松原団地
①松原団地駅・・・・・・・・・・・戦後、昭和30年代から昭和40年代は、高度成長期とも重なり、首都圏の住宅不足を解消するため、大規模団地の建設が各所で行われた。 その一つで、東洋最大規模のマンモス団地と呼ばれたのが、住宅公団が手掛けた「松原団地」である。 団地の入居に合わせて、松原団地駅は昭和37年(1962)12月1日に、新田~草加間に開業した。 昭和39年(1964)には、団地の南側に隣接して獨協大学が開校し、学生も乗降する駅となる。 さらに昭和63年(1988)からは、それまでの地上駅から高架駅に変わる。、、、島式ホーム1面2線の高架駅で、停車するのは緩行線である。 優等列車は両外側を通過する。、、、、本日は「松原団地」と表示された駅名の見納めである。 こんど来たときは駅名は改称され「獨協大学前」だ!
・・・・・・・・・・・・・・・松原団地側の西口


・・・・・・・・・・・・・・旧日光街道側の東口

・・・・・・・・・・・・・・緩行線しか止まらぬホーム



●駅名変更・・・・・・・・・・・駅名となった「松原団地」は、現在、都市再生機構(UR)による全面的な建て替えが進められている。 また、市街地の整備も進められ、平成2年(2014)3月に旧日光街道の「草加松原」が国指定の名勝地“おくのほそ道の風景地”となったことを受け、草加商工会議所を中心に駅名変更の声が高まっていた。 そこで駅名変更により地域のイメージアップとともに、観光地としてのPRにもつなげる狙いで、「獨協大学前〈草加松原〉」駅に改称される。、、、、名称変更に要する費用(約3億円)は獨協大学が全額負担する予定らしい。(大学のPRになるからね!) 駅名変更を記念し、3000セット限定で価格は500円也の記念乗車券が発売された。 松原団地駅で記念乗車券を入手し、顔もほころび、ニコニコ!

・・・・・・・・・・・・・・・駅に貼られたポスター

●松原団地と獨協大学の位置・・・・・・・・・・昭和54年(1979)の空中写真
②松原団地・・・・・・・・・・松原団地は東側(駅側)から、A・B・C・Dの4地区に区分され、A地区は建て替え済み、B地区は建築中、C地区は今年取り壊し予定、国道4号側のD地区はおそらく来年取り壊されるであろう。 第1期の入居募集は昭和37年(1962)から翌年に架け実施され、780戸の募集に対して、約1万件の応募があったそうだ。、、、、これまで、団地内の全住戸は約6000戸あったそうで、1DKが約1400戸、2DKが約2200戸、3DKが約1700戸、テラスハウスが約660戸の内訳である。 各戸とも狭い、当時の造りであったようだ。、、、、、新しい建て替えは、民間のデベロッパも参加して進められている。 すでにA地区は約1,500戸の分譲・賃貸住宅で事業は完了しており、住友不動産が分譲するマンションはB地区。 残りのC・D地区は未定で、戸建ても含め約3,000戸が建設される予定。、、、、、新しい住居は広いく、便利で使い勝手がよさそうだ、若い人が多く、保育園はママどうしのおしゃべりの場。 D地区にまだ住んでいるお年寄りは、チョイト淋しそうだった。
・・・・・・・・・・・・・・建て替えの済んだ地区。 まだ汚れの無い、綺麗な建物だが、なんとなく薄っぺらな感じがするね!
・・・・・・・・・・・・・・B地区は工事中
・・・・・・・・・・・・・・C地区は取り壊しが始まっている、、、、建てた人、住んだ人、生まれた人、皆、思いである建物だ。
・・・・・・・・・・・・・・通る人影もない道、遊ぶ子供もいない公園、いったい何人がいるのか? ゴーストタウンのような静けさのD地区、、、、テラスハウスを含む、D地区の一画を“昭和の遺産”として保存できないものか?
③獨協大学・・・・・・・・・・・明治16年(1883)、西周、品川弥二郎、加藤弘之らによって東京の麴町区に設置された獨逸學協會學校を起源とする。 獨逸學協會學校では、現在の法科大学院と同等の教育を実施していた専攻科を明治28年(1895)まで設置していた。 昭和39年(1964)、第2次吉田内閣で文部大臣を務めた天野貞祐を初代学長に迎え大学を設立した。、、、、大学は現在、草加市に所在し、語学・経済学・法学などの4学部4研究科を置く、人文科学・社会科学系総合大学である。、、、、チョイト、構内を拝見!




・・・・・・・・・・・・・・キャンパス中央にある天野貞祐記念館を拝見。、、、、地上5階建て、高さ33m、延床面積約29,500㎡の建物は、「日本建築家協会優秀建築選2008」、「2013年度草加市まちなみ景観賞」などを受賞した、学内最大の複合施設であり、外観はドイツの国会議事堂をモデルとしている。 私は、ドイツに行ったこともなく、国会議事堂とは? プラネタリウムかと思った!
・・・・・・・・・・・・・エントランス部分、、、、、明るく、広い、学生はどこに?
・・・・・・・・・・・・・・図書室、、、、、ここも空いてるね!

・・・・・・・・・・・・・・・「獨協歴史ギャラリー」には、大学の歩みを知る資料がズラリ! その一画には、天野貞祐の書斎が復元されれていた。

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