豊島橋・首都高中央環状線隅田川橋梁
①首都高中央環状線隅田川橋梁・・・・・・・・・・・隅田川右岸の北区堀船と左岸の足立区宮城の間に架かり、平成14年(2002)12月に王子線(板橋JCT~江北JCT間)が開通した。 この開通に合わせ隅田川橋梁も架橋されたと推測される。、、、、、隅田川の上を、上下2層の連続トラス橋で越え、“橋梁”と言うより、“高架橋”と言う感じである。、、、、、今日は、王子駅から豊島橋の先まで首都高沿いに歩いてきた。
・・・・・・・・・・・・・・飛鳥山をトンネルで抜け、石神井川沿いに隅田川へ向かう首都高
・・・・・・・・・・・・・・・石神井川と隅田川の合流点。 頭上を首都高が走る。
・・・・・・・・・・・・・・・隅田川を越える首都高中央環状線隅田川橋梁
・・・・・・・・・・・・・・川を越えると左岸(写真左側)沿いに、足立区宮城を抜ける。
・・・・・・・・・・・・・・・・豊島橋東詰の頭上を直進し、、、、
・・・・・・・・・・・・・・・首都高は写真:奥へ進み、江北橋に並行して荒川を越える。 写真左、隅田川が左奥から大きく蛇行し豊島橋に流れ来る。(この付近に、昔、渡しがあったようだ。)
②下道地蔵尊・・・・・・・・・ずらりと18体の石仏が並ぶ下道地蔵尊。、、、、、 このへんは、明治以前は豊島村・領家集落の北の外れで、川と田んぼが広がる田舎であった、この辺には多くの石仏がたたずんでいたと思われる。 都市化とともに、各処にあった石仏が集められ、今となった。、、、、、“下道(しもみち)”とは、この辺りから下(しも、現:北区志茂)に向かう道があったことから地名として、このように呼ばれていたそうだ。
③豊島五丁目団地・・・・・・・・・・隅田川が大きく曲がる北区豊島5丁目に建つ公団住宅。、、、、鉄筋コンクリート造、14階建て、総戸数4959戸(12棟)、昭和47年(1972)8月~昭和48年(1973)10月の竣工である。、、、、、この団地は、日産化学工業王子工場の跡地に開発された大規模団地である。
・・・・・・・・・・・・・・団地内のショッピングモールを覗いてみた。、、、、おや! 閉店した店もあるようだ。
・・・・・・・・・・・・・・チョイと“A”型の平面をした高層棟を見学することに、、、、、奇数階止まりのエレベータで9階でおりた瞬間、エレベータのロープが切れていたらと考え、ぞ~~っとした。 9階の窓のない廊下から外を見ると、もし風で飛ばされたらと考え、また、ぞ~~っとした。 廊下のつなぎ目の鉄板の上を歩き、もし錆びていたらと考え、またまた、ぞ~~っとした。 私の若い頃は、ゼネコンで集合住宅の現場を担当し、足場の上も平気で歩いていたが、歳をとり高所恐怖症になってしまった。 自分の足元が不安な場所、足元が不安になる想像をすると、怖いのだ。、、、、、もう私は、高層住宅に住めそうもないね!
④豊島橋・・・・・・・・・・・・豊島橋(としまはし)は、隅田川を挟む、北区豊島と足立区宮城を結ぶ橋。、、、、、もともと現在の橋の上流300mほどの隅田川が大きく蛇行する処に、鎌倉時代から続くと渡しがあったそうだ。 この場所に、大正14年(1925)、木橋の豊島橋が架けられた。 昭和35年(1960)に下流の現在の位置にゲルバー式鋼製桁橋が改架された。 そして、平成7年(1995)に地盤沈下と老朽化によって再度改架されることとなり、7年の工事期間を経て平成13年(2001)に現在の橋が架けられた。、、、、、、、単純下路式鋼ローゼ桁橋で、橋長は106.7mである。、、、、、、シンプルな桁で瘦せ型の女性のようなデザインの橋だ!
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