平和橋通り
①新小岩駅・・・・・・・・・・・・・乗客は快速も緩行も都心方面に向かう電車待ち。 千葉方面に向かうホームはスカスカ。



②巽橋・・・・・・・・・新小岩駅北口前の小さな商店街を抜け、蔵前橋通りと平和橋通りがクロスする処が巽橋(たつみばし)交差点。 この交差点は2本の主要道路が交差し、さらに水元公園の小合溜から発する灌漑用水「西井堀」を暗渠化した上にできた道路が交差する、6方向の交差点となっている。、、、、巽橋は西井堀に架かっていた橋で、現在は下流側の欄干が交差点に残されている。
・・・・・・・・・・・・・・暗渠化された西井堀の川筋正面に欄干が残っている。 蔵前橋通りは陸橋で、交差点を横断する。

・・・・・・・・・・・・・・チョイと、痛々しい姿の巽橋。 欄干は鉄筋コンクリートで造られ古そう。 昭和の初期か?
・・・・・・・・・・・・・・交差点には平和橋通りの標識がある。
③上品寺 ・・・・・・・・・平和橋通りに面し、東新小岩7丁目に上品寺(じょうぼんじ)がある。 寺の創建年代不詳であるが、享保元年(1716)に新義真言宗の寺となり、八幡山来迎院という。、、、、、、本堂は安政2年(1855)の地震で倒壊し、再建された。 大正11年(1922)と昭和11年(1936)に修築された。 屋根の勾配が優美な本堂である。
・・・・・・・・・・・・・・境内の「ゑんま堂」には高さ2mの木造の閻魔大王が安置されている。 昭和に大修復されたが、室町時代初期の作らしい。、、、、、閻魔大王は地獄に住み十八の将良と八万の獄卒を従え、死して地獄に落ちてくる人間の生前の善悪を正し、罪ある者には苦しみを与える鬼神である。 閻魔の脇にはペンチも用意され、舌を抜かれたら痛そうだ。
④天祖神社・・・・・・・・・・上品寺の北側には天祖神社がある。平和橋の南東側に鎮座する神社。 神社の創建年代は不詳だが、葛西三郎清重が葛西御厨の関係から勧請したものと言われている。、、、、、社殿は昭和46年(1971)に改修・造営された。
⑤平和橋・・・・・・・・・・昭和35年(1960)に完成した現在の平和橋は、「平和橋通り」の名の元である。 しかし、親柱に鳩の飾りもある「平和橋」の“平和”の由来は? 私は判らない。 なぜ、この橋が“平和”なのだ!、、、、、都庁や、区役所の職員が命名したのか?
・・・・・・・・・・・・・・橋から眺める、のどかな中川の流れ。 この景色が“平和”かな?
⑥都営東四つ木四丁目アパート・・・・・・・四つ木地区に超高層アパートがある。 1号棟は、20階建、114戸。 2号棟は、24階建、136戸。 総戸数250戸の都営住宅。(一部、都民住宅) 平成8年(1996)に完成。、、、、、私が住む、浅草橋には超高層住宅はまだない。 負けた!
⑦四ツ木2号踏切・・・・・・・・・・京成押上線四ツ木~立石間で、平和橋通りを横切る踏切。、、、、、都・京成が四ツ木~青砥間の高架化工事に着手したので、この踏切も、あと数年経つと高架橋に変わり、いずれ無くなる運命だ。 線路わきの工事用地は、買収も済み、工事の発注も済み、仮囲いの設置が始まっている。
⑧本田広小路交差点・・・・・・・・・・・・・国道6号(水戸街道)と平和橋通りが交差する。 水戸街道は四つ木陸橋で越えて行く。
⑨堀切菖蒲園駅近くの歩道橋から・・・・・・・・・京成本線に並行して、平和橋通りに架かる歩道橋から撮影。、、、、、スカイライナーが撮れた!、、、、、平和橋通りはこの先足立区まで続くが、私の散歩はココまでとする。
⑩堀切菖蒲園駅 ・・・・・・・・・・・“昭和”が残る堀切の町だが、今日はブラブラせずに帰ることとした
●おまけ・・・・・・・・・・・途中、住宅の庭先に咲いていたサザンカ。、、、、「つぼみピンクで 開けば真っ赤 冬の寒さに 燃える花」
« 泉岳寺~三田 | トップページ | 南千住~新三河島 »