言問橋~吾妻橋
①東武鉄道浅草駅・・・・・・・・・・ターミナルデパートのはしりとなった駅ビルである。 昭和6年(1931)11月1日、東武鉄道浅草雷門駅(現:浅草駅)開業に際し、テナントとなったデパートは「松屋浅草支店」である。 当初のアール・デコ様式の外観は、一時、アルミカバーで覆われていたが、平成24年(2012)に復元された。、、、、、地上7階/地下1階の建物は、鉄道省の初代建築課長であった建築家:久野節(くの みさお、1882~1962)が設計、清水組の施工により、昭和6年(1931)10月に完成した。 久野節の作品は、千葉県佐倉高等学校記念館、近鉄宇治山田駅、旧蒲郡ホテルなどが、多くが現存している。、、、、券売機、ホームなどのある1・2階を除き、全フロアーを松屋が使用し、私が子供の頃は、7階が食堂、屋上が遊園地であった。 おもちゃ売り場は5階だったか? エレベータの扉上部には時計の針のように現在位置の階数が表示されていた。、、、、地下では地下鉄銀座線の浅草駅 につながり、さらに地下街もある。、、、、、懐かしい昭和の雰囲気が残る駅である。
・・・・・・・・・・・・・・当初はビルの中から発車していた電車も今は長編成となり、ホームの先端はビルから飛び出し、隅田川の方向に大きくカーブしている。
②言問橋・・・・・・・・・・・隅田川の最上流から数えて21番目の橋は関東大震災復興橋。 大正14年(1925)5月に着工し、昭和3年(1928)2月10日に竣工した。(昨日が竣工89年目の誕生日であった) 構造形式は三径間ゲルバー鈑桁橋、橋長238.7m、幅員22.0m。、、、、「言問」の謂れは、在原業平の詠んだ 「名にし負はば いざ言問はむ都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと」 という歌に因むそうだ。 ただし、業平が実際にこの歌を詠んだ場所は白鬚橋の付近であったとされている。
・・・・・・・・・・・・・・言問橋の東詰(墨田区向島)にある、橋から隅田公園に下る階段。、、、、先っぽが丸く尖ったコンクリート製の柱に、鉄製のパイプで造られた手摺。 これを見て、昭和の時代に懐かしさを感じるのは私だけか?
・・・・・・・・・・・・・・昭和3年(1928)頃の言問橋。 まだ工事中らしい。 右端に、チョイと写っている階段は上の写真の階段と思われる。
・・・・・・・・・・・・・・【余談】 今日は浅草駅から、まず東武伊勢崎線隅田川鉄橋の下を歩き始めた。 すると、台湾から一人旅の女性が近付き、スカイツリーをバックに写真を撮ってくれとスマホを持ってきた。 私、『中国語わかりましぇ~~ん』と日本語で応え、ゼスチャーでOKし、パチリ!パチリ! 先方の女性は、『あれがとう・ござれます~~』と礼を言って先へ進んだ。 しばらくすると、先ほどの女性がスマホを持ってきて、私に見せた。 そこには『スカイツリーへの行き方を教えてください』と日本語表示されている。 スマホに翻訳ソフトをインストールして来日したみたいだ。 会話が通じない者どうし、便利なソフトだと一瞬思ったが、なんと、私の言葉は相変わらず通じない。 スマホに入力したくても、私には使えない。 『ええい~~、ここは男、頼られたらしょうがない! 異国の女性の一人旅、日本男児の優しさを見せてやろう! 途中まで連れて行ってやるから、付いてきな!』と、ゼスチャーと片言の英語で伝える。 やっと、通じたか笑顔が見えた。、、、、二人で、言問橋を渡り、牛嶋神社の前をとおり、スカイツリーの近くまでお見送り。、、、、この間、お互いに母国語で喋っていたが通じたのは、双方の名前だけ。 最後は、しっかり握手し『行ってらっしゃ~~い』、、、、、結局、言問橋の写真を撮りに来た道を戻ることとなったが、国際親善に一役かったね!
③東武伊勢崎線隅田川鉄橋・・・・・・・・・・22番目の橋は、東武伊勢崎線が浅草駅を出て、スグに隅田川を渡る橋。 伊勢崎線はこの鉄橋上にポイントが設置されているため。 電車はノロノロ運転(制限速度は15km/h)で橋を渡る。、、、、、、形式は中路カンチレバーワーレントラス、橋長は166mの鉄道橋、着工は昭和2年(1927)、竣工は昭和6年(1931)5月25日、橋梁の設計は土木学会の会長であった田中豊(1888~1964)、橋桁製作は横河橋梁製作所。、、、、、設計では、隅田川の景観に配慮するとともに、車窓からの景観を考慮して、高いトラス橋にせず曲線の架線柱が採用され、今や、隅田川の代表的な景観の一つとなっている。
・・・・・・・・・・・・・車窓から撮った、橋上のポイント。
④勝海舟像・・・・・・・・・・・・・ご存じ、勝海舟は、文政6年(1823)1月30日、本所亀沢町(現:墨田区両国4)で生まれ、育ち、明治32年(1899)1月19日に赤坂の氷川邸で逝去した。、、、、、平成15年(2003)に海舟生誕180年を記念し、隅田公園横の墨田区役所に銅像が建てられた。 右手で遠くアメリカを指さし、新しい日本を創るべく旅経つ姿を表現しているらしい。
⑤吾妻橋・・・・・・・・・・・23番目の橋は、雷門通りを通し、台東区浅草地区と墨田区吾妻橋地区を結ぶ「吾妻橋」。、、、、、、創架は安永3年(1774)で、それ以前は「竹町の渡し」と呼ばれた渡し舟があった。 当時は、通行料2文の有料橋であったそうだ。、、、、、明治9年(1876)に木橋としては最後になった橋が架けられた。 この時、正式に「吾妻橋」と命名されたそうだ。 明治20年(1887)には、隅田川最初の鉄橋として架け替えられた。、、、、、現在の橋は、関東大震災復興橋として昭和4年(1929)に発注され、銭高組が施工した。 開通は昭和6年(1931)6月である。 形式は鋼橋ヒンジアーチ橋、長さ150.0m。 雷門の色に合わせ、朱に塗られた橋は、“浅草”の橋としてふさわしいデザインで、連日、外人観光客が橋からスカイツリーをバックに記念撮影をする観光スポットである。
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