小台橋・江北橋
隅田川最上流から6番目の橋である「小台橋」を目指し、田端駅から歩いた。 駅から北へ向かい、明治通りを越えたら「旧小台通り」を抜けて小台橋を渡る。 橋を渡ると、荒川区西尾久から足立区小台に変わり、先日渡った豊島橋の先にある江北橋で荒川を越えて、日暮里舎人ライナーの扇大橋駅まで、1万3千歩の散歩です。
①旧小台通り・・・・・・・・・・・荒川区西尾久の町の中央部を南北に抜ける全長780m程の昔ながらの商店街。
・・・・・・・・・・・・商店街の南端(西尾久1-24先)には、「小台・銀座」のアーチと「旧小台通り」の道標。
・・・・・・・・・・・・・・・只今、朝の8時40分、まだ店も開いてない。 人通りも少ない。
・・・・・・・・・・・・・・商店街の中ほどで、ここから街路灯も変わり、別な商店街となるようだ。 道筋の雰囲気は変わらない。
・・・・・・・・・・・・・・・商店街の中にある病院。 明治42年(1909)に「佐藤医院」として創設し、大正7年(1918)に「佐藤病院」に改称した。、、、一般病棟60床、療養病床38床の地域の中核病院か(?)
・・・・・・・・・・・・・商店街の地元スーパーは、開店の準備の品揃え中。
・・・・・・・・・・・・・・商店街の北端は都電小台停留場前。 右側の細い道が旧小台通り、左の広い道は田端駅前から小台橋に通じる都道458号。
②寶蔵院・・・・・・・・・・・小台橋の南詰にある新義真言宗の寶蔵院は金亀山寶蔵院地正寺と号す。 寛永10年(1633)に創建したといわれている。、、、、、本堂前にウメの花がほころんでいた。
③小台橋・・・・・・・・・・・足立区小台は隅田川が大きく蛇行する位置にあり、北側の荒川と南側の隅田川に挟まれた中州状のところである。 その小台地区と荒川区西尾久を結ぶ橋が小台橋(おだいはし)。 小台橋が最初に架けられたのは、昭和8年(1933)で、関東大震災後の復興事業であった。、、、、、現橋は平成4年(1992)に、橋長122.0mの鋼ニールセンローゼ桁橋として架けられた。 【補足】 桁とアーチ部材の両方で、橋を曲げようとする力に対応する構造の橋をローゼ橋と呼ぶ。 桁とアーチの間に、斜めに張ったケーブルを配置した形式をニールセン・ローゼ橋(Nielsen Lohse Bridge)と呼ぶ。
・・・・・・・・・・・・・・上流側、下流側を望む。 荒川区側は親水堤防、足立区側は切り立ったカミソリ堤防となっている。 いずれ、足立区も親水堤防に改良してくれるだろう?
④江北橋・・・・・・・・・・・江北橋(こうほくはし)は、荒川にかかる橋で、右岸(南岸)は足立区宮城、左岸(北岸)は足立区江北で、都道307号を通す。 大正12年(1923)4月21日に、木桁橋で開通したが、同年9月に関東大震災で破壊し、大正14年(1925)に架け替えられた。 現橋は、昭和47年(1972)に架け替えられたものである。 鋼カンチレバーランガー桁橋で、橋長は449mと長い! 都心部では長い橋の一つで、渡り終えるまでチョイと時間がかかり、頬にあたる北風がやたら冷たく感じ、久しぶりに顔面神経麻痺の再発を恐れたが、どうやら再発は免れたみたいだ。 【蛇足】顔面神経麻痺は、冷たい風が顔の一方にあたることで発症するそうだ。 私は過去3回経験しているので、間違いなし!
・・・・・・・・・・・・・・江北橋の上流側には、首都高中央環状線の五色桜大橋(ごしきざくらおおはし)が架かっている。 2層構造のダブルデッキニールセンローゼ橋で、純白の二本線が真横に伸び、カッコいいね! 平成14年(2002)12月25日開通。
・・・・・・・・・・・・・・江北橋を渡り、荒川左岸から見る富士山。、、、、、私は、どうも典型的な日本人で、富士山を見ると嬉しくなり、カメラでパチリ!
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