新神谷橋
①神谷3丁目の寺社・・・・・・・・東十条駅の北で、環七通りが北区を東西に横断している。 その環七通り沿いに神谷3丁目の町がある。、、、、、現:神谷の町は明治初期には、ナント、浦和県(現:埼玉県)神谷村であった。 明治5年(1872)に東京府に編入される。 昭和7年(1932)に王子村と合併し王子区となる。 昭和22年(1947)には王子区と滝野川区が合併し北区に所属する。
・・・・・・・・・・・・・柏木神社、、、、、、柏木神社は、元享年間(1321~1324)に荒川(現:隅田川)に面した地にて、伊邪奈美命(女神)を祭神にして神谷村の鎮守として創建した。 「安産の神」として崇め、荒川を上り下る舟の安全を祈る「航行の神」としても有名であった。 その昔は社域は広大で、神楽殿もあり、多くの樹木の聳える荘厳な森に囲まれていたが大東亜戦争が激化するに伴い、境内は軍需工場に接収され、昭和18年(1943)12月現在地に遷宮された。 昭和54年(1979)8月、現社殿が建立された。、、、、、、“安産の神”は70過ぎの爺には、お呼びでないね。 賽銭もケチり50円にした。


・・・・・・・・・・・・・・自性院、、、、、、、真言宗智山派の自性院は、江戸時代末期には創建されていた古い寺である。 自性院参道の両側には数基の庚申塔が並んでいる。 それぞれが年代物のようだ、石仏の盗難にあわねば良いが!
②新神谷橋・・・・・・・・・・・北区神谷地区と足立区新田地区を結ぶ橋で、岩淵水門の管理橋を別とすれば、隅田川最上流の橋となる。 もともとは、「宮堀の渡し(神谷の渡しとも云う)」があったところである。、、、、、現在の新神谷橋より南へ100mほど行った処に「神谷堀」と呼ばれる堀があった。 ここに昭和25年(1950)、鋼桁橋の神谷橋が架けられたが、昭和52年(1977)に堀は埋め立てられ橋は撤去された。 新神谷橋は、この橋にちなみ命名された。、、、、新神谷橋の開通は昭和40年(1965)2月12日。 全長153.1mの3スパン ゲルバー鋼桁橋。 橋が架けられた昭和40年、隅田川は工場排水などで真っ黒な川であった。 今は川も澄み、魚も住み、当時の川を想像するのも難しいかも。
・・・・・・・・・・・・・・上流側、下流側を望む、、、、、親水堤防のある方が北区。 切り立った堤防のある方が足立区。
③足立区新田1丁目・・・・・・・・・・隅田川が蛇行し膨らんだ部分が、荒川放水路掘削時に中州のように残された地域が“新田”である。 新神谷橋で隅田川を渡り、鹿浜橋で荒川を越えるまでの間の地域である。、、、、今日は環七通りの北側の新田1丁目を歩いてきた。
・・・・・・・・・・・・・・新田稲荷神社、、、、、、隅田川の岸に近い処にある神社で、創建は元禄10年(1697)と言われている。 社殿は戦災により焼失し、現社殿は昭和22年(1947)に再建された。、、、、、、、境内には「宝暦六年丙子四月」(1756)の彫がある庚申塔もある。
・・・・・・・・・・・・・新田一丁目アパート、、、、、、鹿浜橋の西詰に建つ都営住宅。 昭和42年(1967)から昭和43年(1968)にかけて建てられた、2DK、3DKの間取りで、568戸(12棟)の団地である。 老朽化、耐震化、バリアフリー化の要求もあり、そろそろ建て替えかな?
④鹿浜橋・・・・・・・・・・・・荒川に架かる橋で、足立区新田地区と鹿浜地区を結ぶ。 昭和40年(1965)に開通し、橋長は451.3m、プレートガーダー橋。 下部工の施工は戸田建設と野口建設。
・・・・・・・・・・・・・上流の川口方向を望む、、、、、のんびりした光景に、しばし立ち止まる。
⑤江北駅・・・・・・・・・・・平成20年(2008)3月30日に開業した、日暮里・舎人ライナーの駅である。 線路は尾久橋通りの頭上にあり、駅も頭上だ!、、、、、本日の散歩はここまで。
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