亀戸七福神
①延命長寿の寿老人・・・・・・・・・・曹洞宗の常光寺は西帰山と号し、亀戸4丁目にある。 境内の一角の小さなお堂に寿老人は祀られている。 お堂の中、ガラス越しに寿老人が見える。 まだ新しそうな木像で、チョイとありがたみに欠けるが、新年早々のお参りにケチをつけず、素直に延命長寿のお願をしてきた。、、、、、いまさら無理は承知の上で心境は、「酒は飲みとげ 浮気をし遂げ 儘(まま)に長生き し遂げたい」
②芸道富有の弁財天・・・・・・・・・・・真言宗智山派の東覚寺(亀戸4)は、玄覚法印が享禄4年(1531)創建した。 こちらの寺には、弁財天が祀られている。、、、、芸の道は険しいが、色の道はいと易し、「今はサシスセ 昔はいろは すたらぬはずだよ 色の道」 私も、誰に教わることもなく、独学で身につけた色の道、まだ未熟かも?
③愛敬富財の恵比寿神、有富蓄財の大国神・・・・・・・・・・香取神社(亀戸3)は、スポーツの神様と言われ、拝殿前の行列は1時間待ちである。
・・・・・・・・・・・・・神社の境内東側にある境内社:福神社には、恵比寿神と大国神の二神が祀られている。、、、、、、もともと亀戸七福神は、ここの二神を中心に、近くの寺社に残り五神を配して成立したものらしい。、、、、、、商売は繁盛し、蓄財できる、ありがたい神様である。
・・・・・・・・・・・・・拝殿わきには二神の石像があり、悪い処をなでると病気が治ると言われ、私も腰痛の腰と今朝寝違えた首をなでてきた。
④勇気授福の毘沙門天・・・・・・・・・・・・真言宗智山派の普門院(亀戸3)は、大永2年(1522)に豊島郡石浜(現:荒川区)に創建された。 元和年間(1615~1624)に現在地に移転した。 ここの毘沙門堂に毘沙門天は祀られている。、、、、、本堂前には、壊れた家具、植木などが雑然と置かれ、チョイと気になる荒廃ぶりだ。
・・・・・・・・・・・・・・今日の毘沙門堂の中は暗く、毘沙門天の姿を確認できず。 (昨年撮影した毘沙門天のボケた写真で我慢して。)
⑤人望福徳の福禄寿・・・・・・・・・・亀戸天神の北側に位置する天祖神社、創立年代は不詳であるが、推古天皇の時代に創建されたそうだ。 天正年間(1573~1592)に悪病が大流行し、織田信長がこの神社で流鏑馬の行事を行わせたところ、たちまち収まったと伝えられている。
・・・・・・・・・・・・・・榊に隠れチョイと見えづらいが、気味が悪くなるようなリアルな像である。、、、、、、金持ちに好かれ、美人に慕われる、そんな人徳のある人に私はなりたいと、懇願してきた。
⑥清簾度量の布袋尊・・・・・・・・・・・・さて最後は、亀戸3丁目の天台宗龍眼寺である。 龍眼寺は、応永2年(1396)に創建したと伝えられている。 本堂前の布袋堂に、大きな腹で大儀そうに座り込んでる布袋尊がいる。 『布袋様、メタボ検診を受けることを、おすすめします』
●・・・・・・・・・・・・・・・七福神めぐりのあとは、亀戸天神に参る。、、、、本日の〆は、くず餅。