亀戸~南砂町
①亀戸駅東口・・・・・・・・・・・亀戸駅の表玄関となる改札は北口である。 駅ビルでのショッピング、東武亀戸線への乗り換え、亀戸天神への参拝、“くず餅”の購入、何でもかんでも北口が便利。 ただし、会社帰りのチョイト一杯は東口が安くて便利。
・・・・・・・・・・・・東口は、ホームの千葉寄りから線路下の地下道を通り、京葉道路とはビル一つ隔てた裏道に出る、“裏口”である。 東口の頭上には越中島貨物線の高架橋が架かる。 改札の前は駐輪場!
②亀戸緑道公園/大島緑道公園・・・・・・・・・都電29系統:葛西橋~錦糸堀~須田町と38系統:錦糸堀~境川~日本橋が運行していた、京葉道路水神森交差点から明治通り大島一丁目までは専用軌道であった。 昭和47年(1972)11月都電が廃止され、この専用軌道跡が昭和50年(1975)に亀戸緑道公園と大島緑道公園として整備された。
・・・・・・・・・・・京葉道路水神森交差点では、かつての第二精工舎跡に建てられたショッピングモール「サンストリート亀戸」(平成9年オープン)が平成28年(2016)に閉鎖し、60階建てのタワーマンションの建設が始まった。、、、、その脇から亀戸緑道公園が始まる。
・・・・・・・・・・・・・・途中に竪川の運河跡があり、頭上には首都高7号小松川線が走る。 ここまでが亀戸緑道公園で、これより南側が大島緑道公園となる。、、、、、橋のあった北詰には、レールと車輪がモニュメントとして置かれている。
・・・・・・・・・・・・・・竪川に架かっていた「竪川人道橋」の写真。 (平成25年(2013)現地、工事現場にあった説明板に掲示されてた)、、、、昭和30年頃の人道橋を渡る都電、平成23年撤去前の人道橋。
・・・・・・・・・・・・・・大島緑道公園は、大島3丁目を縦断し、新大橋通りを横断し、大島四丁目団地の西側で明治通りにぶつかる。
③大島四丁目団地・・・・・・・・名のごとく江東区大島4丁目の旧住宅公団の団地。 地上8階~14階建ての建物が7棟、総戸数2,514戸の団地である。、、、、、私が社会人となった昭和44年(1969)3月から11月にかけ竣工した。 と、言うことは、築後48年が経過した。 間取りは2DK、2LDKが中心であるが狭そうだ! もうそろそろ建て替えの時期かな?
・・・・・・・・・・・・・・団地内の緊急用電源。 遊園地の機関車ではありません!
・・・・・・・・・・・・・・団地内の理髪店、、、、店名の「丹頂」を見て、『丹頂ヘアトニック』を思い出した! 『丹頂ヘアトニック』は、戦後、金鶴香水(株)が発売した商品で、昭和38年に資生堂が「MG5」を発売するまではシェアはトップてあった。 シェア争いに負けた丹頂(株)(金鶴が社名変更した)は、「マンダム」シリーズを発売しヒットする。 社名も丹頂(株)からマンダム(株)に変更した。、、、、柳屋のポマードと共に、忘れた懐かしい名前だ。
④進開橋・・・・・・・・進開橋(しんかいばし)は、小名木川に架かり、江東区大島1と北砂3を結ぶ。 橋上には明治通り(都道306号線)が走る。 形式はゲルバー鈑桁で、昭和42年(1967)11月に完成した。、、、、、川岸も整備され、景観になじむ橋である。
⑤稲荷通り・・・・・・・・砂町銀座の北側200m程の位置(北砂3)に並行する商店街が「稲荷通り商交会」、、、、商店街の横綱「砂町銀座」には負けるが、序二段ぐらいの力はありそうだ。 まだ10時前でオープンしていない店も多い。
・・・・・・・・・・・・商店街の東端に、名の由来となった「治兵衛稲荷」がある。 治兵衛稲荷神社は、当地一帯の治兵衛新田を開拓した治兵衛が村の鎮守として山城国伏見稲荷大社の分霊を慶安年間(1648-1652)勧請、創建したことに始まる。
⑥砂町銀座・・・・・・・・北砂3丁目と4丁目の境にある、下町の元気な商店街、あまりにも有名。 砂町銀座の成立は、戦前、30軒位の普通の商店街として始まった。 戦争中は商店も強制疎開し、戦後焼け野原の場所へ戻り、昭和25年~30年にかけ飛躍的に店舗が増えて昭和38年頃にはほぼ現在の形(長さ700m弱、店舗数約180店)になったそうだ。、、、、こちらも、時刻は10時前、オープンしていない店が多く。 お買い物は午後からがいいかもね!
⑦南砂町駅 ・・・・・・・・・・昭和44年(1969)3月29日、東西線全線開業時に開業した、島式ホーム1面2線を有する地下駅。