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2017年1月11日 (水)

岩淵水門

3年ぶりに、隅田川の最上流にある北区志茂の岩淵水門を見てきた。 京浜東北線赤羽駅から徒歩で往復し、1万1千歩の散歩です。



・・・・・・・・・・・現在の隅田川は北区志茂の新岩淵水門で荒川から分岐し、浅草・向島、浜町・深川、築地・月島を流れ下り、東京湾に注ぐ全長23.5kmの一級河川である。 途中で新河岸川・石神井川・神田川・日本橋川などの支流河川とも合流する。 流域には1か所の水門と39か所の橋梁が架かる。 最上流:岩淵水門の上流側に旧岩淵水門があるが、現在は水門の機能をはたしておらず、産業遺産として保存されている。


・・・・・・・・・・・荒川、、、、、、、江戸時代には、現在の隅田川が「荒川」と呼ばれていた。 この荒川の氾濫から江戸市中を守るため、下流部では、「日本堤」、「隅田堤」などが造られ洪水対策が進んだ。 しかし、千住地区など上流部では対策が進まず、氾濫の頻度は高まった。、、、、、、明治時代に入り、下流部の人口増加、工場立地など、帝都の発展は目覚ましいものであったが、明治43年(1910)の荒川の洪水は帝都に甚大な被害をもたらし、洪水対策として荒川放水路の基本計画が策定された。 計画では、上流部は岩淵から蛇行していた部分をショートカットする線形として、中流部は宿場町として栄えていた千住宿を迂回するルートとし、下流部は中川を横断しやや東にふくらませて中川河口に導くルートとした。、、、、、、荒川放水路は翌明治44年(1911)から開削工事が着手された。 工事規模は、総工事費31,446,000円(当時の大卒者の初任給35円)、延長22㎞(北区岩淵~江東区砂町)、掘削土量2,180万立米(東京ドーム18杯分)、橋梁新設17橋、土地買収1,098町歩(約11k㎡:北区の面積の約半分)であった。 工事は途中、関東大震災などで遅れたが、昭和5年(1930)に完成した。 まさに、20年の歳月を要したビッグプロジェクトであった。、、、、、、「荒川放水路」は昭和40年(1965)に正式に荒川の本流とされ、それに伴い岩淵水門より分かれる旧荒川全体が「隅田川」となった。 それまでは現在の千住大橋付近までが荒川で、それより下流域が隅田川と区別されていた。 ややっこしい話である。 ついでに、さらにややっこしくすると、隅田川の吾妻橋から下流は江戸時代「大川」と呼ばれてもいた。


・・・・・・・・・・・荒川放水路の開削には、人力はもとより、機械による掘削・浚渫も行われ、掘削土量は2,180万m2となり、東京ドーム18杯分になるそうだ。、、、、、また、私に似た優秀なエンジニアも投入された。 計画は原田貞介(1865年3月7日~1937年9月30日、ドイツに留学した後、内務省の技官となり、第8代日本土木学会会長)が行い、 工事は青山士(1878年9月23日~1963年3月21日、東京帝大卒、土木技術者、パナマ運河建設に携わる)が指揮する。



岩淵水門・・・・・・・・・岩淵水門(いわぶちすいもん)は、北区志茂にて現在の荒川と隅田川とを仕切る水門。 新旧2つの水門がある。 旧水門は通称:赤水門、新水門は通称:青水門と呼ばれている。 赤水門は大正13年(1924)に竣工し、現在は運用を終了している。 青水門は昭和57年(1982)に竣工し、現在運用中である。
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旧岩淵水門(赤水門)・・・・・・・・・・大正5年(1916)に着工し、大正13年(1924)に竣工した。 RC造の水門で、9m幅のゲートが5門ある。昭和35年には通船のために5番ゲートのみ改良された。 老朽化のため新水門の完成により役割を終えたが、土木遺産としての価値が認められ産業遺産、東京都選定歴史的建造物などに指定されている。
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・・・・・・・・・・・・・・上流側から見て、赤水門の左手にある島に、「草刈の碑」と標された大きな石碑がある。 これは昭和13年(1938)から昭和19年(1944)にかけて付近の荒川土手で行われた「全日本草刈選手権大会」を記念して作られたもので、「農民魂は先づ草刈から」と、碑文に記されている。 昭和13年は、国家総動員法が制定された年だ。 切実な時代の要請であったのか?、、、、、優勝賞品は草刈鎌と芝刈鎌のセットだったかも?

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岩淵水門(青水門)・・・・・・・・・・・昭和49年(1974)に着工し、昭和57年(1982)に竣工した新らしい水門(もう30年以上前の話で“新しい”水門ではないけどね!)。 約70億円の事業費をかけた、RC造、10.0幅のゲート3門の水門は、1500tの水圧に耐えられるそうだ。 200年に1回の大洪水にもバッチリ!、、、、200年経ったら、ここに来て水門があるか確かめようと思う。

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北区志茂でチョイと寄り道・・・・・・・・・・・・


・・・・・・・・・・・・・・黒田機器株式会社赤羽工場事務所、、、、、、麻布付近にあり、英国人住宅として使用されていた木造2階建ての洋館を、先代の社長が移築したそうだ。 昭和10年(1935)年頃の建築。 正面に出っ張ったサンルームが特徴的な建物である。

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・・・・・・・・・・・・・・八雲神社、、、、、、、、志茂5丁目と隣り合う、岩淵町22に鎮座する八雲神社は、江戸時代:日光御成道の第一の宿場として栄えた岩淵宿の鎮守さま。 祭神には須佐之男尊が祀られている。 創建年代不詳の古社だ。

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