鉄道の隅田川橋梁
①鉄道の隅田川橋梁群・・・・・・・・・JR常磐線、つくばエクスプレス、地下鉄日比谷線の各隅田川橋梁が、右岸:荒川区南千住と左岸:足立区千住関屋町をとおり、平行に架橋されている。、、、、、両岸ともカミソリ堤防と、堤防ギリギリに建てられたマンション・工場で河岸に出ることが難しい。 写真撮影は困難を極め、不法侵入罪を覚悟し、チョイと内緒でパチリ・パチリ!
・・・・・・・・・・・・・・・南千住駅から、JR貨物の隅田川駅 の脇を抜け、 南千住8丁目の高層集合住宅に向かう。、、、、、“勝手知ったる他人の家”で、なんの躊躇もなく、断りもなく、スタコラ・サッサとお邪魔し、防犯カメラに私の姿を残してきた。
・・・・・・・・・・・・・・高層ビルからの写真、、、、、地下鉄日比谷線の車両基地と、その後ろ(写真中央)に隅田川橋梁群が見える。
・・・・・・・・・・・・・・日比谷線南千住駅から引き込み線が出ている、検査と清掃を行う千住検車区(車両基地)は昭和36年(1961)3月28日に発足した。、、、、、この敷地、もともとは国鉄の隅田川貨物駅の一部であった。 当時、常磐線で運ばれてきた石炭を、隅田川に面するこの場所から、船積みし東京の各地に運んだそうだ。
・・・・・・・・・・・・・・・3橋梁の揃い踏み。、、、、マンションの間からパチリ!、、、、、左から、常磐線隅田川橋梁(左:上流側)、つくばエキスプレス隅田川橋梁(中央)、日比谷線隅田川橋梁(右:下流側)。、、、、、上流の2橋梁は、JR東日本が発注した橋梁で、鋼下路曲弦ワーレントラス橋、橋長128.4mで、同じデザインで設計されている。 常磐線の橋梁は平成14年(2002)竣工、つくばエキスプレスの橋梁は平成15年(2003)竣工。 日比谷線の橋梁は、下路式ワーレントラス橋で、橋長は約131m、昭和37年(1962)竣工。
・・・・・・・・・・・・・・橋梁を右岸上流側から順に撮影
・・・・・・・・・・・・・・上流の千住大橋(新橋)から見る隅田川橋梁群
・・・・・・・・・・・・・・下流側から見ると、、、、、どちらから見ても、3橋のトラスが重なり見ずらいね!
②日枝神社・・・・・・・・・・荒川区南千住7丁目に、歯神:山王清兵衛を祀った祠がある。 江戸時代は山王社と呼ばれた旧中村町(千住宿)の鎮守であり、正和5年(1316)に創建されたそうだ。、、、、いずれかの藩士清兵衛が虫歯の痛みに耐えかねてこの地で切腹し、遺言によってその霊を祀ったという。 俗に山王清兵衛とよばれ、歯痛に悩む者が祈願して効き目があれば、錨をくわえた女性の絵馬を奉納する慣わしで、千住の歯神として有名であった。、、、、、今は、境内の周囲に策がめぐらされ、中に近寄ることはできない。
③岡田商事引込線跡・・・・・・・・・・荒川区から千住大橋を渡り足立区に入り、墨堤通りを京成本線沿いに京成関屋駅の方に向かうと、千住関屋町で京成本線の下にレールの跡が残されているのを見ることができる。 レールの先は墨堤通りを横断し、東武伊勢崎線に向いている。 間違いなく、伊勢崎線から分岐していた跡だ!、、、、、鉄道省の時代、東武鉄道は自由に北千住駅を使うことができなかったため、大正13年(1924)、鉄道省管理の北千住駅から外れた現在の千住東に「中千住駅」を開業した。 昭和19年(1944)、さらに中千住駅から隅田川まで貨物線を伸ばし、市街の住民のウンコ(糞尿)を積んだオアイ船から、列車にウンコを積み替え、埼玉方面の農家に肥料を運んだ。、、、、現在は、岡田商事という鉄骨解体業者の敷地で、残っているレールはこの時の貨物線の跡である。
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