勝鬨橋・築地大橋
①歌舞伎座 ・・・・・・・・・まだ朝の8時になったばかり、どこの店もビルも閉まっている。 歌舞伎座の地下の店も開店前の準備中、立ち止まることもなく築地に向かう。、、、、、現在の歌舞伎座は平成25年(2013)3月1日にオープンしたので、今日は4年目の誕生日。
②築地市場・・・・・・・・・・・最近いろいろ話題となる築地市場の場内を、ブラブラ歩いてみることにした。 8時過ぎの市場は、商売のピークも過ぎたようだ。、、、、市場のある地は、江戸時代後期、松平定信(1758~1829)の下屋敷に作られた汐入回遊式庭園「浴恩園」(よくおんえん)があった処である。 明治維新以降は海軍関係の用地となり、海軍発祥の地である。 関東大震災で、日本橋にあった魚市場が被災したため、その後、魚市場が海軍省から敷地を借り受け移転した。 これが、築地市場の始まりである。、、、、今後の移転先は迷走状態、さて、どうなることやら?
・・・・・・・・・・・・・まずは、市場の屋上からパチリ!パチリ!
・・・・・・・・・・・・・・商売の邪魔をしないように、静かに、おとなしく、市場の中に潜入、、、、、建物は古く、汚れ、狭く、アレレどっちに行ったらいいのかな? これでは、豊洲移転を早めないとダメか?
・・・・・・・・・・・・・・トランプさんの国から取材に来たようだ!
・・・・・・・・・・・・・・場内の飲食店は観光客で行列
・・・・・・・・・・・・・・築地市場に隣接する波除稲荷神社。 「築地」とは埋立地の別称で、築地市場付近は、万治元年(1658、=江戸時代)頃から埋め立てが始まったが、工事は波に洗われて難航した。 そのころ、海中から見つかった稲荷神の像を祀ったところ、風波が和らぎ工事が完了したとされ、これが「波除」の由来となった。 厄除けや航海安全の神として信仰されている。
③勝鬨橋・・・・・・・・・・・昭和15年(1940)に竣工した跳開橋であるが、昭和45年(1970)以降、一度も開いていない残念な橋。 私が学生の頃までは橋の上を都電が走り、橋が開くとき都電は、赤信号の点灯で開閉する部分の直前で止まり、船の通過を見送っていた。 のんびりした時代には、もう、戻りそうもないね!、、、、、中央径間:シカゴ型二葉式跳開橋、側径間:下路式タイドアーチ橋、橋長:246m、幅員22m。 昭和8年(1933)に着工し、昭和15年(1940)6月14日竣工。
・・・・・・・・・・・・・・橋の際(中央区築地側)には、勝鬨橋が完成するまで運航していた「勝鬨の渡し」の碑がある。 碑は明治38年(1905)、日露戦争の旅順陥落を記念して建てられた。
④築地大橋・・・・・・・・・・勝鬨橋の下流に建設中の築地大橋。 橋は平成23年度より下部工事に着手し、平成26年度に鋼けた架設工事が完了した、現在、橋はほぼ完成状態であるが、御存じの通り、築地市場の豊洲移転に急ブレーキがかかり、築地側の道路が未完の為、開通は???、、、、、橋長:245m、幅員:32.3m~48.0m、形式:鋼3径間連続中路式アーチ橋。、、、、、まだ、橋に近寄れないため、遠くから撮影。
●・・・・・・・・・・・・以上、約2か月かけ、隅田川に架かる38橋梁と相生橋、そして岩淵水門を制覇した。 自分に一言、『ご苦労様』
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