅協会の分譲。、、、、けなげに小栗原の名を遺す市営住宅かと思った。
④原木日枝神社・・・・・・・・・・・・京葉道路を南に横切り、市川市原木(ばらき)に入った。 住宅の間に畑が点在する町に素朴な神社があった。 原木日枝神社は、安永2年(1773)に創建し、祭神は大山咋命である。、、、、狛犬は歴史がありそうだ。 江戸時代の作?
⑤妙行寺・・・・・・・・・・・・市川市原木に、境内の広い大きな寺院があった。 天文7年(1538)に開創した、日蓮宗系の寺で原木山妙行寺である。 寺の案内には、『日本一の祈祷霊場、日本一のお題目修行道場の原木山で唱題行を始めてみませんか? 唱題行はお題目(南無妙法蓮華経)を太鼓に合せて唱え、身体健全、家内安全他を祈願する修行です。』と、書かれていた。、、、、、山門、本堂、祖師堂、荒行堂など、たくさんの建物が境内に建っているが、すべて明治以降の建物と思われる。
・・・・・・・・・・・・・・シンプルな総門と見事な彫刻で重厚な山門
・・・・・・・・・・・・・・堂々とした大きな屋根の本堂
・・・・・・・・・・・・・本堂の裏手奥には、コンクリート造の荒行堂と多宝塔
・・・・・・・・・・・・・・・御祈祷場の後ろには庭園が広がる。

⑥京葉道路・・・・・・・・・・・原木ICで、京葉道路を横断し、西船橋駅に向かう。、、、、歩く人には横断する場所が限定される、この高速道は邪魔だね!

⑦西船橋駅 ・・・・・・・・・・・総武本線緩行線、武蔵野線、京葉線、東京メトロ東西線、東葉高速鉄道と5線が乗り入れる大ターミナルである。 でも、総武快速線は止まらない、もちろん特急も止まらない駅。 西船橋を利用する乗降客は一日65万人程で、日本国内でも屈指の乗降客数である。、、、、、駅前には、デパートがない、大型商業施設がない、映画館がない、あるのはラブホテルばかり、チョイと昔はストリップがあった。、、、、、交通の要所だが、生活の要所になれない、不思議な駅だ!
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