佃大橋
①看板建築・・・・・・・・・・・中央区役所の近く銀座1丁目に、1階にはグローリー(喫茶)が営業する3軒長屋の店舗兼住宅がある。 昭和初期の看板建築と思われる。 3階上部にはレリーフもしっかり残っている。 喫茶のグローリーは40年以上前に開店したそうだ。
②鈴木ビル・・・・・・・・・銀座1丁目の中央区役所の北側にある、昭和4年(1929)に竣工した鈴木ビル。 外壁はスクラッチタイル、テラコッタで仕上げ、丸窓・出窓・屋根窓とデザインに変化をつけた、モダンなビル。、、、、設計は山中節治建築事務所、施工は新工務所による、昭和4(1929)12月に竣工した。 鉄筋コンクリート5階/地下1階。
・・・・・・・・・・・・・6年前に撮影した鈴木ビルの外壁と内部
③岩瀬博美商店・・・・・・・・・・鈴木ビルの右隣に並ぶ昭和初期の建物。 建てた当時は、乳業関連事業を営んでいたそうだ。 軒先やガラス戸には商号が刻まれ、3階には半円の窓、軒先の古そうな照明器具、外壁を覆うスクラッチタイル、どれもこれも重厚感漂う昭和のビルを演出している。
④三吉橋・・・・・・・・・・・中央区役所の前に昭和4年(1929)に架けられた三吉橋(みよしばし)橋。 築地川の川筋が“T字型”になった地点に架けられたため、橋も“三又”となり“Y字型”となっている。、、、、、昭和37年(1962)までは築地川が流れていたが、残念なことに築地川は首都高に変わり、今は橋の下に車が流れている。、、、、、三股型単純鋼鈑桁橋、橋長23.98m×3、幅員15m、昭和4年(1929)12月に竣工した震災復興橋。
・・・・・・・・・・・・・・空から見ると
⑤佃大橋・・・・・・・・・・・・佃大橋は隅田川最後の渡船場として320余年続いていた「佃の渡し」の位置に架けられた橋で、中央区の明石と佃を結んでいる。、、、、昭和36年(1961)に着工し、昭和39年(1964)8月27日に竣工した橋は、戦後の“昭和”を象徴するように、無味乾燥とした橋で見た目には面白くない。、、、、、『大ブロック工法』として、桁をかけるとき、大きなブロック(長さ40m、重量150ton)を造っておき、当時の日本最大のクレーン船で組み立てる、最新の施工技術で架橋した。 工法に隠れた面白さのある橋。、、、、、橋長は476.3m、幅員は25.2m、橋桁製作は地元の石川島播磨重工業(現IHI)佃島工場。
・・・・・・・・・・・・・・下流側から見る佃大橋。 後ろは「大川端リバーシティ21」
・・・・・・・・・・・・・・上流側から見る佃大橋。 後ろは「聖路加ガーデン」
・・・・・・・・・・・・・・・佃大橋から見る上流側。 中央大橋、大川端リバーシティ21を見る。
・・・・・・・・・・・・・・・佃大橋の両端に「佃島渡渡船場跡」の碑が残されている。、、、、、私も中学生の頃、浅草橋の我が家から自転車で、何度か私に乗りに来た。 50年以上前の懐かしい思い出。
⑥佃島住吉神社周辺・・・・・・・・・・・ブラブラ、、、、、詳細はまたの機会に!
⑦旧月島警察署西仲通交番・・・・・・・・・・月島の「もんじゃストリート」の中程に現存する、日本最古の交番建築。 現在は「西仲通り地域安全センター」と呼んでいるが、平成19年頃までは「日本最古の交番」であった。 建物は大正15年(1926)に建てられた。