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2016年12月15日 (木)

荻窪~新高円寺

3日前、西巣鴨の善養寺で拝見した江戸三閻魔の続きとして、杉並区松ノ木の華徳院に行くことにした。 荻窪駅から丸ノ内線沿いに歩いて新高円寺駅まで1万1千歩、8kmの散歩です。



JR荻窪駅南口・・・・・・・・・・荻窪駅は明治24年(1891)12月21日に、甲武鉄道の駅として開業。 この時の出入口は現在の南口付近にあった一か所のみである。 現在は、新宿寄りホーム下の東口改札と、三鷹寄りの橋上に西口改札がある。 東口は地下改札を抜けると南北の出入口に分かれる。、、、、、今日は丸ノ内線新高円寺駅方向に歩くことを決めていたため、出口の選択に躊躇することはなかった。
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旧荻窪郵便局電話事務室・・・・・・・・・荻窪駅南口近く、昭和7年(1932)に建てられた旧逓信省の建築です。(15年程前に改装した。) 現在はスーパーが入居している。 丸みあるコーナー部分の入口、縦長の窓が並ぶ壁面などは、設計した逓信省技師:山田守の作品の特徴が残っている。 山田守(1894/4/19~1966/6/13)は逓信省の建築を多く手掛け残した、モダニズム建築の大家。 手がけた作品の代表的なものとして、旧千住郵便局電話事務室、東海大学代々木校舎、日本武道館、京都タワーなど。 さらに永代橋、聖橋などの橋梁のデザインも担当した。、、、、、、できることなら、建築当初のオリジナルな姿に戻してほしいね。

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西郊ロッジング・・・・・・・・・西郊(せいこう)ロッジングは、ドーム屋根を持つ洋室の新館(昭和13年築)と、和室の本館(昭和6年築)がつながった造りの建物である。 表現主義風のこの時代らしい建物 現在、新館はアパートとして人気があるそうだ。本館は旅館として営業している。、、、、建物は国の登録有形文化財。

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成宗須賀神社・・・・・・・・・・・・杉並区成田東5丁目に鎮座する、旧成宗村本村の鎮守さまで、祭神は素盞嗚尊。 神社は、天慶4年(941)に創建され、慶長4年(1599)に再建されたと伝えられている。 しかし、安政年間に記録を焼失したため詳かではないらしい。 どっちにしても、古くからの神社である。 現社殿は昭和33年(1958)に新築した。、、、、、すでに、神社には大祓いの茅の輪が用意され、年末だ! 早速、茅の輪くぐりをし、一等7億円のご利益期待!

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プラウドシティ阿佐ヶ谷・・・・・・・・・成田東にあった元公団の阿佐ヶ谷住宅 の跡地に建ったマンション。、、、、、『首都圏における第一種低層住居専用地域の新築分譲マンションで 最大級の規模を誇ります。  〈5街区・全575邸〉を設け、中低層の9棟とテラスハウスをレイアウト。  そして、全体を包み込むように樹々が連なる風景は陽光と開放感に満ちた新しい気品を漂わせることでしょう。  この杜の暮らしは界隈の自然と人をつなぎ、さらに人と人のつながりを育む人・自然・地域の美しい関係の理想へ導きます。』との売り言葉で、今月から分譲するようだ。、、、、、、旧阿佐ヶ谷住宅のような、開放的な雰囲気が創られるといいね。

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成田東の二寺・・・・・・・・・・・・五日市街道へ向かう道の途中の二寺


・・・・・・・・・・・・・・まずは天桂寺、、、、、月光山天桂寺は曹洞宗の寺で、聖観音像を本尊とする。 開創は慶長年間(1596~1614)と言われている。 天桂寺は安政3年(1856)に暴風雨にあい、建物はすべて倒壊した。 それから約60年後、大正12年(1923)に現在の本堂が建てられた。

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・・・・・・・・・・・・・・つぎは海雲寺、、、、、、天桂寺と道路を挟み向かい合わせにある海運寺。 海運寺は、江月山と号する曹洞宗の寺院で、本尊は釈迦如来坐像。 慶長16年(1611)に江戸八丁堀(現:中央区八丁堀)の地を拝領して開創された。 その後、寛永12年(1635)に浅草八軒寺町(現:台東区寿町)に移転し、明治43年(1910)に区画整理により現在地に移転した。 現本堂は明治20年(1887)に建立され、山門は江戸城内の紅葉山から移転した。

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華徳院・・・・・・・・丸ノ内線新高円寺駅の近く、五日市街道に面して天台宗の華徳院(けとくいん)がある。 華徳院は、下野国佐野に創建され、天正年間に武蔵国霞ヶ関に移転、慶長年間に浅草蔵前に再転し、寛永寺末となる。 江戸時代には、新宿太宗寺、巣鴨善養寺とともに江戸三閻魔として有名であった。、、、、その閻魔は、運慶蘇生の作といわれた丈六仏の本尊・閻魔王像を中に、右には本尊と同木でやはり運慶の作といわれた奪衣婆像、左には聖徳太子作といわれた本地化馬地蔵尊が祀られ、「蔵前の閻魔堂」と呼ばれていた。 『ナニ! 蔵前の閻魔堂、マサカ?』 そのマサカが、やっぱし!であった。  つまり、「蔵前の閻魔堂」とは、我が家の近く、私の住む台東区浅草橋2丁目にあったのだ。 我が家から直線距離で200m程の処である。 関東大震災で堂、仏像の全てを焼失し、焼け跡には新たに閻魔王を迎え堂を建てたが、それも昭和20年の戦火により焼失してしまった。  華徳院は、昭和3年、杉並区の現在地に移転した。、、、、、つまりは、華徳院の江戸三閻魔は姿形もなく、実在していたのは、我が家の近く浅草橋であったとさ。、、、、“灯台下暗し”とか、“提灯持ち足下暗し”とか、“秘事は睫(まつげ)”という話である。


・・・・・・・・・・・・・・杉並区松ノ木にある華徳院

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・・・・・・・・・・・・・・・台東区浅草橋2丁目、玩具会館の植え込みにある閻魔堂跡の碑

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新高円寺駅・・・・・・・・・・・・閻魔さま見に来て、閻魔さまに騙されて帰る、今日の散歩である。、、、、、、新高円寺駅は、昭和36年(1961)11月1日に帝都高速度交通営団(営団地下鉄)荻窪線の駅として開業した。 相対式ホーム2面2線の地下駅。

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