四ツ木~新小岩




②白髭神社・・・・・・・・・・裏通りを右へ、左へ、出て来た処は、東四つ木の白髭神社前。 これも何かの縁だと手を合わせて行くことにした。、、、、、神社は旧渋江村の鎮守で、江戸時代は「葛西の客人大権現(まろうどだいごんげん)」と呼ばれた。 現拝殿は嘉永5年(1853)の造営、本殿および高欄は大正5年(1916)9月の再建である。、、、、、今日は、一年間お祀りしたお札、お守りなどを納めに来る人もちらほら見られた。
・・・・・・・・・・・・・・神社の旧称:「客人大権現(まろうどだいごんげん)」について、、、、、、、客人(まろうど)とは、元来は稀に来訪する神さまの意味で、神さまを丁重におもてなしすることが福を授かることに通じるそうだ。 権現とは、仏さまが仮に神さまの御姿で現れたもの、という意味で、江戸時代はたいへん尊い神仏に対して使われていた呼称。、、、、、、、昔の記録では、「客人の神は、もと越の白山より比叡の山に飛びうつられ給うたので『まろうど』大明神と称し、のち大権現にまつられた」とされている。 越の白山(新潟県)から、比叡山(滋賀県)の守護神である日吉山王二十一社のひとつ、客人社(日吉大社白山宮)に勧請された菊理媛神(くくりひめのかみ)が、さらに勧請されて祀られたのが、「客人大権現」と言われている。 かつては子授けと花柳病の霊験で知られ、吉原、深川、千住などの遊郭や水茶屋、花柳界の人々などの信仰が篤かったそうで、境内には「新吉原講中」の石碑も残されている。、、、、、、吉原の遊女も崇敬した権現様、私もしっかり、もう一度手を合わせて来た。
③水道道・・・・・・・・・・・葛飾区内に一直線に伸びる道がある。 江戸川から取水し、都内東部に水道水を供給する金町浄水場。 そこから、柴又・高砂・青戸・立石を通り、荒川まで続くほぼ一直線の水道道(すいどうみち)。 地図を見ると一目瞭然、定規で引いたようにまっすぐな道である。 ここには水道の鉄管が通って、墨田区まで続いていたそうだ。、、、、、白髭神社から南へ50m程行った六差路の交差点に立つと、水道道が真直ぐに伸びている。
④東四つ木1丁目の路地・・・・・・・・・渋江小学校の西側に私好みの路地が!
・・・・・・・・・・・・・この裏道、通り抜けできるかな? ダメもとで行ってみよう、、、、、
・・・・・・・・・・・・・・おや、行けそうだ! 路地に面して玄関がある、こりゃ間違いなく抜けられそうだ!
・・・・・・・・・・・・・・抜けたが、こちらも路地だ!
・・・・・・・・・・・・・おやおや、こっちにも行けそうだ、、、、、
・・・・・・・・・・・・・ありゃ? 私有地に入ってしまったかな? でも、玄関らしき入口が数か所見える、、、、、
・・・・・・・・・・・・・オ~、路地の奥に街灯が見える、、、、、と云うことは、通れるな!
・・・・・・・・・・・・・・ありゃ、行き止まりか!? でも、念のため、しっかり確認して、、、、行けそうだ、、、、、
・・・・・・・・・・・・・・あれれ、最初に入ってきた路地に出た。
・・・・・・・・・・・・・・なんだか迷路のような路地を、右に左に折れ曲がり、無事生還。、、、、一刻の小さな探検でした。
⑤中川・・・・・・・・・・東四つ木2丁目の右岸からみる中川。、、、、、、川の先には、かつしかハープ橋が見える。、、、、、、、護岸の下には「2000年記念 平和橋桜堤」の石碑とともに、桜並木が続いている。、、、、、平和橋を渡り、中川を越える
⑥三谷稲荷神社・・・・・・・・・・・平和橋を渡り、東新小岩8丁目に入り、再び裏道を歩くと、上品寺 の北側に三谷稲荷神社がある。 三谷稲荷神社は、文明9年(1477)上品寺の僧が、山城伏見稲荷を勧請、創建した。、、、、、、小さな社があるだけだ!
⑦新小岩陸橋・・・・・・・・・・・・・陸橋は「たつみ橋交差点」で、蔵前橋通り(都道315号御徒町小岩線)が平和橋通りをオーバーパスする片側一車線の自動車専用高架橋。、、、、、総延長818.0mの陸橋で、総工費28億4千万円にて、平成18年(2006)に着工し、平成23年(2011)に工事は完了した。、、、、、設計・施工の一括発注にて、工期短縮、工費削減を達成した工事である。
●・・・・・・・・・・・・・・新小岩駅から帰宅