本八幡
総武本線本八幡駅から、市川駅方向(西側)に歩くつもりが、気づいたときには北に向かい天神様の境内である。 ならば、東に向かい下総中山駅(東側)まで歩くことにした。 「東菅野」の町の裏道は直線ではなくグニャグニャ曲がり、こちらでも気づけば八幡様の境内。 ということは、本八幡駅の周辺から離れることなく、駅の北をさまよい歩いていただけだ。、、、、、本八幡駅から本八幡駅まで、1万歩の散歩。
①本八幡駅・・・・・・・・・・・駅の北にある葛飾八幡宮に由来する駅名であることは察しがつく。 葛飾八幡宮、本八幡駅のある一帯の地名は「八幡」で、「本八幡」(もとやわた)の地名はない。 “本”はどこから持ってきたのか?、、、、答えは、、、、昭和10年(1935)に総武本線の駅として、市川~下総中山間に本八幡駅が開業した。 この時、近くを走る京成本線には既に「八幡」駅があり、重複を避けるために“本”を冠し「本八幡」駅となった。 なお、京成の「八幡」駅は大正4年(1915)に葛飾八幡宮の前に開業したが、昭和17年に廃止され、現「京成八幡」駅に統合された。、、、、、今の世であれば、“新”とか、“南”とかを冠し、“新八幡”、“南八幡”となっていたであろう。
②カトリック市川教会・・・・・・・・・・・・・本八幡駅から千葉街道に出て、裏道を歩くとチョイト歴史のありそうな協会が目に入った。、、、、終戦直後の昭和20年(1945)9月、小教区として独立し、設立された。 現聖堂は昭和24年(1949)(?)に献堂されたようだ。、、、、さほど大きな教会ではないが、終戦直後の物資・食料が不足する中、多くの信者が力を併せ聖堂を建てたようだ。、、、、最近、外壁などを改修したようだが、全体的には質素な造りで、目を見張るものはない。 カトリック本所教会 とは、建設時期、規模、内外装ともに似ている。
③白幡天神社・・・・・・・・・市川市菅野の地に鎮座する天神様。 境内は2,000坪あり、今の時期は梅が咲き競っている。 桜、椿、ツツジ、萩など、四季の花が咲くそうだ。 広い境内は竹箒の跡も美しく丁寧に掃き清められ、足跡をつけて歩くのが申し訳ない気持ちであった。、、、、私の好きな馬酔木も咲いていた。
・・・・・・・・・・・・・今よりおよそ800年前の治承4年(1180)に、源頼朝が下総に入った際、当地に源氏の御印である白旗を掲げたことが社名の由来である。 その後、天正12年(1584)に、本殿が再建されたが、現在の本殿は明治13年(1880)の造営で、拝殿・幣殿は、昭和36年(1961)に造営された。
・・・・・・・・・・・・境内に永井荷風と幸田露伴の文学碑がある。 両氏はともに晩年に白幡天神社近くに移り住み、作品の中でも白幡天神社が登場してくる。、、、幸田露伴文学之碑には娘の幸田文の著作「菅野の記」に白幡天神社の描写があることが示されている。 また、幸田露伴の葬儀は白幡天神社で執り行われたそうだ。
④不動院・・・・・・・・・・・白幡天神社の東、250m程離れたところ(市川市東菅野1)に真言宗豊山派の山王山不動院がある。 『この寺以前きたことがある』ので、本堂に手を合わせ境内を横切る。、、、、、本堂は平成19年(2007)の完成。
⑤東菅野・八幡の裏道・・・・・・・・・・不動院を過ぎ、裏道は曲がりくねり、方向感覚に強い私も、『アレ? さっき通った道だ!』、『アレ? いつか来た道だ!』、、、、黒松の似合う住宅の間をウロウロ。 そして、『アレ! 葛飾八幡宮 の裏だ!』、、、、、『ヤレヤレ! 本八幡駅に戻るか!』、お帰りです。
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