元麻布一丁目
①麻布十番駅・・・・・・・・・・東京メトロ南北線と都営大江戸線が乗り入れる接続駅。 平成12年(2000)9月26日に南北線の目黒~溜池山王間が開通し、同時に駅も開業する。 同じ年の12月12日には大江戸線も全線開業し、麻布十番駅は接続駅となる。、、、、、大江戸線のホーム(島式1面2線)は、地下6階の深い位置にあり、年寄りは地上に出るまでがチョイト辛い。



②十番稲荷神社・・・・・・・・・・麻布十番駅の出入口に隣り合わせる神社。 慶長年間(1597~1616)に創建の末広神社と、弘仁13年(822)に創建の竹長稲荷神社が、戦後、合併して十番稲荷神社となった。
・・・・・・・・・・・・・・階段を上がるのが面倒くさいので、地下鉄の出入口脇に、神社のカエルが置かれている。、、、、、文政4年(1821)の大火でこの付近がほとんど焼失したとき、ある屋敷のみが焼け残った。 これは邸内の池に住む大ガエルが水を拭きかけて猛火を退けたためだという評判が立った。 その故事に因んだ「カエル」のお守は、火防・やけどのお守、無事かえる・若がえる・何でもかえるお守として貴ばれているそうだ。、、、、地下鉄に乗る人、おりてきた人、結構、手を合わせる人が多い。 神社は賽銭でもうカエル(儲かる)
③タヌキもいた・・・・・・・・タヌキ:「他抜き」にかけて商売に励む、昭和3年(1928)創業の煎餅屋さん。
④赤い靴の女の子・・・・・・・・・野口雨情:作詞の♪♪赤い靴 はいてた 女の子 異人さんに つれられて 行っちゃった♪♪の実在のモデル「きみちゃん」の像が、商店街の中央にある。、、、、、「きみちゃん」は、未婚の母の子として明治35年(1902)に生まれた。 3歳の時、母と共に北海道に入植したが、子供には厳しい環境であったため、母はきみちゃんを米国人宣教師に託した。 宣教師が帰国するとき、きみちゃんは結核を患い、船旅ができず麻布十番の鳥居坂教会の孤児院に預けられた。 その後、3年間の闘病生活の末、9歳という短い生涯を終えた。 北海道の母はきみちゃんが異国に行き、幸せな生活をしてると思い、知り合いの野口雨情に娘の話をした。 話に感動した雨情は、詩に綴り、童謡とした。 また、きみちゃんの死を知らず、母は昭和23年(1948)に他界した。 きみちゃんの真相が明らかになったのは、昭和48年(1973)、北海道テレビの記者であった菊池寛によるものだ。、、、、、きみちゃんのいた孤児院は、現在の十番稲荷神社がある場所にあった。 また、きみちゃんの墓は青山霊園にあるそうだ。
⑤善福寺・・・・・・・・・元麻布にある古刹は、天長元年(824)に空海によって開山した、浄土真宗本願寺派の麻布山善福寺。、、、、、、江戸時代の本堂は昭和20年(1945)の戦災で罹災し、昭和36年(1961)に東本願寺八尾別院大信寺の本堂を移築し、再建した。 移築した本堂は明和4年(1767)の建築である。 正面幅約28m、奥行約34m、入母屋屋根、桟瓦葺の、大きな建物である。
・・・・・・・・・・・・善福寺の後ろに建つタワーマンション「元麻布ヒルズ」の敷地は、昭和58年(1983)までは善福寺の境内であった。 一部土地を売っても、今でも広い境内が残っている。、、、、善福寺は元麻布の大地主? また、タワーマンションは森ビルが開発。
・・・・・・・・・・・・・安政5年(1859)には日米修好通商条約に基づき、善福寺境内にアメリカ合衆国公使館が設置され、タウンゼント・ハリスらが在留した。 境内には、記念碑が建てられている。
・・・・・・・・・・・・・墓地には、「愛の賛歌」の歌詞が刻まれた越路吹雪の碑、福沢諭吉の墓などもある。
⑥仙台坂・・・・・・・・・・港区南麻布1丁目と元麻布1丁目の境界を東から西に上る坂。、、、坂の南側(南麻布)一体に仙台藩伊達の下屋敷があったことに由来する。、、、、、道幅は広くなく、途中に韓国大使館などがありいつも警視庁が警戒し、車がつながっている坂。
・・・・・・・・・・・・・仙台坂に面し南麻布にたつ韓国大使館。、、、、平成25年(2013)に建て替えられた7階建ての大使館。 工事費は約800億ウオン(71億2000万円ぐらい)らしい。 施工は、「お口の恋人」ロッテ建設。
・・・・・・・・・・・・・大使館前から見上げる元麻布ヒルズ、、、、仙台坂に面した空き地は、森ビルが取得しているようだ。 またまた再開発が始まるか?
・・・・・・・・・・・・・・仙台坂を上ると、大正6年(1917)に竣工した日本基督教団安藤記念教会が、関東大震災前の姿をとどめ残されている。、、、、、、ツタに覆われ、石積みの教会がわかりにくいが、しぶい味のある教会だ。 (内部の写真は2013年撮影)
・・・・・・・・・・・・・・・教会の前には、元麻布氷川神社の鳥居が立っている。 天慶5年(942年)の創建と伝えられる古社であるが、東京大空襲で、本殿・社務所等が焼失、戦後に再建されている。
⑦元麻布ヒルズ・・・・・・・・・・・・善福寺の裏の高台(元麻布1)に建つレジデンス。 地上29階建てのフォレストタワーを中心とした施設。総住戸数222戸。
⑧旧松方正熊邸・・・・・・・・・・元麻布2丁目の「西町インターナショナルスクール」である。、、、、、明治期の政治家である松方正義の六男、松方正熊の邸宅として建てられた西洋館。 戦時中に松方家が疎開したことから、スウェーデン公使館に貸し出され、その後にルーマニア大使館やベネズエラ大使館としても一時期利用されていた。 昭和40年(1965)には松方家へと返還され、西町インターナショナルスクールの校舎として使われるようになった。 現在は教室として使用されておらず、「松方ハウス」として、事務室や校長室、図書館などで利用している。、、、、、大正10年(1921)に建てられた木造2階建て、設計は宣教師として来日したヴォーリズ。 施工は竹中工務店。
⑨元麻布から六本木ヒルズを眺める・・・・・・・・・・・・・