尾竹橋
隅田川上流から9番目の橋梁は尾竹橋。 地下鉄千代田線町屋駅から尾竹橋通りを歩き、尾竹橋、西新井橋を渡り、東武伊勢崎線梅島駅まで、1万2千歩の散歩です。
①町屋の尾竹橋通り・・・・・・・・・荒川区の町屋駅前を北上し、尾竹橋で隅田川、西新井橋で荒川を越え足立区竹ノ塚方面に伸びる尾竹橋通り。 ここ町屋付近では、両側に店も並ぶ、賑わいのある大通りだ。
②尾竹橋・・・・・・・・荒川区町屋と足立区千住桜木町を結ぶ橋。、、、、橋名は、かつてこの地にあった「尾竹の渡し」にちなむ。 尾竹の渡しとは、渡しの近くにあった茶屋の看板娘の名が「尾竹」であったといわれている。 女性の名が橋名となった橋は、全国にたくさんあるようで、一つも思い出せない。 情けない!、、、、、、昭和9年(1934)3月に震災復興事業の一環として架けられた。 当時の橋は長さ132mのゲルバー桁橋であった。 現在は、橋長130.3m、幅員15.0m、3径間連続ローゼ桁橋。 平成4年(1992)の竣工。 シンプルな橋で、すっきりしている。 【補足】ゲルバー桁橋とは、連続する桁の途中に適当にヒンジを入れて、地盤沈下などの変形による荷重を全体に及ぼさないようにした構造の橋。





・・・・・・・・・・・・・・橋上から、上流側、下流側を望む。、、、、、寒いが、風はなく、穏やかな川面である。


⓷千住桜木・・・・・・・・・・・尾竹橋を渡ると、北千住の町の西端に位置する足立区千住桜木に入る。 ここには、下町育ちのワンパク中高年が知る、「お化け煙突 」があった。 尾竹橋通りはこの町の中を抜け、西新井橋に続く。

④西新井橋・・・・・・・・・・足立区千住桜木と対岸の足立区本木・関原を結ぶ、橋長444.6mのゲルバー箱桁橋。 昭和30年(1955)に着工し、昭和36年(1961)に竣工した。 下部工は大林組の施工。、、、、、、西新井橋が最初に開通したのは大正11年(1922)の木橋である。 当時、左岸の本木・関原地区は「東京府南足立郡西新井村」の一部であった。 右岸の千住桜木地区も、同じ西新井村の一部あった。 つまり、両側とも西新井村の一部で、村内の橋として、橋名「西新井橋」はすんなり決まったようだ。
・・・・・・・・・・・・・・昭和30年(1955)頃の西新井橋(木橋)。 後方の煙突はお化け煙突。
・・・・・・・・・・・・・・【余談】 昭和38年(1963)の日活映画:シネマスコープ、総天然色、キャスト:吉永小百合、松原智恵子、橋幸夫、浜田光夫 『いつでも夢を』を、ぜひぜひご覧あれ!、、、、、昭和37年(1962)のレコード大賞受賞曲の映画化作品である。 東京下町の工場地帯を舞台として、看護婦のひかる(小百合)、夜学へ通う工員の勝利(浜田光夫)、新入り運転手の留次(橋幸夫)がおりなす、ひかるをめぐる恋の争奪戦。 日活の得意の青春映画、、、、私の好きなパターンの映画で、観賞後の気持ちは小百合の相手役になりきりって、しばし悦に入る。、、、、、ところで、この映画のロケ地が西新井橋周辺である。 小百合が自転車で渡る木橋の西新井橋、背後に見えるお化け煙突、浜田光夫と手をつないで荒川土手を駆け降りる小百合、随所に当時の懐かしい場所が登場する、必見!
・・・・・・・・・・・・・上流側を望む。 今日も富士山が遠望できた!
⑤梅田稲荷神社・・・・・・・・・・足立区梅田5丁目に、梅田町の鎮守である稲荷神社がある。 創建は平安時代末期らしい???
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